※本稿は、雑誌「プレジデント ウーマン」(2017年12月号)の特集「しない習慣」を再編集したものです。
case:1 授かり婚の末に……
高見菜緒さん(仮名・30歳)
「夫が何をしても腹が立ち、同じ空気を吸うのも耐えられなかった。そんな自分も嫌でたまらなくて……」
幼い娘を連れて別居、5年間の結婚生活に終止符を打った高見菜緒さんは、夫婦関係に悩み抜いた日々を「暗黒時代」と振り返る。
学生時代に出会った彼とは「授かり婚」だった。アルバイトでモデルなどをしていた高見さんは、先の見えない不安も抱えていたという。
「早めに子どもを産んでおけば、30代でもバリバリ仕事はできるし、若いママにも憧れがありました」
卒業後まもなく結婚、子育てに追われる生活が始まった。いざ家庭に入ると、夫はまるで父親に向かないことがわかる。育児を手伝うどころか、休日もずっと寝ているだけ。時間や金遣いもルーズで、実家の母親に多額の借金までしていた。
「あのときは2人で話し合い、彼を許してあげました。これで直るかもしれない、と期待して」
言い争いは絶えなかったが、それでも「家族の在り方」にこだわる自分がいた。
惰性で暮らしていても何も変わらない
「私の両親もそうだったように、夫婦でけんかしても、その後にちゃんと話し合い、仲直りする姿を子どもに見せたかったのです」
最も辛かったのは夫婦で家族観が違いすぎたことだ。借金を重ねた彼は父親に戒められて仲たがいする。あげく大げんかし、絶縁状態に。
家庭でも夫婦の会話はほとんどない。彼は仕事が忙しいことを理由にわが子とふれあうことも避けた。夫へのいら立ちを抑えきれず、子どもが寝静まると、泣きながら友だちに電話することも度々あった。
「このまま惰性で暮らしていても何も変わらない。彼に期待するのはほとほと嫌になってしまったのです」
ついに限界に達して、別居に踏み切ったのは娘が4歳のとき。実家へ戻り、半年ほど過ごすなかで母親に言われた。「子どもにとっては、お母さんが泣いているより、笑っているほうがいいんじゃない?」と。
「やっと解放されるという安堵(あんど)感が大きかったですね」
いざ離婚を切り出すと、家庭に固執したのは夫のほうだった。高見さんは1人で手続きを済ませ、仕事探しに動く。小さな商社でパート職に就き、英語などの勉強も始めた。
「子どものために頑張らなければと思うと、前向きになれる。結婚生活では夫に期待しすぎて苦しかったけれど、男性に期待しなくなったことで身動きがとりやすくなりました」
今は子どもと過ごす時間が何より心地よく、自分の好きなことに集中できるのが楽しいという高見さん。「離婚で人生が好転しました」と言い切る笑顔は晴れやかだ。
case:2 9年間の不倫を清算!
奥山佳織さん(仮名・34歳)
妻子ある男性に魅かれたのは20代半ば、相手は職場のプロジェクトでリーダーを務めていた。失恋の傷心を抱えて、12歳年上の上司だった彼に悩みを漏らしたのが始まりだった。
「頼りがいのある人なので仕事に対しても的確にアドバイスをしてくれ、どんどん魅かれていきました。既婚者なのは知っていたし、向こうも一線を越えない態度を崩さなかったけれど、だんだん上司と部下の関係を超える感情に変わり……」
引っ込み思案で自信をもてなかったという奥山佳織さん。幼い頃に両親が離婚し、父親の記憶がないため、心の支えになる「大人の男性」を求めていたのかもしれないと顧みる。
遅くまで残業した後、帰りの電車で話すのが日課に。ずっと実家から通っていたが、1人暮らしを始めたことで彼との距離も一気に縮まる。
「それでも不倫しているという実感はあまりなかったんです」
だが彼が離婚をほのめかすようになると、後ろめたさがつのる。自分も父親がいない寂しさを感じてきたから、彼の子どもたちに同じ思いをさせてはいけないと思ったのだ。
上司と付き合って2年、奥山さんは転職を思い立ち、不倫関係を終えようとした。だが、新しい出会いを求めて婚活パーティーに行き、別の男性と付き合ってもうまくいかない。そんなとき別れた彼から連絡があると、またよりが戻ってしまう。結局、付き合いは9年間続いた。
