15歳で日本代表に初招集されて以来の205試合出場、83得点は歴代最高記録。そんなすごい成果を積み上げてきた澤さんは、悩んだとき、迷ったとき、どんなふうに乗り越え、決断してきたのでしょうか。
(左)澤 穂希さん(右)茂木健一郎さん

周りが何と言おうと決めるのは自分

【茂木】澤さん、これまで一番悩んだことって何ですか?

【澤】ここ最近でいうと、現役を引退したときはやっぱり悩みましたね。アスリートにとって、引退するタイミングは人それぞれだと思うんです。もしも私がトップレベルにこだわらず、サッカーを続けようと思っていたら、恐らくまだ続けられたかなと思います。でも、本当に世界を目指してトップレベルで心と体を一致させてプレーするとなったとき、自分自身ちょっと厳しいかな、というのを感じたんです。

【茂木】ご自身のなかでの、現役引退の決め手は何だったんですか?

【澤】2015年女子ワールドカップの際、リオを目指せるかと考えたときに、もう1セットはできないと思って。

【茂木】そういうときは自分の気持ちや体と対話するんですか?

【澤】しましたね。周りが何と言おうと決めるのは自分なので、何度も自問自答を繰り返して。でもやっぱり自分で決めたからすっきりした気持ちですね。

【茂木】脳を研究している立場からいうと、サッカーはそもそもが決断の連続なんです。ボールが来たとき瞬時に判断するじゃないですか。

【澤】はい。プレー中は一瞬一瞬の判断が必要ですし、1秒あれば敵も味方もどこにいるかが変わり、状況が変わります。ずっと集中していないとダメですね。

【茂木】ことに澤さんは“クイック・サワ”と呼ばれ、判断の速さは全女性の憧れというか、参考になると思うんです。例えば、プレー中にパッと判断するときなど、どんな感じなんですか?

【澤】思わず体が動きますね。私はアタマで考えるよりも体が先に動いてしまいます。

【茂木】意識していない、ということですよね。例えば、ボールが来たときにヘディングするのか、トラップするのか、シュートするのかって、じゃあもう体が動いちゃってるんですか?

【澤】動きますし、あとは最後の最後でボールや相手を見て判断します。当初ヘディングでいこうかなと思っていたけれど、やはり相手がこうきたから胸でトラップしたり、とか。最後の最後での駆け引きですね。

天才は特別なものではなく努力を続けてきた結果

【茂木】我々からすると、まさに澤さんのような“体が動いちゃう”というのがひとつの理想なんですね。悩んでいる時間って実はあまり生産的じゃなかったりするわけですよ。AにしようかBにしようかとか、どう生きようかとか。そんなことよりは、とにかく目の前のことをやって、動いたほうが自然と答えが出たりするじゃないですか。

【澤】私が何かをするときは自分ですべてを決めるんですね。悩んでいる時点でやりたいはずなんですよ、絶対。だってやりたくなければ悩まないじゃないですか。ですから私は失敗してもいいから、とりあえずやってみる。なんでもやってみるというスタンスでずっときました。あのときやれば良かった、と後悔したくないですから。

【茂木】悩んだときにはやったほうがいいという話をしたときに、恐らくそれは澤さんが特別な存在だからできるんだ、と思う方が多いと思うんです。でも、ダーウィンによると、天才とは特別なものではなく、ただ努力を続けてきた結果なんですよ。澤さんがアメリカに行かれた20歳のときは、自分のプレーヤーとしてのイメージとはどんなものだったんですか?

【澤】プレーヤーとしては10代からずっと日本でサッカーを続けていましたが、ある時期からできることが少しずつ増えてきて。そうすると世界のトップレベルのアメリカで、今自分がどれだけ通用するのかなという興味本位というか。自分を試したかったんですね。

【茂木】今から振り返ればやれるんだろうと思いますが、当時としてはかなり無理めの決断だったんですね。

【澤】当時としては全然です。自分がやれるというよりも、今まで自分がやってきたことをどれだけ出せるのかということと、女子サッカーのトップレベルといわれるアメリカのうまい選手のなかで一緒にやったら楽しいんだろうなっていうことだけで決めました。

【茂木】そこですね! 幼い頃から無理めのチャレンジを楽しめたんですか?

【澤】好奇心は旺盛でしたね。兄といつも一緒に遊んでいたので、けがはつきものでしたし。やろうと思ったことをすぐに行動に移してしまう子どもだったかもしれません。

“らしさ”のリミッターを外してみよう

【茂木】以前、ある会議で、(14年にノーベル平和賞を受賞した)マララちゃんのお父さまが、マララちゃんをどう育てたのかということについて、「私がマララにしてやったことは女の子だからこれはダメだとか、女の子だからこうしなさいということを言わなかったことだけだ」とおっしゃっていました。そういう意味では澤さんも、女の子だからということは子どもの頃からあまり言われませんでしたか?

