近藤さんには力みといったものが見当たらない。役員就任の言葉を受けたときも、自分の心臓が止まったときも「あらら」と、もう一人の自分がいて見ているよう。自然体、あるいは達観したそのスタンスが何でも相談できる役員像をつくりあげている。

執行役員の辞令に「あらら会社も思い切った」

2015年4月、社内で女性初の執行役員となった近藤智子さんがその話を受けたとき、それほど驚きはなかったという。少しさかのぼる2月、社長秘書から「○月○日は空いていますか」と連絡が入った。

あいおいニッセイ同和損害保険 執行役員 近藤智子●1961年生まれ。83年早稲田大学法学部を卒業後、旧千代田火災海上保険に入社。再保部、総務部などを経て、2015年より執行役員。コンタクトセンター事業部、業務品質向上推進部を担当。

「そのとき、私のポジションは理事だったので執行役員の可能性はありました。社長から『執行役員です』と言われ、『あらら会社もそこまで思い切ったか』といった感じでした」

居並ぶ執行役員の中で一番若かったが、これまでも女性のトップランナーだった近藤さんにとっては慣れっこだったのだろう。

現在の役割はコンタクトセンターのとりまとめと業務品質の向上。

「当社は2010年、11年と合併がつづき、それに関する苦情が増えたんです。それを減らすことに力を入れ、ようやく落ち着いてきたので、次はもう少し広く目を向けたいと思っています」

たとえば全国の部支店に業務品質を議論する委員会を設けていて、地方へ出向いて話をすることがある。心掛けているのは「自然にそこにいる感じ」だ。部下の一人に聞くと、怒った顔は一度も見たことがないとか。いつでも報告しやすい、相談しやすい執行役員なのだ。

四苦八苦しながら英語でやりとり

近藤さんが合併前の千代田火災海上保険に入社したのは1983年のこと。

「まだ第2次オイルショックの影響が残り、就職難でした。大学で債権法のゼミを取っていて、損害保険はバリエーションがあっておもしろいと感じていました。当時女性を総合職で採用していた損保が2社ありました」

そのうちの1社に総合職として入社。同年、同じ総合職として採用された女性は、自身も含めて約10人だったという。配属されたのが再保険外国部。

再保険とは、保険会社が引き受けたリスクの一部を他の保険会社に転嫁することでリスク分散を図る方法だ。その部署でアンダーライターとして再保険の引き受けを担当。相手にするのは海外の保険会社。英語は堪能?

「いえ、TOEIC(R)を受けたこともありません。就職面接で『英語は好きですか?』と尋ねられ、『はい』と答えましたが、会社もそれでよく配属したなと(笑)」

大好きな犬の卓上カレンダー。週めくりタイプで、月曜日にページをめくって癒やされている。タブレット菓子も常備。一番辛い味を1日1ケース食べてしまうことも。

最初は電話もドキドキし、外国人のお客さんが来ると、あらかじめ覚えておいた英語を話し、あとは上司にフォローしてもらった。しかし、だましだましでは太刀打ちできない事態が待ち受けていた。約1カ月の海外研修だ。

「人生で初めて英会話教室に通いました」

海外研修は社長からの“ご褒美”だった。

入社2年目、近藤さんは損害保険事業総合研究所の損害保険講座を受講。さまざまな損害保険会社から何百人と集まり何カ月にもわたって勉強し、1カ月に1回試験がある。最後に順位を出したとき1番になったのが近藤さんだった。それを社長がたいそう喜んだ。

「過去に男性で1位になった社員もいましたが、その人たちは海外研修に行かせてもらっていません。女性でちょっと得をしたかな」

突然の心臓病で2度死にかけた

これで完全に出世コースに乗ったのか、課長、次長、室長、部長と女性の同期の中で一番に駆け上がっていく。非の打ちどころのない人とはこういう人なのか。

(上)再保険部の部長時代(下)駅伝で3kmを完走

ところが思わぬ危機が訪れた。12年、再保険部長のとき、突然の心臓病に襲われたのだ。株主総会当日、会場の様子を見ていた。「朝からちょっとふらっとするな」と思っていたが、立っても座ってもふらつく。さすがにおかしいと感じ、早退してホームドクターのところに。

「『これはやばいかもしれない。大きな病院じゃないとダメだ』と言われ、紹介状を書いてもらって総合病院に行きました」

その日は検査だけ終え、翌朝再来院すると「ここでも治療できない」とさらに別の病院へ緊急搬送。ところが救急車に乗った途端、心臓がドクンと一度鳴ったのを最後に止まった。

「『急変です。いったん戻ります』と聞こえ、『あらら』と思ったのを最後に意識がなくなりました」

応急処置をし、再び救急車に乗せられて横浜市立大学附属市民総合医療センターに運ばれた。人工心肺をつけられ、目を覚ましたのは2週間後だった。

「その間に、2度危篤になったと聞かされました。親も『会わせたい人はいますか』と言われたそうです。治療しても生死が五分五分でしたから」

近藤さんがかかったのは劇症型心筋炎だった。

「私の場合、血液の中にある好酸球が心臓を攻撃したのだそうです。原因はわかっていません」

結局5週間入院し、4週間自宅療養することになった。

「この病気は心臓移植が必要になったり、後遺症が残ってペースメーカーをつけたりする場合もありますが、私は運よく完治しました。もともとバカみたいに元気ですから(笑)」

これだけの大病を経験しながら人生観はよりポジティブに。

「病気になる前から、周りの人たちによく『明日は命があるかもわからないからポジティブにいこうよ』と言ってましたけど、今も本当にそのとおりだと思っているんですよ」

どんな状況でも自然体でいられることが、人生においても仕事においてもプラスに働くのだろう。

■Q&A

 ■好きなことば 
無為自然(無理したくないし、どんなときも自然体でいることを心掛けているので)

 ■趣味 
歩く、走る

 ■ストレス発散 
カラオケ、数字パズル

 ■愛読書 
藤沢周平など市井ものの時代小説