理解に苦しむような凶悪な犯罪が後を絶ちません。医療少年院での勤務経験がある立命館大学教授の宮口幸治さんは、凶悪犯罪を行った少年たちに理由を尋ねても難しすぎて答えられないというケースが多いと指摘します。そしてある検査をきっかけに、彼らが犯行の理由を説明することも反省することもできない理由が明らかになっていきます――。

※本稿は、宮口幸治『ケーキの切れない非行少年たち』(新潮新書)の一部を再編集したものです。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/akiyoko)

「凶暴で手に負えない少年」の真実

私は2009年から法務省矯正局の職員となり、医療少年院に6年間、その後、女子少年院に1年余り、法務技官として勤務してきました。医療少年院には現在も非常勤で勤めていますのでもう10年以上になります。医療少年院は、特に手がかかると言われている発達障害・知的障害をもった非行少年が収容される、いわば少年院版特別支援学校といった位置づけです。全国にこのような少年院は3ヶ所あります。非行のタイプは窃盗・恐喝、暴行・傷害、強制猥褻、放火、殺人まで、ほぼ全ての犯罪を行った少年たちがいます。

私が勤務していた医療少年院にも、ほぼ全ての種類の非行・犯罪を行った発達障害もしくは知的障害をもった少年たちが、鉄格子の奥の部屋に収容されていました。当初はとても恐ろしく感じましたが、よく見ると少年たちの表情はそこまで暗くはなく、むしろ穏やかで、近くを通ると元気よく挨拶してくれました。

“手がかかる少年”が描いた絵

勤務して直ぐ、私は少年院の中で最も手がかかっていた少年の診察を頼まれました。少年院で「手がかかる」というのは、学校で「手がかかる」というのとは次元が違います。その少年は社会で暴行・傷害事件を起こし入院してきました。少年院の中でも粗暴行為を何度も起こし、教官の指示にも従わず、保護室に何度も入れられている少年でした。ちょっとしたことでキレて机や椅子を投げ飛ばし、強化ガラスにヒビが入るほどでした。いったん部屋で暴れると非常ベルが鳴り、50人はいる職員全員がそこに駆け付け少年を押さえつけて制圧します。制圧された少年は、トイレしかない保護室に入れられ大人しくなるまで出てこられません。そういったことを週に2回くらい繰り返していた少年でした。

そんな情報が耳に入っていたので、内心びくびくしながら診察にのぞみました。どんな凶暴な少年が来るのかと思っていたら、実際に部屋に入ってきたのは、小柄で痩せていておとなしそうな表情の、無口な少年でした。こちらの質問にも「はい」「いいえ」くらいしか答えません。ときどき「え?」と聞き返していました。あまり会話が進まないので、私はこれまで病院での診察の中でルーチンとして行っていたRey複雑図形の模写という課題をやらせてみました。これは【図表1】のような複雑図形を見ながら手元の紙に写すという課題です。神経心理学検査の一つで認知症患者などに使用したり、子どもの視覚認知の力や写す際の計画力などをみたりすることができます。

彼は意外にもすんなりと課題に一生懸命取り組んでくれたのですが、そこで生涯忘れ得ない衝撃的な体験をしました。彼は黙々と【図表2】のようなものを描いたのです。

世の中のすべてが歪んで見えている?

これを見た時のショックはいまだに忘れられません。私の中でそれまでもっていた発達障害や知的障害のイメージがガラガラと崩れました。

ある人に見せて感想をもらったことがあるのですが、彼は淡々と「写すのが苦手なのですね」と答えました。確かにそうかもしれませんが、そんな単純な問題ではないのです。このような絵を描いているのが、何人にも怪我を負わせるような凶悪犯罪を行ってきた少年であること、そしてReyの図の見本がこのように歪んで見えているということは、“世の中のこと全てが歪んで見えている可能性がある”ということなのです。

そして見る力がこれだけ弱いとおそらく聞く力もかなり弱くて、我々大人の言うことが殆ど聞き取れないか、聞き取れても歪んで聞こえている可能性があるのです。

私は、“ひょっとしたら、これが彼の非行の原因になっているのではないか”と直感しました。同時に、彼がこれまで社会でどれだけ生きにくい生活をしてきたのか、容易に想像できました。つまり、これを何とかしないと彼の再非行は防げない、と思ったのです。

