正露丸で有名な製薬会社、大幸薬品は、2008年という早い段階に“空間除菌”というコンセプトを打ち出し、新しい市場をつくって定着させた。大手日用品メーカーが参入し、競争が激化しても負けないマーケティングの極意とは――。

コロナ前から女性に大人気のウイルス対策商品とは

半年前、誰がいまの状況を予測できたでしょう。新型コロナウイルス(以下、新型肺炎)の猛威が世界じゅうへと拡散・拡大していく最中の今年2月、3月に、最も不安を募らせていたのは、受験生の子をもつ“親御さん”だったかもしれません。

娘のベッドに寄り添う母、手前にクレベリン
写真提供=大幸薬品

結果がどうであれ、とにかく試験会場でわが子にベストを尽くしてほしい。そのためにおいしい夜食を作ったり、塾へと送り迎えしたり、インフルエンザや新型肺炎にかからないよう万全の注意を払ったり……、「でもこれ以上は、何もできない」「あとは、神様に祈るのみです」と話すお父さん、お母さんにも、多く出会いました。

そんな親心に、早くから着目していた企業が、ラッパのマークの「正露丸」で知られる製薬会社・大幸薬品です。

「幅広いウイルス・菌から家族を守る」とうたう、衛生管理製品「クレベリン」シリーズは、いまや薬局の店頭でもアッという間に姿を消してしまうほどの人気ぶり。

ですが、新型肺炎の感染者がまだ日本で確認されていない2019年9月、半年以上前の段階で、クレベリンは受験生の「お守り代わり」のニュアンスを打ち出し、既に女性たちにも人気を呼んでいました。

“空間除菌”という新しい発想を打ち出す

クレベリンの発売は、2005年4月。当初は、二酸化塩素の酸化力で空気中のウイルスや菌、ニオイを除去する「業務用」の感染管理製品として登場しました。

使用していたのは、おもに医療機関や介護施設、外食産業などの事業主。一方で、「2007年ごろから、一般家庭でのニーズも少しずつ増えている印象がありました」と、同マーケティング本部・PRマネージャーの中島杏子さん。

そこで08年9月、「一般用」の販売を本格的にスタート。この頃は、空間や物に噴射して使用するスプレータイプと、室内に置いて使用するゲルタイプ(置き型)の2種類のみでした。

このとき打ち出したのが「空間除菌」という発想。中島さんは「当時はまだ、こうした市場が形成されていなかったはず」だと言います。

新型インフルエンザ流行で定着、市場規模は100億円に

ところが翌09年春~10年にかけて、新型インフルエンザが猛威を振るいます。その後も冬~春を中心に、季節性インフルエンザへの予防が重視される中で、「空間除菌」は徐々に市場として定着。

その後、市場にはクレベリンのように、汚水処理の消毒などに使われる二酸化塩素を用いた商品のほか、室内や衣類の「除菌・消臭」をうたうスプレータイプの商品が次々と投入されていきました。競合は、花王やP&G、白元といった大手のほか、多数の中小メーカーまで。いまやその市場規模は、約100億円にものぼります(2019年11月現在)。

競争がより激しくなってきた2018年ごろ、大幸薬品は「クレベリンブランド」のマーケティング戦略を一新、ターゲットを、従来の「インフルエンザになりたくない人」というおおまかな設定から、「インフルエンザに絶対なれない人」として妊産婦さんと受験生及びその親御さんに絞ることを決断します。

そして、大きな2つの行動を起こします。1つは、ブランドロゴやデザインの全面リニューアル、もう1つは、大規模な消費者調査をもとにしたコミュニケーションの変更です。

おしゃれに大リニューアル

「実はリニューアル前、ブルー基調のクレベリンの容器は、『来客に見せたくない』や『インテリアになじまないので、写真立ての後ろに隠している』といった声が、主婦の方々から寄せられていました」と中島さん。

大幅リニューアルしたクレベリン
大幅リニューアルしたクレベリン(写真提供=大幸薬品)

そこでリニューアルに向けて、世界的に有名なデザイナーであり建築家でもある、佐藤オオキさん(デザインオフィス「nendo(ネンド)」代表)にデザインを依頼。製品本体が生活シーンに溶け込むよう、“白”を基調にしたシンプルなデザインに変更しました。

またブランドのアイコンとして、おしゃれな「C・(シードット)」を採用。視認性を高めることで、クレベリンブランドの認知拡大を狙ったといいます。

男女で驚きの違いが出た消費者調査

一方、消費者調査では、注目すべき結果が出ていました。

それが、衛生対策に関する年代別の意識変化について、“男女”で大きな違いがあるという事実。中島さんによると、「男性は、人生を長い目で見た場合、『このころにクレベリンの需要が高まる』という節目はなく、ほぼ常にフラットなままでした」とのこと。

ところが女性には、大きな2つの山がありました。1つが「妊娠」、もう1つが「わが子の受験期」です。

そう、冒頭でふれた通り、一般に受験シーズンはウイルスが流行する冬と重なる。だからこそ、世のお母さんたちは「せめて部屋にクレベリンを置くことで、わが子をウイルスから守りたい」と、「お守り」のようなイメージを抱くのでしょう。

