キャリアを変えることはリスクです。決断を後悔するかもしれません。それでも新天地に飛び込んだ女性たちがいます。なぜその一歩を踏み出すことができたのか。連続インタビューをお届けします。今回は、野村不動産の眞島明花さんのキャリアについて――。

※本稿は、「プレジデントウーマン」(2018年4月号)の掲載記事を再編集したものです。

野村不動産 都市開発本部 ビルディング事業二部 事業推進課 課長
眞島明花(さやか)
さん 37歳 転職1回

出産のたびに「ちゃんと復職できるんだろうか」と不安に

高校生のときに安藤忠雄の設計した本福寺(ほんぷくじ)(兵庫県)に圧倒されたという眞島さん。大学は建築学科に進み、大学院を修了後、マンションデベロッパーに就職した。

(下)手帳はオーダーメード。「自分だからこそできる仕事をしよう」という思いを込めている。

商品企画とマンション販売の仕事を兼務し、多忙な日々を送っていたが、「取り扱う商品が決まっていたので、仕事の広がりを考えると、この会社では限界があるかな」と感じ、入社2年で転職を決意。野村不動産の第二新卒枠に応募し、採用された。

ところが、配属先はビルディング事業の営業課。

「建築系の部門を希望していたので最初は正直、戸惑いました。ただ、前職で販売の仕事をしていたので、お客さまとお話しすることの重要性はわかっていました。しばらくはここで頑張ろうと」

結婚と2度の産休・育休をはさみ、営業課でのキャリアは足かけ8年に及んだ。出産のたびに、「私はちゃんと復職できるんだろうか」という不安に襲われたが、復帰後の仕事環境は恵まれていた。

「上司は『無理だったら言って』と難易度の高い案件をはじめ、いろいろと任せてくれました。私が飽きっぽい性格だと見抜いていたんだと思います(笑)。ただ、それをありがたく思う一方で、営業での仕事が長くなってくると、『今、私は成長できていないのでは』と焦ってしまう自分がいて……。上司には節目節目で、事業を進めていくようなポジションに異動したいと相談していました」

中学の"卒業文集に書いた夢"をかなえた

眞島さんが心がけたのは、口先だけのアピールではなく、「今ここにある仕事で、今後やりたい方向に寄せていけるものは何だろう?」と考え、できる範囲で結果を出してきたことだ。

2度目の育休から復帰して半年。希望していたビルディング部門の事業推進課への異動が実現した。現在は、2029年度に最終完成が予定されている東京・芝浦一丁目の再開発など、長いスパンの案件を担当している。

「実は私、中学の卒業文集で『都市計画をやりたい』と書いているんですよ。その夢がかなったことになりますね。難易度が高い仕事なので、今までとは違う部分の脳を使って日々葛藤しながらやっています。たまに打ちのめされるようなこともありますが、私は負荷をかけるほうが成長できるタイプなんです(笑)」

26歳:土日はショールームでも働き、多忙な日々を送る
28歳:今の会社に転職
32歳:きちんと職場に復帰できるか不安に
36歳:復帰後のキャリアが見えず再び不安に
37歳:復帰して半年で希望の部署に配属