社会保険の適用拡大はどこまで進むか
社会保険(厚生年金・健康保険)のパート労働者への適用範囲を拡大する政府内の議論が大詰めを迎えている。
すでに2016年の法改正で①従業員501人以上の企業、②週労働時間20時間以上、③月収8万8000円以上(年収106万円以上)④雇用期間1年以上見込み、⑤学生でないこと――の要件を満たすパートは強制的に加入することになっている。
今回は従業員500人以下の企業にまで拡大し、来年の通常国会に改正法案を提出する予定だ。2016年の改正では約40万人が社会保険に加入している。現時点では従業員数が「50人超」「20人超」「撤廃」の3案が出されているが、新たに適用される人数はそれぞれ65万人、85万人、125万人に増える見込みだ。
主婦パートが適用されると、当然ながら健康保険は夫の被扶養者保険から外され、勤務先の健康保険に加入する。年金は第3号被保険者から外れ、厚生年金に加入することになる。
適用拡大2つの目的とは
適用拡大の目的は2つある。1つは多くの雇用者が厚生年金に加入することで将来の給付水準が向上することだ。厚生労働省は19年8月に公的年金の財政検証結果を公表したが、現役世代の収入に対する年金額の割合(所得代替率)は現在61.7%であるが、30年後には経済成長と労働参加が一定程度進むケースでも50.8%に低下すると推計している。これが企業規模を50人超に拡大すれば所得代替率は0.3ポイント、20人超は0.4ポイント、撤廃は0.5%ポイント増えると試算している。
もう一つは厚生年金に加入することで働き手の受け取る年金額が増えることだ。厚生年金に加入していないパートは将来国民年金(第一号被保険者)しか受け取れない。第3号被保険者の主婦パートも国民年金と同じ額の基礎年金しか受け取れないが、厚生年金に加入すれば老後の年金が増えるメリットもある。
狙いは第3号被保険者を減らすこと
しかし、もう一つの狙いがある。それは年金保険料負担を免れている会社員と公務員の妻である第3号被保険者を極力減らしていこうというものだ。
第3号被保険者制度は1985年の年金制度改正で導入された。2018年度の第3号被保険者の数は847万人だ。それ以前は会社員の妻も任意で年金保険料を払って国民年金に加入していた。当時は約7割の主婦が国民年金に加入していたが、残りの3割は加入しておらず、将来、無年金状態になることが危惧された。本来なら今でもそうであるように強制加入させるべきだが、当時の政府は約7割の国民年金加入者も含めて全員の保険料負担を免除する第3号被保険者制度を導入したのである。当時は今と違って年金財政にもゆとりがあった。政府としては、外で働く夫を支える妻の“内助の功”に報いたいという思いもあった。
だが、制度が導入されたのはくしくも男女雇用機会均等法成立の時期と重なる。女性が働きやすくなるような制度を整備する一方で、女性を家に閉じこめておくような年金制度を設けるという矛盾を当初から内包していた。
その矛盾が時代の変化とともにあらわになっていく。夫婦ともに正社員という共働き世帯が増加し、専業主婦世帯が減少していく。加えて、未婚者など単身者やシングルマザーも増加していく。一方、専業主婦でありながら働きに出る主婦パートも増加していくが、第3号被保険者の適用範囲内である年収130万円未満に抑えようとする。いわゆる「就労調整」が顕在化していくようになると、共働き世帯や単身者から不公平だとの批判が沸き起こるようになった。
個人の働く意欲を阻害しない社会保険制度を
今回の法改正は厚生労働省の審議会(社会保障審議会年金部会)で議論されているが、議論の土台となる厚労省の報告書(「働き方の多様化を踏まえた社会保障の対応に関する懇談会」2019年9月20日)でも、この問題について触れている。
「まず、男性が主に働き、女性は専業主婦という特定の世帯構成や、フルタイム労働者としての終身雇用といった特定の働き方を過度に前提としない制度へと転換していくべきである。(中略)ライフスタイルに対する考え方が多様化する中、生涯未婚の者や、離婚の経験を持つ者、一人親で家族的責任を果たしている就労者もいる。(中略)社会保険制度は、こうしたライフスタイルの多様性を前提とした上で、働き方や生き方の選択によって不公平が生じず、広く働く者にふさわしい保障が提供されるような制度を目指していく必要がある。加えて、個人の働く意欲を阻害せず、むしろ更なる活躍を後押しするような社会保険制度としていくべきであり、特に、社会保険制度上の運用基準を理由として就業調整が行われるような構造は、早急に解消していかなければならない」
