アジア諸国で現地のリーダー候補を育成
2010年代以降、セルムでは顧客企業における国内の人材開発だけでなくアジア圏での現地スタッフ育成にも力を入れており、上海とシンガポールにも拠点を持つ。田口佳子さんはその2拠点の代表として、2014年にシンガポールへ赴任。グローバル展開する日系企業のために、現地のリーダー候補を発掘・育成する仕事に携わっている。
「日系企業のグローバル化のチャレンジの一つはアジアにある。でも、日本とアジアの国々では、文化もビジネスに対する常識も大きく違います。互いにギャップがある中で、どうすれば協力して成果を出していけるのかを日々考えています」
田口さんの仕事は、いわばグローバルタレントマネジメント。コンサルティングやコーチングを通じて人の意識や考え方を変え、多国籍のチームが協力して成果を出していけるよう導く役割を担っている。現地スタッフと日系企業、双方の意識に働きかける難しい仕事だが、「人は変われるもの」と信じ、そのきっかけをつくる仕事にやりがいを感じているという。
以前の勤務先はリクルート。セルム創業者と現社長はリクルート時代の先輩・後輩で、田口さんはこの2人からの誘いで転職を決めた。前職では同期の中でいち早く昇進するなど活躍していたが、出産を機に契約社員になってからは、成果を出したい気持ちと自分の立場との間でジレンマを抱えていたのだそう。
売り上げ重視のあまり「人」を後回しに
意欲も下がりかけていたというが、新たな挑戦の場を得たことで心機一転。リクルートで培った営業手腕を武器に多くの新規顧客を開拓し、設立6年目だったセルムを一気に成長軌道へ押し上げた。
猛烈に働きながらも、会社の成長に貢献できている実感があり「とても充実していた」と振り返る田口さん。ただ、その陰には、今も心が痛む大きな失敗もあった。
会社が急成長すれば、社員数も急いで増やさなければならない。当時のセルムには、田口さんたち営業担当者がとってきた仕事を維持管理する人材が足りず、ある時20人を一気に採用。ところが、それでも増え続ける仕事量には追いつかず、その後15人もが辞めてしまった。
「当時は、私も含めて会社は売り上げ重視でした。仕事をとってきさえすればそれでOKという考え方。後は現場に振れば回してくれるものだと勘違いしていたんです。採用した人たちを丁寧に育てるとか、働きやすい環境を整えるなんてことは後回しでした。皆がんばってくれていたのに、本当に申し訳ないことをしました」
15人の中には、ある日突然出社しなくなった人もいれば、不満をぶちまけて辞表をたたきつけた人も。上層部のメンバーは、こうした事態になって初めて「人」の大切さに気づき、自分たちの姿勢を大いに反省したという。
現在の田口さんの仕事は、会社をいかに発展させ続けるか、という経営の仕事。過去の失敗を生かし、今は時間をかけて現地スタッフの能力や意欲を伸ばすことに優先を置いている。「スタッフが常に成長できているか」「チャレンジの機会を提供できているか」を絶えず気にかけるようになった。
「加えて、人を育てるには任せることも大事だと思うようになりました。私は何でも自分でやろうとしてずっとワーカホリック気味だったんですが、それでは部下が育たないし、働き過ぎる人って周囲にプレッシャーを与えちゃうんですよね。そんな自分を変えたいと思って、いかに任せられるか、に集中しています」
仕事と育児の両立失敗から学んだこと
ワーカホリックが変わったのには、さらにもう2つの理由がある。ひとつはシンガポールに赴任して「自分よりも周りの方がよく知っている。特に現地のことは現地の人に聞くのがいちばん」と思うようになったこと。そしてもうひとつは、育児に際して「自分一人で頑張りすぎると周りに迷惑をかける」と痛感したことだった。
シンガポールへの赴任は、キャリア最大の転機になった。アジアの現場にきて、現地の人の考え方を知り、発想の違いに触れた。「スピード優先でまずはやってみる」という柔軟な姿勢も、ワークライフバランスを大切にする働き方も、田口さんにとっては驚きの連続だったという。
