▼ソウ・エクスペリエンスの現状
・成長期のベンチャーにとって、人材を出産や転職で失いたくなかった。
・人件費に余裕がなく、事務職中心だった女性の活躍を促す動きが出ていた。
モノではなく体験を贈る、新たなギフト市場を盛り上げるソウ・エクスペリエンスは2005年に創業。現在、社員は49人まで拡大し、ギフト販売数も5年で9倍と成長期にあるベンチャー企業だ。経営陣は、代表の西村琢さんを中核に学生時代からの知人が1人、2人と参画して集った面々。東京・目黒にある本社オフィスは、倉庫を改装した開放的な空間で自由な空気に満ちている。
そのにぎやかさの“主役”は、実は社員ではない。社員が連れてきている子どもたちだ。この日は0歳から3歳まで4人の子どもたちが親と一緒に“出勤”。土足禁止のスペースで自由に遊んだり、食事をしたりする傍らで、大人が普通に仕事をこなす。その環境をここで働く誰もが自然に受け入れている。
当日いきなりの、子連れ出勤もOK
同社が「子連れ出勤」を始めたきっかけは、まだ社員数が10人ほどだった4年前。予約・手配業務全般を担当していたパートタイムスタッフが出産し、休職したことからだったという。10分の1の戦力ダウンは切実な問題。「嫌じゃなければ、子連れで来てもらえたら」と西村さんが打診したところ、本人も「家にずっとこもるのは性に合っていないから子連れでいいなら、ぜひ」と希望が一致し、始まったという。すでに西村さん自身が時々子連れで出勤をしていたという背景もあった。
子連れ出勤のペースは一人ひとりの状況や希望に応じて。週に1回の人もいれば、毎日連れてくる人もいる。事前承諾の必要もない。
まさにこの日、子連れ出勤をしていた竹田綾子さんは3児の母。「子育てと仕事の両立をする自信が持てない」という理由もあって結婚を機に4年勤めていた旅行代理店を辞めた経緯がある。第1子を出産後、13年春にカスタマーサービス(CS)部門のアルバイトとして入社。同年秋に第2子を出産した後、子連れ出勤を始めた。
「未熟児で生まれたのですぐに外に預けることが心配で、長めに育休を取るしかないと思っていました。会社に相談したら『子連れで復帰は大歓迎』と言ってもらえたので、8カ月で復帰できることに。子どもの様子を見ながら働けて安心でしたし、働いていることは入園申し込みの加点になり、1歳3カ月から保育園に預けることもできました」
2016年秋に出産した第3子の雫(しずく)ちゃんは週1度連れてくる。普段は保育園に通っているが、週の半ばで一日一緒に過ごすことで体調も安定しやすいのだとか。「子どものことも考えて、働き方を選べるのがありがたいです。周りのスタッフが本当に温かく受け入れてくれるので、後ろめたさを感じたことはありません」
そう言う竹田さんの隣で慣れた手つきで雫ちゃんをあやすのは、同じくCS部門のマネジャーを務める宮坂あずささん。20代独身で「子守経験もなかった」というが、仕事の合間に同僚の子どもと遊ぶうち、すっかり“あやしマスター”に。子どもが身近な存在になったという。
「家族が会社を経営していて、母が育児を理由に仕事を休まざるをえず、苦労していた姿を見ていました。できる人が手を貸さないと社会は回らないと日頃から思っているので、同僚の育児をサポートするのも自然なことだと思っています」
CS部門の社員4人のうち竹田さんを含む2人は子育て中で時短勤務。時短勤務社員は勤務時間が短いため給料体系も変わるが、「業務内容そのものは同じで不公平感は感じない」(竹田さん・宮坂さん)。とはいえ、突発的な子どもの発熱などで欠勤が重なる時など、マネジャーの立場としては頭を抱えることもある。可能な限り早めに連絡をもらって業務フォローする、他部署にも手伝ってもらうなどで乗り切っている。
基本的には保育園に預けることを推奨
ワーママ社員のマネジメントは大変、というイメージが世間にはあるが、宮坂さんからすると「お互いに慣れるための期間が大事。どのくらいまでなら無理なくできるのか、少しずつ調整しながら試す助走期間を数週間は設けてベストバランスを見つけるようにしています」。
