本日の「即位礼正殿の儀」にちなんで、働く男女1000人以上にアンケート調査を実施。自由回答からは、雅子さまや愛子さまをはじめ、女性皇族に対する強い期待の気持ちが読み取れる。
静養先に向かうため、JR那須塩原駅に到着された天皇、皇后両陛下と愛子さま=2019年8月19日、栃木県那須塩原市(写真=時事通信フォト)

そもそも、即位礼正殿の認知度は?

「では次の打ち合わせは22日で」「22日は祝日ですよ」。

2019年10月22日(火)が祝日になっていることに気づいて「えっ、そうなの」と思った人々が日本中に続出したであろう、この秋。令和の新天皇・皇后の即位に伴い、即位の日2019年5月1日と、即位を国内外へ公式に示す「即位礼正殿の儀」が開かれる10月22日を祝日扱いとする法案が決定したのは2018年の11月だった。そのため、10月22日を祝日表示する印刷が間に合わなかったらしき手元のカレンダーや手帳に、私も慌てて赤い丸をつけたクチである。皆さんはいかがだろうか?

プレジデントウーマンWEB版では、10月22日「即位礼正殿の儀の行われる日」にちなみ、日本国内の30代~50代の働く男女に向けてこの祝日や皇室への関心についてアンケートを実施(実施期間は10月7日~10日)。1059名(女性655人、男性414人)から回答を得た。

【調査概要】株式会社インサイトテック調べ
同社が運営する「不満買取センター」ユーザーのうち、フルタイムで働く30~50代のユーザーの不満投稿1,059件/1,059名を抽出(2019年10月7日~10日)。内訳は女性655人、男性414人。

名前も祝日であることも知っていた人が半数

「2019年10月22日は『即位礼正殿の儀』として祝日ですが、ご存知でしたか?」と聞いたところ、「名前も祝日なのも知らなかった」と答えた私のようなうっかり者は20.21%、「名前は知らなかったが祝日なのは知っていた」と答えたちゃっかり者は18.04%、「名前は知っていたが祝日なのは知らなかった」と答えた真面目な人たちは13.79%で、それぞれの温度感が伝わってくる(図表1)。

だが印象的なのは、「名前も祝日であることも知っていた」と答えるしっかり者が47.97%、ほぼ半数もいたことだ。この層は「『即位礼正殿の儀』に何が行われるかご存知ですか?」との別の問いに「知っている」と答えた51.83%の層と大部分で重なっているのだろう(図表2)。

私などは正直「正殿」の読み方にさえ一瞬迷い、こっそりとググるような体たらくであるが、その日に何が行われるかも半数以上が知っているなんて、日本国民がいまや皇室行事に向ける関心がいかに高いかが物語られているように思うのだ。

皇室への関心が高まっている

そんな感触は、次の質問への結果で確かなものになった。「令和になって、皇室への関心度に変化はありましたか?」との問いに対し「かなり高まった」が5.57%、「高まった」が20.11%と、4人に1人以上が皇室への関心が向上したとの自覚を持つ(図表3)。

このアンケート調査を実施後にパレードは延期されることになったが、「『即位礼正殿の儀』の祝日当日はどう過ごすか」との問いに「TVでパレードを見る」が20.30%、それ以上に熱が入り「現地にパレードを見にいく」(1.23%)という人々もいた(図表4)。

全体的にはもちろん温度差はあるものの、日本人の約4人に1人が「即位礼正殿の儀」を見届けようと考えており、しかも皇室への関心が高まったと自覚している。しかもその男女率を見ると、女性の方がわずかに上回っているのである。

1000人アンケートに表れた「新しい皇室への期待」

「令和にあなたが求めることを教えてください」

アンケートの最後には、自由回答でこんな質問をした。「今まで通り平和で穏やかに」「戦争や災害のない、平和な世の中になってほしい」「経済安定、将来の不安がなくなり、希望の持てる社会になってほしい」など、平和や幸福度の上昇を求める回答が大勢だが、「日本の男女平等が進み、女性がこれ以上理不尽な目に遭わない社会へ」「雅子さまの外交力を活かして、世界での日本の存在感を出していってほしい」「女性天皇への議論が進むべき」など、日本社会や皇室の男女同権について言及した意見も目立つ。

日本人女性の中でも稀に見るほどの優れた経歴を持つキャリアウーマンが、日本のプリンスから是非にと請われて天皇家へ嫁ぎ、人々の様々な目論見や願望を一身に背負うプリンセスとなった。男子のお世継ぎを産むことを期待されるが叶わず、プリンセスを愛し全力で守ると宣言したプリンスが静かな怒りを湛えて「人格否定」とまで代弁するほどの周囲との軋轢の渦中で、プリンセスは適応障害と診断される。以来16年、自分が望んだのとは異なる表情をした「役割」を与えられ、ゆっくりとぎこちなくこなしながら、日本のプリンセス雅子は長い療養生活の中にあった。今も療養中ではあり、決して全快したわけではない。

その雅子さまが皇后となられて以来、大衆メディアで「令和のPVクイーン」とまで呼ばれるほどに人々の関心を引いている理由を、私は以前このコラムでこう書いた(「なぜ雅子様は突如として日本社会で復権したか」)。

 G20での雅子さまは有り体に言って、ゴージャスだった。語学力も国際外交力も、どこに出したって恥ずかしくない品格と教養と体格の持ち主である皇后が、もはやプリンセスなんて副次的な立場でなく主役の天皇夫妻として日本の外交の大舞台で堂々と振る舞い、海外の賞賛の声を獲得する。それは、欧米人に比べて「貧相」「貧弱」との印象をどうしたって払拭できない日本人が、政治やら外交の場で初めて「対等にゴージャス」と映る瞬間だったのだ。皇后雅子という存在は、男女にかかわらず日本外交史上「破格」であると、誰もが理解した。
 もともとの雅子さまファンたちは、「彼女がようやくあるべき姿に戻った」と感じて快哉を叫んだだろう。だがそれと同時に、あのG20で雅子さまの姿はどこか日本人の対外的な「誇り」にぴったりとマッチして、彼女は(ヒロインではなく)ヒーローになったのだ。

父や夫の添え物ではない新しい女性皇族の姿

昭和の頃から、皇室のあれこれは週刊誌や女性ゴシップ誌の「鉄板ネタ」ではあった。だが、それらを日頃から好んで読む層では決してなかったような人々までもが、別の観点から皇室への関心を高めている。どうやらその中には新皇后雅子さまや女性天皇議論への共感、関心があるらしいというのが、アンケートの自由回答から読み取れた。

「雅子さまの活躍を期待しています」「ご体調が心配ですが、無理なくご自身のペースで頑張って」「愛子さまを皇太子に」。雅子さまや愛子さまだけではない。これまでのバッシングや不遇を乗り越えて、父や夫の添え物ではなく自我のある個人として主体的に、新たな舞台で輝いていく新しい女性皇族。多くの人々は天皇家の新時代にこれからの日本社会や家族の姿を投影しているのだ。