部長昇進の話にも、まったく自信が持てず
東京・両国にあるルネサンス本社オフィスを訪ねると、一枚の表彰状が目にとまる。2019年版「働きがいのある会社」ランキングの「大規模部門(従業員1000名以上)」において、7年連続でベストカンパニーに選出されたという。
「うちの会社が掲げるのは『生きがい創造企業』。健康づくりのサポートを通して、お客さまの生きがい創りのお手伝いをするという理念に惹かれ、自分もいろんな事業に関われるかもしれないと思ったのです」
ルネサンスで法人向けの健康支援に携わってきた荒井恵津子さんにとって、それが志望の動機だった。女性の営業職として先駆けとなるチャレンジも続けてきたが、「部長」昇進を勧められたときはずいぶん迷ったと洩らす。入社15年目を迎えたときのことだ。
「ずっと営業の現場で動くプレイヤーできたので、組織をまとめるマネジメントなどできるだろうか、私には向いてないんじゃないか……と、まったく自信がなかったんですね」
しばらく保留にしてもらい、自分は管理職として何をすべきかと問い直す。そこで気づいたのは、従業員自身の「働きがい」を創り出すことの大切さだった。
「スポーツクラブのスタッフを見ていると、接客の仕方や話術などパフォーマンスの高さに感心します。だから、もっと外へ営業に出ていくことで活躍の場が増えればいいなと。この人たちはもっと輝けるし、ビジネス展開も実現できるんじゃないかと考えました」
契約を一つも取れなかった8カ月間
荒井さんが入社したのは1991年。当時は運営する直営スポーツクラブも10店ほどの中小企業だったが、自由で進取の社風があった。最初はフロント業務からスタートし、1年目の夏には新店の立ち上げを任された。
本社の営業職に異動したのは3年目。職場の健康づくりとして「企業フィットネス」が注目され、大手企業が乗り出したころだ。大学時代はスキーを楽しむ程度だった荒井さんも研修を受け、体力測定などの企業フィットネス業務をこなすことに。そこで法人会員契約の営業活動もするという、いわば社内でも前例がないミッションを与えられたのだ。
そもそも何をしていいかわからないというのが当時の実情で、と苦笑する荒井さん。上司も2カ月ほどは一緒に回ってくれたが、あとは一人で任されて途方にくれる。四季報を見て電話することから始めたものの……。
「最初の8カ月くらいはまったく新規の契約を取れなくて。さすがに、こんなことをしていていいのか、このまま取れなかったら、自分の存在価値はなくなると焦りながら、毎日ドキドキしていました」
お客さまにとって“便利な人”になれ
やむなく友人の会社の先輩をつかまえては、「何をしたらいいんでしょう」とアドバイスをもらうことも。銀行やメーカーなど業種は違っても、そのなかで胸に響く言葉があった。
「それは『お客さまにとって便利な人がいいんだよ』という言葉。例えば接待ゴルフなど休日も同行し、できる限りのことを尽くすのはカッコ悪い、仕事じゃないと感じるかもしれないけれど、その積み重ねが信用につながることもある。だから『本気で仕事を取りたいと思うなら何でもやってみろ』と言われたのです。確かに自分は『私たちの商品は○○です』などと型通りに勧めていたけれど、本当に役立つことをどれだけ考えていたかといえば、やはりできていなかった。まずはお客さまが望むことに向き合ってみる。その先に成果がついてくるのだと気づかされました」
誠心誠意向き合うことで、だんだん契約を取れるようになった。するとそこで得た信用がまた次の仕事につながっていく。自分でも手応えを掴みかけた矢先、頭をガツンと打ちのめされる事態に直面した。
思い入れのあった事業から外され……
入社7年目にさしかかる頃、ある会社と連携して商品サービスを提供する事業が持ち上がる。リスクはあっても、自分としてはやりたい仕事だけに上司を説得して進めたが、途中でストップがかかり、担当を外されてしまう。社内で議論した末、最終的には動き出すことになったが、再び担当に戻されてもすっかり意気消沈してしまった。
「正直、“何だよ、勝手なことばかり!”と思いながら、くさくさしたまま動いていました。自分ではがんばっているつもりなのに、理解されていないと勝手に思い込んでいて……」