子連れ出勤というと女性社員のための優遇策ととらえがちだが、同社では男性社員も積極的に活用している。人材派遣業界から3年前に転職し、CFOを務める楠大介さんも、長女の三惟子(みいこ)ちゃん(1歳6カ月)を膝に乗せてパソコンに向かう。子連れ出勤を始めた理由は「保育園に入れなかったから」。大学の非常勤講師をする妻は授業時間しか勤務と見なされず、入園の申し込み基準を満たさなかった。しかしながら、夫婦共にキャリアは中断したくない。楠さんが半年間の育休を取得後、双方の両親のサポートを得ながら、週1日は子連れ出勤することで共働き生活が成り立っているという。
「もし子連れ出勤ができなければ、妻の働き方を変えざるをえなかった。『困った時にはいつでも職場に連れてきてもいい』という選択肢があることで、気持ちとしてかなり楽になれる。子どもも家とは違う環境を新鮮に感じてくれるので、自宅で子どもを見ながら仕事をするよりも職場の方が数段はかどる」(楠さん)
同社が子連れを無条件で歓迎しているかといえばそうではなく、基本的には保育園に預けることを推奨しており、子連れ出勤はあくまで待機児童になった場合などの“つなぎ”という位置づけ。しかし、このつなぎがあることで「辞めなくていい」という安心につながっている。
また、楠さんは「同僚の子どもたちの成長を観察しながら、1年先、2年先の育児の見通しも立てやすい」という効果も実感。「寝かしつけに苦労するようなリアルな姿も含めて後輩が見て、『これだったら自分にもできそう』と思ってくれたらうれしい」
もっと頑張りたい派も、とことんやれる
子連れ社員の満足度は総じて高い半面、“バリバリ派”の独身社員のモチベーションは下がらないのだろうか。そんな疑問を払ふっ拭しょくするのがウエブディレクター兼エンジニアの20代社員、湯本英宏さんの働き方だ。
湯本さんはもともとサイトの編集を統括するディレクターという役職だったが、「自分でコードを書けるようになれば業務効率は格段に上がる」と2年前に一念発起。社長に直談判して“社内キャリアチェンジ”を達成したという。
「エンジニアを新たに採るより、自分がなるのが適任だと思いましたし、僕自身のキャリアアップのために挑戦したいという気持ちがありました。『プログラミングの学習プログラムを集中的に学ばせてほしい。半年間で一人前のエンジニアになります』と宣言して、研修期間をもらいました。当然、その期間の僕のパフォーマンスは下がるわけですが、会社は『力をつけるために時間が欲しい』という希望を柔軟に受け入れてくれた。もっと貢献していきたいという意識が強まりました」
会社の成長とともに広がる仕事の領域に合わせ、自分自身も成長したいという希望をかなえた湯本さん。長時間働くことも苦にならず、1人夜遅くまで会社に残ることもざら。一方で、人生を楽しむための時間も大切にし、16年は立て続けに2週間ずつ海外旅行のための休暇を取った。「前職の会社を辞めたのは、ブラジルW杯観戦に行くための2週間の休暇を許してもらえなかったことが直接のきっかけ。その点、今の会社では仕事でもプライベートでもやりたいことを存分にできるという実感があります」
子どもが仕事の邪魔になることはないか? という質問に対し、「むしろ集中しすぎた後のリフレッシュに活用させてもらっています(笑)」と湯本さん。子どもが大声で泣きだしたら部屋の隅に連れていく、といった暗黙のルールも機能しているのだという。「働くペースを緩めたい」という人だけではなく、「もっと頑張りたい」という人も応援する同社の環境は、一人ひとりの働く満足度を高めているようだ。
成長意欲の高い湯本さんは将来の独立も考えている。その計画を相談した時、社長からは「応援する。でも、いきなり無給で始めるのはリスクが大きいし、うちもできるだけ居てほしいから、当面は二足のわらじでやってみたら」と提案された。
同社では副業も自由。さらに、社員がプライベートで好きな体験をする時の費用を補助する「エクスペリエンス軍資金制度」も始めた。聞けば、実働7時間、12~15時はコアタイムという一応の就業規則はあるものの、それほど意識されてはいない。個人の裁量で役割をこなせば長期休暇もOK。自宅でも仕事ができるように、オンラインツールで業務ごとに進捗(しんちょく)を共有する。要は、社員が自己実現のために何かをやりたいという気持ちをできるだけ阻害せず、応援しようとする。ソウ・エクスペリエンスはそんな会社なのだ。
