新卒でトヨタに入社して2年目の失敗
「『負けたことがある』というのが、いつか大きな財産になる」というセリフがお気に入りだ。漫画『スラムダンク』の中で、常勝チームが負けたときに監督が選手たちにかけたことばである。中島さんもこれまでのキャリアの中で失敗を大きな財産にしてきた。
最初の財産のもとは、新卒でトヨタに入社して2年目の失敗。トヨタの役員のほかに、海外の有識者、政財界の重鎮たちが10人ほど集まる会議の裏方を担当した。航空券の手配や来日するスペシャルゲストの奥さま方に渡すお土産を選ぶ仕事。それが不満だった。
「会議の中身を考えたり資料をつくったりするのが花形だと思っていたので、雑用をやらされている気分になってしまったんです」
ふだん穏やかな上司が、ふてくされた態度の中島さんを見かね、部屋に呼んで「みんなやりたくない仕事で給料をもらっているんだ」と叱った。1~2年後、その上司から「会議は裏方のほうが難しくて、それを任せたつもりだったんだよ」と本心を聞かされた。
「本当に恥ずかしいと思いました。細かな気遣いをしたり、突然の変更に対応しなければいけない仕事。社会人として足腰を鍛えるうってつけの機会だったんです」
それ以来、どんな仕事に向かっても気持ちに甘さがなくなった。
ラインを2時間も止めてしまった
だが、2年間休職しハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得して帰国した後に大失敗をおかす。入社7~8年がたち、生産管理部で設計変更の指示を出す仕事を担当していたある日、指示の出し間違いで必要な部品が届かない事態を引き起こしてしまう。
「車を1分で1台ずつ製造するラインを、2時間も止めてしまったんです。血の気が引くどころではなく、そのときの記憶が飛んでしまっているほどの衝撃でした」
中島さんの上司だった課長が車を飛ばして部品工場に調達に行ってくれ、2時間後にラインが復旧したのが「奇跡」と思えた。事態が一段落すると本部長、部長が一緒に工場に謝りに行ってくれた。その姿を見て、「自分のミスでなくても逃げずに責任を取るのが組織長なんだと知りました」。
後にMSDで営業部長になったとき、部下が問題を起こすと一緒に謝りに行く上司になっていた。
クビ寸前まで追い詰められたことも
MBAを生かせる管理職には当分なれそうもなかった。2008年、トヨタからボストン・コンサルティング・グループに移る。転職先とは米国留学時代にインターンを経験した縁。入ってみるとトヨタとはまるで異世界だった。
「トヨタでやっていたのは目の前で起きていることの問題解決なのでわかりやすいのですが、ここでは未知の業界やテーマを与えられ、問題解決しろと言われました。どれも経営者が悩む大問題です。たとえば、洋上風力発電を考えている会社がある。ビジネスになるか答えを出せとか」
コンサルタントなら未経験の問題でもロジカルに考えることで答えを出せるが、今までそういう考え方をしたことがなかった。転職から6カ月間、手も足も出ず、上司から「使い物にならん」「給料泥棒」など、厳しく言われ、クビ寸前まで追い詰められた。
ロジカルシンキングが身に付くまで、毎日調べものやらインタビューやらで深夜まで仕事漬けの日々。転職と同時期に結婚したのに、それが原因で5カ月のスピード離婚。人生のどん底を味わった。
新卒1~3年くらいの若手にカバーしてもらいながら何とか半年間を乗り切ると、2年目からは絶好調、3年目にはプロジェクトリーダーとして3、4人の部下を従えるように。ところが、ここにもまた落とし穴があった。
「今、人生はハッピーかい?」
「部下たちは最初からコンサルで、私を助けてくれるほど仕事ができます。なのに私は思い込みで指示したり、上司の言ったままで指示したり。しかもリーダーだからと彼らの意見に耳を傾けない。そういうのが積み重なって部下の気持ちが離れてしまいました」
幸い360度評価で直接、自分の悪かったところを聞くことができ、大いに反省した。
MSDに移ったとき、自分とはマネジメントスタイルが異なる外国人副社長と出会った。月に1、2回、1時間ずつ1対1の面談を設け、いつも「キミは今、幸せに仕事をしてる?」「今、人生はハッピーかい?」と尋ねてくれる。
「本当にこちらのことを気遣ってくれるので、やる気がわきます。今、私も部下に対して『幸せ?』と言わないまでも、『モチベーションはどう?』『仕事に満足してる?』と尋ねています」
自分の失敗と副社長との出会いが、仕事の指示を的確に出すよりも、お互いに本音で話せる関係を築くほうがより重要だと気づかせてくれた。
Q. 好きなことば
「『負けたことがある』というのが、いつか大きな財産になる」(『スラムダンク』より)
Q. ストレス発散
海外ドラマ観賞
Q. 趣味
夫と晩酌
Q. 愛読書
『スラムダンク』