そんなとき声をかけてくれたのが、他の部署の上司だった。
「まあ、いろいろあるよね。でも、君の仕事は見ているから」
そんな励ましの言葉に救われたという荒井さん。さらに相手先の部長に中断した事業再開の報告に行ったときのこと。申し訳なくて「すみません……」と詫びることしかできず黙っていると、明るく笑って答えてくれた。
「本当にいろいろありますよね。自分の気持ちは辛いかもしれないけれど、仕事で起きることって意外に大したことないんですよ」と。
部下からの思わぬ反発
社内でも、社外でも、誠実に仕事と向き合っていれば、ちゃんと見ていてくれる人がいる――。荒井さんにとってそうした経験があったからこそ、管理職になるなら部下を育てるうえでそれを活かせたらと思う。その人の持ち味を見ながら、活躍の場を増やしていきたい。
そんな願いを抱いて部長職についたのが2008年。会社としても事業拡大に向けてチャレンジする時期にあった。荒井さんは自身の感覚でスケジュール計画や目標設定をしていたが、部下から思わぬ反発を受けることになる。上司評価で手厳しいコメントが寄せられたのだ。
「やはりそれぞれのペースもあるので、思っている以上に本人にとっては辛かったようです。目標設定が高すぎる、やらなければいけない業務が多すぎる……と。『こんな状態は辛くてたまりません』と言われたり、『あなたとは違います』と言われたり、夜も眠れなくなるようなコメントも。私はちゃんと人を見ていなかったのだと痛感しました。周りの人がどう感じているのかを察する力がなかったんですね」
そんな反省を踏まえ、部下との面談を細やかに行うようにした。最初はお互いに対面では気まずさもあったが、次第に心ひらいて話し合えるようになっていく。そのなかで部下の人柄や持ち味に気づき、それが営業の現場でも活かされていることがわかってきた。
「実際にプレイヤーとして動いてくれているのは部下のスタッフで、私はたまについていくだけです。すると、そこでお客さんとの良い信頼関係ができているのを感じます。会話のやりとりを聞いていると温かい気持ちになったり、部下をほめてくれる外部の方がいると自分も嬉しくなったり。私もお裾分けをいただいたような気持ちになります」
今だから語れる管理職の醍醐味
今も自分には足りないことばかりと、反省しきりの荒井さん。仕事で行き詰ったときは、とりあえず身体を動かすという。外を走ったり、スポーツクラブで運動していると仕事のことを忘れ、汗をかいてスッキリできる。
ルネサンスが提案する健康づくり支援でも、最初はメタボ対策など義務感から始めた場合でも、気がつくとフルマラソンを走ったり、日々の生活でもスポーツを楽しむ人が増えているという。汗をかいて気持ちいいと思えたり、ちょっと頑張った自分をほめてあげたり、気持ちをプラスにもっていけるのが運動の効果。「ただ健康になるだけでなく、心の肯定感につながることをもっと感じてもらいたい」と、荒井さんはいう。企業で広がりつつある「健康経営」の推進にこれまで以上に力を入れていく。
社内では自ら管理職として従業員がいきいきと活躍できる場をつくることを心がけてきた。働く女性たちの中には管理職になることを迷う人も少なくないが、荒井さんならどうアドバイスするのだろうか。
「まずやってみたらいいと勧めます。自分が部下でいる時よりもっと広い世界が見えてくるし、部下の目線も持つことができるのでより多くの経験ができる。自分では築けない人間関係や新しい視点など、部下からもらうものも大きいのでありがたいなと思いますよ」
かつては自分も一歩踏み出せない時期があったが、そこを越えたことで荒井さんの「働きがい」もいっそうアップしているようだ。
ルネサンス 執行役員 健康経営推進部長
1967年、埼玉県出身。91年 明治大学法学部卒業後、ディッククリエーション(2003年に社名をルネサンスに変更)に入社。「スポーツクラブ ルネサンス幕張」にてクラブ運営管理、「スポーツクラブ ルネサンス浦和」の新店立ち上げを担当。93年法人向けの健康支援の企画・営業部門に異動。特定保健指導、認知機能の低下予防などの省庁委託の実証事業や、企業連携による健康支援の事業、法人向けの健康支援の企画・営業を担当。