しかしながら、そんな組織は理想に近く、簡単に実現できるものではない。社長の西村さんはなぜ子連れ出勤や副業自由といった働き方を推進してきたのだろうか。本人の言葉によると、目指すのは「できるだけYESと言える組織」だという。
「何か相談や提案をされた時に、まず『わかった、ありがとう。まずやってみよう』から始めたい。YESと言ってもらえる期待が持てる組織をつくれば、自由な発想やアイデアが生まれやすいはず。一つ一つはちょっとしたことでも、それが積み重なると数年後には大きな差となり、会社の成長スピードに大きく影響するものだと思うんです」
一律にルールを決めるのではなく、個別に相談しながらやりやすい方法を考えていくことも大事だ。
「子どもが職場で動き回っていると、いろんなことが起こりますよ。転んでケガをしたり、Macの電源を抜かれたり(笑)。でも、何か起これば1つずつ対処していけばいいだけで、運用しながらトライ&エラーを重ねていっています」
オープンな空気で、会社にフィードバック
子連れ出勤によって会社全体の生産性が上がるかというと決してそうではない。「むしろ下がっていると思う」と西村さんは正直に答える。
「でも中長期的に見ると会社の成長にプラスであることは確か。なぜなら、育児が理由の退職をなくせるし、優秀な人材を集めることができるから」
人材にかけられる投資に限界があるベンチャー企業にとって、この「辞めさせない」メリットは大きい。会社のビジョンや仕事のやり方をひと通り理解し、仕事として身につけてもらうまでの教育コストはばかにならない。勝手を知る社員が継続して働ける環境を整えることは、同社にとって「必要にかられてやった策でしかない」という。「幸い、会社も成長して利益も出ているから、この方法で間違っていないといえる。育児に限らず病気や介護といった、働く条件が変わる時にも対応できる方法を探っていきたい」(西村さん)
多様な働き方に寛容な組織が成り立つ条件とは何か。創業4年から参画する取締役COO、矢動丸(やどうまる)和典さんが考える答えは「オープンな空気をつくること」だ。
「育児や副業、趣味といった社外活動でどんな経験をして、それでどんなインプットがあったか。オープンに話せる雰囲気があれば、会社にとってもフィードバックを得られる機会になる」
社員一人ひとりの私生活の豊かさは「体験ギフトを企画する」という同社の事業そのものを発展させる機動力にもなる。「結局、アイデアは体験からしか生まれない。自分たちの興味の範囲を広げることは会社のためになる、という価値観の共有が大事だと思います」(矢動丸さん)
“体で験(ため)す”が体験であるという概念は、社長の西村さんが口癖のように伝えてきたことでもある。
「本来、ワークとライフは不可分なもので、大事なのは個人の興味・関心を最大化すること。そうすれば自ずと仕事のアウトプットも高まって、人生そのものも充実するはず。人生を豊かにする体験を提案する仕事をしているのだから、僕たち自身がそれを諦めたら嘘になる。やりたいことを我慢しない組織づくりに今後も挑戦していきたい」(西村さん)
成熟した個人と会社の信頼関係を前提として成り立つ今の働き方が、会社の規模が大きくなっても通用するのか。運営上の課題はもっと出てくるものと西村さんはみている。
「大企業にはまねできないサバイバル戦略として、うちのスタイルは参考になるのではないでしょうか。あえてルールは最初から決めずに、まず試してみる。YESから始めてみることで広がる可能性は大きいと実感しています」
パラグライダーや乗馬、陶芸やスパなど、様々な体験や食事などをプレゼントできるのが体験ギフト。テーマや価格によって商品の種類があり、受け取った人が選んで体験を申し込むことができる。
▼ソウ・エクスペリエンスの柔軟な働き方
・副業OK
週数日ずつ副業と勤務を分けたりすることも可能
・子連れ出勤OK
預け先が見つからないことが前提だが、終日一緒に勤務可能
・リモートワークOK
正社員で会議などがない場合は、どこで仕事をしてもいい
・エクスペリエンス軍資金
公私関係なく新しい体験に挑戦する費用を会社が半額負担