実は、大幸薬品の古くからの主力商品・正露丸も、「受験期に(腸の動きを整える)『お守り』感覚で持っている方が多そう」だと中島さん。その辺りにも、クレベリンの新たなコンセプトにつながるヒントがあったのかもしれません。

専用ケースまでつくる徹底ぶり

こうした調査結果も意識して、18年9月の全面リニューアル時には、「置き型を入れる白い専用ケース(別売り)に、イラストやメッセージを描けるようにした」と中島さん。受験合格を願うメッセージのほか、入学や卒業祝い、各種イベント時にも使えるようにと工夫したそうです。

メッセージが書ける白い専用ケース(左)と、ダルマデザインの専用ケース(右)。
メッセージが書ける白い専用ケース(左)と、ダルマデザインの専用ケース(右)。(写真提供=大幸薬品)

また、翌19年9月には、置き型専用ケースに「福」と描いた「ダルマデザイン」を採用。同時に、スティック型での「フックタイプ」の発売も始めました。これは、赤ちゃんの衛生対策として使いやすいよう、ベビーベッドに掛けて使用できるデザイン。いまではドラッグストア以外に雑貨店や、ベビー用品を扱う店でも売られています。

なぜシェア8割なのに、細かな工夫を続けるのか

ベビーベッドに掛けて使える形状や、「福」と描かれたダルマデザインといえば、いずれも「妊娠」と「受験期」、すなわち先の調査結果にあった、女性たちがクレベリンを欲する時期を意識したものだと分かりますよね。

ただ、「そこまで細かく工夫しなくても」と感じる人もいるかもしれません。なにしろ、クレベリンは主力の置き型で、既に置き型製品全体において国内シェア約8割を誇る超人気ブランド。今年の状況(新型肺炎の世界的流行)は特殊ですが、それ以前も毎年需要はうなぎ昇りでした。

にもかかわらず、なぜクレベリンは細かな商品ラインナップの見直しを図っているのか。実はここに、マーケティング上で陥りやすい「ブルー・オーシャンのわな」があります。

ブルー・オーシャン戦略とは

ブルー・オーシャンについては、既にご存じの方もいるでしょう。2004年、フランス・欧州経営大学院(INSEAD)のW・チャン・キム教授とレネ・モボルニュ教授が、同名の著書で提唱した経営&マーケティング戦略です。

彼らが「ブルー・オーシャン」と呼んだのは、真っ青に澄み切った海のように、まだ競争が起きていない未開拓市場のこと。これに対して既存の市場、すなわち競争が激しい領域は「レッド・オーシャン(血で血を洗うほど競争が激しい市場)」と呼ばれ、後から参入するのが難しい。

なぜなら、既に市場に参入している企業がシェアを獲得しているほか、持ち前の技術などでコストダウンを図り、同じような商品を「安く」提供できる可能性が高いからです。

ブルー・オーシャンも、いつまでも青くない

そこで昨今、多くの企業が狙うのは、比較的参入しやすい「ブルー・オーシャン」市場。既述の通り、中島さんも「07年当時、『空間除菌』という市場は、まだ形成されていなかった」と話していた通り、そのころは未開拓の領域だったからこそ、クレベリンのような新商品が新たな市場を創造できたと言えるでしょう。

ところが、この市場にも注意点があります。それは、真っ青に澄み切った海が、いつまでも澄んだままではない、ということ。

よく例に挙がるのが、「クロネコヤマト(ヤマト運輸)」です。同社が、個人宛の宅急便市場を開拓した1976年ごろまで、物流業界では“遠距離・大口”の物流が主流でした。だからこそ、ヤマト(当時・大和運輸)は“近距離・小口”を強みに、新たな市場を開拓できたのです。

レッド・オーシャン戦略とブルー・オーシャン戦略

ですがその後、同じ分野に参入する企業が相次ぎ、真っ青な海だった“近距離・小口”の宅急便市場は、いつしかレッド・オーシャンへと変貌しました。参入しやすい市場だったからこそ、他にまねされやすく、競争が激化してしまったのです。

ブルーとレッドの間をうまく泳ぐ

だからこそ大幸薬品は、家庭用の販売を始めた08年直後から、空間除菌を裏付けるエビデンス(証明できるデータ)を次々に獲得。

並行して、11年に二酸化塩素製品の正しい普及や品質向上のために「日本二酸化塩素工業会」を設立、安全性の規格を作成したほか、近年では度々、商品の形状やラインナップの見直しにも努めているのでしょう。

まだ荒らされていない、魅力的な新市場。でもそれゆえ、開拓後は新規参入組に打ち勝てるよう、さらなる差別化や需要の引き寄せに尽力する必要がある。「クレベリン」は、まさにブルーとレッド、二つの海の市場領域を、うまく泳いできた好例と言えるのではないでしょうか。