私はすぐに少年院の幹部を含む教官たちにも絵を見せたのですが、皆とても驚いていました。ある幹部は「これならいくら説教しても無理だ。もう長く話すのは止めよう」と言ったほどでした。すぐに理解してくれたのはいいのですが、私が意外だったのは、ベテランの教官たちがどうしてこれまでこういった事実に気付かなかったのか、ということでした。気づかずに「不真面目だ」「やる気がない」と厳しい指導をしていたのか。だとしたら、余計に悪くなってしまうのです。実は凶悪犯罪を行った非行少年の中に、かなりの割合でこういった少年がいるのではないか、それは成人の犯罪者でも同じではないのか、と私は感じ始めました。

もちろん、障害のある少年だからといっても犯罪行為は許されることではありません。しかし、本来は支援されないといけない障害をもった少年たちが、なぜこのような凶悪犯罪に手を染めることになったのかが問題なのです。

反省以前の問題

これまで多くの非行少年たちと面接してきました。凶悪犯罪を行った少年に、何故そんなことを行ったのかと尋ねても、難し過ぎてその理由を答えられないという子がかなりいたのです。更生のためには、自分のやった非行としっかりと向き合うこと、被害者のことも考えて内省すること、自己洞察などが必要ですが、そもそもその力がないのです。つまり、「反省以前の問題」なのです。これでは被害者も浮かばれません。

こういった少年たちの中で、幼い時から病院を受診している子はほとんどいません。彼らの保護者・養育環境はお世辞にもいいとは言えず、そういった保護者が子どもの発達上の問題(絵を写すのが苦手、勉強が苦手、対人関係が苦手など)に気づいて病院に連れていくことはないからです。病院に連れてこられる児童は家庭環境もそこそこ安定しており、その親も「少しでも早く病院に連れて行って子どもを診てもらいたい」といったモチベーションを持っています。

非行化した少年たちに医療的な見立てがされるのは、非行を犯し、警察に逮捕され、司法の手に委ねられた後なのです。一般の精神科病院に、こういった非行少年たちはまず来ません。(中略)

学校で気づかれない子どもたち

では彼らは、いったい学校でどんな生活を送っていたのでしょうか。彼らの生育歴を調べてみると、大体、小学校2年生くらいから勉強についていけなくなり、友だちから馬鹿にされたり、イジメに遭ったり、先生からは不真面目だと思われたり、家庭内で虐待を受けていたりします。そして学校に行かなくなったり、暴力や万引きなど様々な問題行動を起こしたりし始めます。しかし、小学校では「厄介な子」として扱われるだけで、軽度知的障害や境界知能(明らかな知的障害ではないが状況によっては支援が必要)があったとしても、その障害に気づかれることは殆どありません。中学生になるともう手がつけられません。犯罪によって被害者を作り、逮捕され、少年鑑別所に入って、そこで初めて「障害があったのだ」と気づかれるのです。

宮口幸治『ケーキの切れない非行少年たち』(新潮新書)

医療少年院では、彼らにこれまでの人生を表した“人生山あり谷ありマップ”を書いてもらっていました。縦軸の上方向によかったこと、下方向に悪かったことを書いてもらいます。横軸は時間です。ある少年は、小学校2~4年まで学校によく遅刻していて万引きまでしていたのですが、小学校5年になってとても熱心な先生に出会えて、“勉強が面白い”“学校が楽しい”と感じるまでになりました。万引きしていた子が学校が楽しい、勉強が楽しいと言い出したのです。きっと小学校5年時の担任の先生にとったらこの子はとても遣り甲斐のある子どもだったはずです。しかし、彼の人生は中学に入って急降下していきます。“学校に遅刻”“学校をさぼる”“悪いことをして逮捕される”などして、少年院に入ることになってしまいました。

子どもが少年院に行くのは教育の敗北でもある

しかし、どうして中学校に入って急降下したのでしょうか? 実際に少年に聞いてみたところ、「中学に入ったら全く勉強が分からなくなった。でも誰も教えてくれなかった。勉強が分からないので学校が面白くなくなり、さぼるようになった。それから悪いことをし始めた」と答えました。

つまりこの少年の場合、中学校で先生が障害に気づいてくれて、熱心に勉強への指導をしてくれていたら非行化しなかったでしょうし、被害者も生まれなかったのです。非行化を防ぐためにも、勉強への支援がとても大切だと感じたケースでした。

非行は突然降ってきません。生まれてから現在の非行まで、全て繋がっています。もちろん多くの支援者がさまざまな場面で関わってきた例もあります。でもその支援がうまくいかず、どうにも手に負えなくなった子どもたちが、最終的に行き着くところが少年院だったのです。子どもが少年院に行くということはある意味、“教育の敗北”でもあるのです。