【澤】そうですね。女の子だからとか男の子だからとか、こういうふうにしなさいというのはなかったですね。勉強もスポーツもそうですが、何々しなさいということが全くなかったですね。

【茂木】それは親御さんが偉いですね。悩みのかなりの部分って“らしさ”をめぐる悩みで、自分らしさというものを固定して考えちゃっているんじゃないかと。例えば仕事が変わるときに、今までの“自分らしさ”が消えてしまうことに悩む人が多いと思うんです。澤さんの話を伺うと、最初から“こうしなくちゃいけない”ということがなかったということですね。

【澤】私、30歳のときに再度、海外にチャレンジしたんです。そのときに迷ったのは、日本での生活もすごく充実していましたし、守りに入っていたんですね。別にわざわざ今の環境を変えてまで行く必要もないな、というのもありましたし。でも20歳でアメリカに行き、十分に力を出しきれなかったとき、またアメリカでやりたいなとずっと思っていたんですね。だからここで行かないと後悔するなと思ったんです。

【茂木】とくに4月は環境が変わる時期です。入社や異動などで環境が変わるときに意外と悩むことがありますよね。今、澤さんが“守りに入っていた”とおっしゃっていましたが、今までの成功体験とか、今までの“らしさ”を守ろうとするがゆえに悩んじゃうことってありますよね。そこでね、ピッと切り替えて、新しい環境でやれるといいんだけど。

【澤】ピッと切り替えたときに、意外にいけた! と思うことがあるんです。

【茂木】そう、いけた! ってね(笑)。それって、脳の仕組みからいうと「脱抑制」というんですけれど、抑制を外して新しい自分が出ると、意外とその悩みは自然と解決するんです。澤さんはきっと脱抑制が自然とできているんですね。それってコツみたいなものはあるんですか?

【澤】子どもの頃から自分がやりたいようにやってきました。悩んだり困難にあったとき、私はまずすべてを受け入れるんです。みんなそこから逃げたいと、目をそむけようとすることが多いんですけれど、私はイヤなこともすべて含めて受け入れるんです。そのときはしんどかったりしますが、下までおりたらあとは上がるだけですから。

新しい時代の“大和撫子”として

【茂木】日本の社会の仕組みもあると思いますが、「なでしこジャパン」って素晴らしいチーム名だと思うんです。でも、大和撫子って世の中のイメージとして、言いたいことがあってもぐっとこらえるとか、空気を読んで周りに合わせていい子でかわいくニコニコ笑っている、みたいなイメージがあって……(笑)。それだと澤さんのようなことはできないわけですよ。

【澤】表向きにはニコニコやっていても、絶対陰では言ってますよ(笑)。

【茂木】言ってる、言ってる(笑)。

【澤】私はサッカーのプレー中に修正すべきことがあれば、すぐその場で指摘しますね。そのほうが相手も納得できるし、何よりあとくされがないですから。サッカーに限らず、友人からの相談事や夫との関係でも言いたいことをしっかり伝えるよう心がけています。嫌われたくないと思って言えないという人もいるけれど、私は全員に好かれなくてもいいと思うんです。それに、チームや友人との間に信頼があれば、率直に言っても大丈夫。

【茂木】なでしこのイメージを変えられたら良いですよね。そういうさばさばしたいい“なでしこ”にする。

なでしこジャパン=澤さん=大和撫子ですよね。その場で修正して、あとくされのない信頼関係を築くとか、そういう新しい大和撫子を(笑)。新しいフェミニン像のロールモデルだと思いますけれど。

【澤】なんかあまり意識してやっていないので、特別なことではないのですが……(笑)。そのままの自分なので。

【茂木】無自覚でやっていることが、実はすごく大事なノウハウなのです。その人にとって当たり前のことが、ほかの人にとっては驚きだったりする。よく、ガラスの天井と言うじゃないですか。ガラスの天井って結局自分で自分らしさを勝手に決めてしまって、ここから先は無理っていうことだと思うんです。ですから澤さんみたいな女性が希望なんです。澤さんのおかげで日本女性のイメージが変わってきましたよね。澤さんはニュータイプですよ、日本女性の!

澤 穂希
1978年、東京都生まれ。2011年のワールドカップでは、キャプテンとしてチームを初優勝へと導き、得点王とMVPを獲得。その年度の「FIFA女子最優秀選手」を受賞。オリンピックに4回出場。ワールドカップ6大会連続出場は世界記録。15年末に、現役を引退。
茂木健一郎
脳科学者。1962年、東京都生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了。理学博士。第4回小林秀雄賞を受賞した『脳と仮想』(新潮社)、第12回桑原武夫学芸賞を受賞した『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)のほか、著書多数。