職場では部下を率い、家では子育てに奔走するママ管理職たち。働き方にどんな工夫をしてきたのか。現場で活躍する8社8人にインタビューしました。第1回はみずほ銀行の若杉さんとTOTOの菊竹さんのケースです――。(第1回、全3回)

※本稿は、「プレジデント ウーマン」(2018年4月号)の記事を再編集したものです。

新卒で入行し、現在は外国人を含む17人のチームを率いる次長として、貿易取引金融商品の企画や海外拠点の新規取引サポートに携わる若杉幸代さん。初めは一般職だったが、26歳のときに総合職へ転換。29歳で長女を、32歳で次女を出産し、産休・育休を活用してキャリアを積んだ。

みずほ銀行 グローバルトランザクション営業部 トレードファイナンス第二チーム 次長 若杉幸代さん

尊敬する先輩に「管理職になると新しい世界が見える」と言われ、若杉さんも管理職を意識するように。最初の育休復帰から約1年で調査役に昇格。うれしさもあったが、リーダーシップやマネジメント能力が問われることへの不安も感じていたという。2度目の育休から復帰した翌年には、かねてより希望していたプロダクツ営業へと異動。これが大きな転機になった。

「念願の部署に異動でき、一刻も早く実力を付けたい焦りと、まだまだ手のかかる育児が重なって疲労困憊。なかなか期待されるレベルに届かなくて……。自分のふがいなさに通勤中に涙ぐむこともありました。持続的に働くことができる環境をつくらないとと、実家からのサポートに加え、週に2、3回はシッターをお願いすることにしました」

37歳のとき、夫がロンドンに転勤となったが、やがて幸運にも若杉さん自身もロンドンへ異動することとなり、家族で3年ほど滞在。ここで、グローバルな視点に立って仕事をすることのダイナミズムや、さまざまな国籍の仲間と案件を作り上げていく面白さを体感した。2016年には赴任先で次長への昇進の発令を受け、夫を残し帰国した。

「育児を理由に仕事を諦める必要はない。勇気をもって前に進んでみると不思議と何とかなるものですね」

▼若杉幸代さんのLIFE CHARTS

新卒で入社してすぐ、大阪支社に配属になった菊竹倫子さん。13年後に東京へ転勤し、全国の販売戦略を推進する部署へ異動。同時期に入籍し、大阪で働く夫とは別居婚がスタートした。新たな仕事についたが、妊娠が判明し、翌年4月に娘を出産。育休後に職場へ復帰したが、ほぼ1人での仕事との両立で、たちまち行き詰まってしまった。

TOTO 人財本部 ダイバーシティ推進グループ グループリーダー 菊竹倫子さん

「福岡出身なので親や親戚も傍にいないし、孤独な子育てでした。保育園からベビーカーを押しながら、“何でこんなにうまくいかないんだろう”と泣きながら帰ることも」

このままでは子育ても会社も中途半端……もんもんと悩んだ末、「もう仕事を辞める」と夫に話すと、「ママ1人で悩まなくてええやん」と予期せぬ返事。自分もがんばるし、周りの人にも手伝ってもらおう、と思い直した。

「自分で全部やらなければと抱えていたけれど、できない時はそう言えばいいと思えたのです」と菊竹さん。

夫がファミリーサポートなどを調べてくれ、頼もしい保育ママ(自宅で子どもを預かる保育者)に出会えた。上司に相談すると、利用できる社内制度を調べてくれた。子連れでの出張にも挑戦した。

40代を前に、上司に「今年は一歩前に出ます!」と宣言。全国規模のプロジェクトを任され、4年後、福岡本社へ転勤になり、がむしゃらに働いて3年目に管理職に昇進した。子育てする部下には「1人で何もかも抱えこまないで」と声をかける。1つ守っているのは毎日の娘のお弁当作り。残さず食べてくれるのは、「ママ、ありがとう」のメッセージと受けとめている。

▼菊竹倫子さんのLIFE CHARTS