一方、育児では痛い失敗を経験した。長女がまだ小さかった頃、預け先で熱を出したため急きょ仕事を切り上げてお迎えに。自宅に連れ帰ったところで顧客から電話があり、緊急対応しなければならない事態に陥った。
体調不良で泣き出した長女をあやしながら、必死で電話に応対していた田口さん。だが、泣き声があまりにも大きくなったため、とうとう長女を残して家を出てしまった。早く電話を切り上げて戻らなければという焦りから、顧客にもきつい口調で決断を迫ってしまい、これが思わぬ結果を引き起こした。
「母親としても職業人としても最低ですよね。後日、そのお客様から『もうあの人とは仕事したくない』と言われてしまいました。セルムにまで悪い印象を持たれてしまって……。育児と仕事を両立するなら、何がいちばん大事かを自分の中で決めておかないと。私にとっては子どもがいちばんですから、それなら仕事をあらかじめ誰かに任せておくべきでした」
その長女も今は大学生。アイルランドで医師を目指して勉強中で、将来的には途上国での医療活動を希望しているそう。こうしたグローバルな考え方は、シンガポールへの赴任を選択した田口さんの影響もあるのではないだろうか。
悔しさをバネに2年かけて社長を説得
海外赴任は、家族のある人にとっては大きな決断だ。夫の仕事や子どもの学校といった気がかりから、チャンスがあっても辞退したり単身赴任を選んだりする人も少なくないだろう。
しかし、田口さんは自ら赴任を熱望し、会社に対して2年もの間、シンガポールへ行かせてくれと言い続けたという。なぜそれほどまで赴任したかったのか尋ねると、「悔しがり、だったからですよ」といたずらっぽく笑った。
10年ほど前、グローバル戦略を重視する日系企業が増え始めた頃。田口さんは、ある顧客から「海外での人材戦略は日本のコンサルティング会社には無理。だから外資の会社を使う」と言われてショックを受ける。猛烈に悔しかったそうだが、確かに現場感覚ではグローバル企業にかなわない。
「顧客がますますグローバル経営に向かっているにもかかわらず、相談してもらえなくなる。セルムの価値はなくなるのでは。そんな強烈な危機感が募り、今、海外の現場を知っていることが、今後の顧客への価値を分ける、と当時の社長に訴えました」
最初は反対していた社長も、田口さんが仕掛けたアジアの現場の顧客訪問を繰り返す中でようやく納得してくれた。念願のシンガポール赴任が決まってホッとしたとはいえ、気がかりだったのは家族の反応。ところが、単身赴任も覚悟しつつおそるおそる切り出してみると、意外なほどあっさりと“家族全員で移住”が決まった。
当時、夫はフリーのエンジニアで長女は中学2年生。聞けば、もともと2人とも「これからは広く世界を見ておくべき」と考えていたそうで、移住にはむしろ積極的なぐらいだったという。
家族の応援もあり、今は仕事に全力投球できているという田口さん。今後の目標を「切り込み隊長のように、常に新しいことに挑戦していくのが私の持ち味。アジアや日本で輝く人をたくさん生み出すことに貢献したい」と語る。
「私はたまたま入ったリクルートで仕事の楽しさを知り、そこで出会った先輩・後輩のおかげでステージが広がりました。キャリア理論に『プランド・ハプンスタンス(個人のキャリア形成は予期せぬ偶発的な出来事に大きく影響される)』という言葉がありますが、本当にその通りですね。仕事には困難もつきものですが、人と出会う喜びを糧に乗り越えていきたいと思います」
役員の素顔に迫るQ&A
Q 好きな言葉
自分の命を燃やせ
「せっかく生を受けてこの世に生まれてきたからには生きる意味があるはず。その意味を考え続け、精いっぱい生きたいと思っています」
Q 愛読書
『生き方』稲盛 和夫
『経営学』小倉 昌男
「『生き方』からは、困難を伴う経験こそが人生を豊かにするのだと学びました。『経営学』は前例のないことに挑戦する心構えを教えてくれた本で、私のバイブルになっています」
Q 趣味
仕事を通じた出会い、ヨガ、娘と過ごすこと