キャリアを変えることはリスクです。決断を後悔するかもしれません。それでも新天地に飛び込んだ女性たちがいます。なぜその一歩を踏み出すことができたのか。連続インタビューをお届けします。今回は、損保ジャパン日本興亜ひまわり生命の中川ゆう子さんのキャリアについて――。

※本稿は、「プレジデントウーマン」(2018年4月号)の掲載記事を再編集したものです。

損保ジャパン日本興亜ひまわり生命 健康推進事業部 部長
中川ゆう子
さん 45歳 転職3回 留学

病気を乗り越え心機一転。IT力を活かした職場へ

43歳で異業種転職にチャレンジしたきっかけは、大切な人の死と、自分自身の病気だった。

(下)同社ではFitbit社と提携して、ウエアラブル端末を通して社員の健康情報と活動データを収集している。健康推進事業の1つだ。

「38歳のとき、身近な人が続けて他界。切り替えが早いと言われる私でも、さすがに落ち込みました。そんな状態で普段通り仕事をしようとすると、いろいろなことが悪循環に。『病は気から』といいますが、椎間板ヘルニアになり、歩けなくなったんです」

それまでケガや病気をほとんどしたことがない中川さんにとって、2週間に及ぶ入院生活は想像を絶する辛さだった。

「痛いし動けないしやりたいことは何1つできない。気力はますますダウン。でも、『このままじゃダメだ、まずは気持ちを立て直そう』と思い直したんです。今後どうすれば楽しめるのか? 病院のベッドで延々考え、新しい環境でチャレンジしようと決めました」

退院後、勤務先の日本マイクロソフトに異動願いを出し、心機一転、新しい仕事に取り組む。服薬治療を続けながら、新ソリューションの市場開拓に邁進(まいしん)するうちに病状も回復していった。

「仕事に集中できるし、頭が冴(さ)えてアイデアがわいてきて、それでまた笑顔に。まさに好循環です」

さらに好機が訪れる。知人を通じて、IoTを活用した健康関連の新事業でリーダーを探している会社があると知ったのだ。

「健康こそ、生き方や幸せのベースになる。その+αで自分が楽しいと思える仕事やプライベートを送ることができればいい。そう思う私と、この会社はまさにビジョンが一致。外資系のIT企業にいた私が新しい風を送り込めるならば、と転職を決めました」

43歳で日本マイクロソフトから生命保険会社へ転職

実際入社してみると、社内コミュニケーションのIT化は発展途上段階。対面コミュニケーションを重視するあまり、打ち合わせや電話に時間を取られる現場、スケジュールの調整も延々メールで行う日常に驚いた。そこで、働き方改革の一環として、新たなコミュニケーションツールの導入を提案。作業効率がどんどん上がっていく風景を見ながら、心が弾んだ。

23人の部下を抱える今。何かあっても「大したことない」と流せるようになった。

「気持ちと体調は直結することを、過去の自分が教えてくれました」

22歳:放射線分析機器メーカーのマーケティングアシスタントとして働き始める
27歳:留学先で学んだ知識を活かそうと、ケーブル&ワイヤレスIDCへ
30歳:新規市場の開拓など、やりたいことができる環境を求めて日本マイクロソフトに入社
38歳:身近な人の死に落ち込む
43歳:異業種に飛び込み、社内の健康推進事業と業務効率化に取り組む