9年間の不倫を断ち切れたワケ
そんな日々をついに断ち切ったのは34歳のとき。「結婚」を思い描くなかで心の声に気づいたという。
「彼も結婚したいと言ってくれて、最初はうれしかったけれど、私の中では“何かが違う”という気がした。彼と家庭をもつことが想像できなかったのです。こういう関係が面倒になってきて、どこか冷めている自分もいる。ならば本気でケジメをつけなくちゃ、と心を決めました」
奥山さんは思いきって結婚相談所に登録。そこでめぐり合った男性ととんとん拍子で結婚に至った。
前の上司には新しい彼ができたことを告げ、それ以来、連絡を取ることはなくなった。相手からは未練がましい長文メールが何度も届いたけれど、いっさい返信していない。
「前の私は相手に頼りきって、何かあればすぐ助けを求めてしまう弱さがあったけれど、今はちゃんと自分の意思をもって決断できるようになった」という奥山さん。9年間の不倫を断ち切ったことで「自立」を目指す。その先には、最良の人生のパートナーも待ち受けていた。
case:3 マザコン夫からの脱却
永瀬智花さん(仮名・40歳)
彼との結婚を決めたときから、不安の予兆はあった。東北の旧家で家業を継ぐ一人息子。溺愛する母親の存在が結婚生活に影を落とす。夫の実家へ食事に呼ばれると自分だけ品数が少なく、彼の衣類を買えば安物と叱られる。嫁いびりは執拗(しつよう)に続いた。
「夫に話しても頼りにならず、本気でかばってくれない。母親に大事に育てられたのでマザコンなんです」
心が追い詰められ、不眠になったという永瀬智花さん。夫は家業に行きづまり、数年後に倒産。夫に代わって後始末に追われた。どうにか窮地を乗り越え、会社は再建できたものの、夫婦の溝は深まるばかりだった。
夫は精神的に弱く、結婚当初からセックスレスが続いていたという。姑に孫を期待され、嫁として重圧もつのる。婦人科に相談して体外受精を試みようとしたが夫に拒まれる。ところが40代を前に夫から体外受精で子どもをつくろうと言われた。
「今までの私は何だったのかと頭が真っ白に。夫の言葉には誠意もなく、跡継ぎのことしか考えていない。“私は子どもを産む道具じゃない”と怒りが込みあげました」
耐えかねて実家へ戻ると、夫が訪れ「もう帰ってくるな」と言う。プライドが傷ついた夫は毎日のように妻の衣類を送りつけてきた。
「500万円の慰謝料で解決したい」
そんな中、2011年3月11日に東日本大震災が起き、連絡が途絶える。数週間後に電話がつながると、彼は「別れることを決めた」と。弁護士を通じて500万円の慰謝料で解決したいと伝えてきた。姑も新しい女性との縁談を勧めていたのだ。
もはや心身ともに限界を感じ、離婚を決意。それでも痛手は大きく、ふさぎ込む日々が続いた。そんなとき被災地でボランティア活動をしたことが救いとなった。親を亡くした子どもたちが助け合う姿を見て自分も励まされ、生きる力をもらえた。
「私にもできることがあり、そこで必要とされる喜びを感じる。自分らしく生きようと吹っ切れました」
永瀬さんは慰謝料として受け取った500万円が入った通帳を握り締め、1人東京へ。かつては人がうらやむような豪邸に住んでいたが、6畳1間で暮らし始めた。
「心は晴れ晴れとしていました。いろんな呪縛から解き放たれて、自由に息が吸えるようになったんです」
人の役に立つ仕事をしたいと願う永瀬さんに手を差し伸べてくれる人たちも多かった。そのうちの1人が新たな人生の伴侶となる。ひと回り年上の彼はビジネス経験豊かで、仕事もこまやかに支えてくれている。
「彼のことは尊敬しているし、素のままの私を愛してくれる人。一緒にいると楽しくて、すごく心地いい。自分らしさを取り戻せるんです」
▼永瀬さんの心のバイオリズム
今回取材した3人に人生を振り返ってもらうと、心のバイオリズムは重なった。
恋愛や結婚に苦しんだ時期を経て「男を捨てる決断」をしたことで見事に上向いていく。「この男性が自分のパートナーである」という呪縛から解放されたときに、何かが見えるのかもしれない。