第3号被保険者の就業調整の問題点については「自ら追加的な保険料を負担する必要がないため、被扶養者認定基準(現在は年収130万円未満)を意識した就業調整が行われることになり、短時間就労する女性の働き方に大きな影響を与えてきたとの指摘がある」とも述べている。
ただし、第3号被保険者については「適用範囲を拡大することで制度のあり方について将来像を議論していく必要性が指摘された」という文言にとどまっている。
第3号年金は日本の労働市場に悪影響
その後、開催された厚労省の審議会(9月27日)でも第3号被保険者について熱い議論が戦わされた。その中である委員は「第3号被保険者が近くのスーパーで働き始めると、単身者やシングルマザーなどの自身で生計を立てざるをえない方々の賃金水準とか労働条件に悪影響を与えるばかりか、近隣の商店街の経営にも悪影響を及ぼしかねないということになるのではないか」と指摘している(議事録)。
つまり、第3号被保険者が就業調整をするために賃金が上がりにくい構造になり、他の働き手の賃金も低いままに据え置かれ、その分、スーパーは商品を安く売って競合する地域の商店の経営に悪影響を与えると言っている。そしてこの委員はこう述べている。
「これはもはや一定程度正義の問題なのだろうと思います。社会保険は世界第4位の質を誇ると言われております日本の労働市場への悪影響を排除するということ、これが喫緊の課題だと思っております」(議事録)
第3号被保険者制度の廃止を示唆するこうした勇ましい議論が飛び交ったが、結局、従業員規模を500人以下に引き下げて社会保険の適用範囲を拡大することで決着しつつある。しかも現時点では自民党などとの調整作業で「51人超」になることが有力視されている。
官庁職員、議員の妻に多い第3号被保険者
なぜ、この問題の根幹である第3号被保険者制度の廃止に踏み込まないのか。政権党の自民党の委員会は第3号被保険者制度の廃止以前に、企業規模要件の撤廃にも反対している始末である。その背景には年金や健康保険料は労使折半で払うため、負担増となる流通業などの中小企業の団体への配慮がある。第3号被保険者制度の存廃については、847万人の被保険者を敵に回すと、選挙に不利になるとの思惑もある。
また、政府内では、とくに年金を所管する厚生労働省内には公平・平等の観点から第3号被保険者制度を見直すべきとの意見もある。だが、官庁の職員(公務員)や議員(国会議員)の妻に第3号被保険者が多く、見直しに消極的という話も耳にする。
一方、すでに「従業員501人以上」の企業は社会保険に加入することになっているが、大企業で構成する経団連と労働組合の中央組織である連合は、企業規模要件は撤廃すべきと主張している。
また、連合は企業規模要件の撤廃に加えて、週20時間以上働く人、または給与所得控除の最低保障額以上(2020年から55万円)のいずれかに該当すれば社会保険に適用させるように求めている。主婦など被扶養者の年収要件も現行の130万円以上から55万円以上にすることを求めている。連合としては、働く人のすべてが社会保険に加入するべきだと主張し、それによって第3号被保険者の加入者を縮小していくという方針だが、第3号の存廃についての議論にまで踏み込んではいない。
存廃の議論を避けるのは政府の怠慢
仮に働く人すべてが社会保険に加入すれば、純粋に専業主婦だけが残る。その中には夫が高額の報酬を得ている主婦もいれば、夫が低収入であっても家事や子育てで忙しく、働きに出られない主婦もいる。議論に踏み込まないのは、その女性たちを第3号から第1号に移行させて、毎月1万7000円の国民年金保険料を払わせるのがよいのか、という微妙な事情もあるようだ。
しかし、そうした事情があるにしても、第3号制度の見直しの議論の中で、低所得の第3号被保険者の妻の救済措置も考えられるのではないか。世帯収入に応じた保険料支払いの免除の延長や、保険料を引き下げて段階的に上げていく措置なども想定されるだろう。いずれにしても第3号被験者制度の存廃の議論に踏み込まないのは、政府の怠慢というべきだろう。
この問題を含め政府の今後の議論や、法案が提出される来年の通常国会での議論に期待したい。議論が進まなければ、結果として企業規模要件の拡大で中小企業で働く人に拡大されるだけにとどまり、従来の「130万円の壁」から、新たに「106万円の壁」の対象者が増えるというだけにすぎない。
働く人たち同士の不公平さを解消するのはもちろん、正社員とパート労働者などの非正社員の賃金格差の解消にはほど遠いのが現実である。