学生時代、教育実習で教える仕事に魅力を感じ、学習塾に入社したはずだった伊藤さん。ところが会社が外食事業を始め、その渦中に放り込まれる。任されたのは大赤字の店舗だった。

NOVA再生は“都落ち”から

ジー・エデュケーション(現NOVAホールディングス)がNOVAを買収してから8年間、代表としてNOVAと共に歩んできました。破綻の規模が大きかったので、抜本的な見直しが必要でした。

NOVA社長 伊藤幸子さん

まず、入金が最優先でレッスンの消化まで意識していなかった経営スタイルを変えました。受講料を一括前納ではなく月謝制に切り替え、電話かカウンター受付のみだった予約を、24時間ウェブで受け付けるシステムに変更。お金を払ったらしっかり受講してもらう体制を整えたのです。

所属しているスクールでしか受けられなかったレッスンを、全国のどのスクールでも受講できるようにしたのも大きな改善点です。人気の時間帯はかぶることが多いんです。でも東京あたりだと一駅先に別教室がありますから、そちらで受けてもいいという生徒さんがいます。

コストの削減も進めました。駅前の一等地にあった教室を、家賃の安い駅から遠い場所に移しました。そうやって徐々に業績を取り戻し、CMも再開すると4年後くらいから新しい生徒さんもワッと入るようになりました。こうして集中的に手を打つことで、短期間で黒字化でき、教室もまた一等地に戻すことができたんです。

NOVAもそうですが、私のキャリアにはM&Aがついて回ります。でも、そういう仕事をやりたいと思って入社したわけではないんですよ。

好立地と思った居酒屋が大赤字に

私は名古屋の出身で、大学時代に教育実習を体験し、教える仕事もいいなと思い、卒業のときは地元の学習塾の求人を探しました。そして当時、名古屋を中心に250教室ほどの個別指導塾を展開していた当社の前身の会社に入社したんです。まだ代表の稲吉(正樹)が塾長と呼ばれていた時代です。そこで英語や国語、ときに数学を教えたり、授業のスケジュール管理をしたりしていました。

 

入社して初めてわかったんですが、代表がかなりアグレッシブな人で、当時はこれから学習塾以外にも新しい事業にどんどん挑戦していくぞ、といった時期でした。

あるとき、急に外食事業を始めるからと、社員全員で店舗物件を探すことになりました。実際に街を歩きながら、素人なりにいい物件はないかと探しました。そして一人ずつ提案し、一度に5、6店舗をオープンすることになったのです。すると私が見つけてきた店舗が一番の赤字店になってしまい、責任を取って居酒屋の店長に異動するハメに(笑)。

近くに大学があって人通りも多く、決して悪い立地とは思いませんでした。でも今から振り返ると、学生はあまりお金を使わないから、利益が十分取れないんですね。駅前でチラシを配ったり、様々なキャンペーンを打ったりと試行錯誤し、黒字にすることができました。

FCオーナーと激論

その後、いったん学習塾の本部に戻り、企画課長として3年くらい様々な企画に携わりました。フランチャイズ展開をしていましたから、たとえば加盟している企業に、今年の夏季講習はどんな戦略で行くか案内し、それに応じたカリキュラムやチラシなどを用意するのです。

喜ばれたのがメンバーズサイトの立ち上げです。今は当たり前ですが、HPからカリキュラムなどのツールのダウンロードを可能にしたのです。

 

もともと入社したときにやりたかったことでもあって、とても楽しく仕事ができました。アイデア勝負なところも面白いし、企画を立てるところからそれを世の中に形として出すところまでのプロセスを進めていくのも達成感がありました。

ただし企画課長といっても25歳くらいです。FCオーナーさんからすればただの若い女の子にしか見えない。相手は人生経験豊富な方ですが、経営に関しては真剣にお話し、激論を交わしたオーナーさんもいます。その中で、大切なのは、まずは相手の立場と言い分を理解し、そのうえで提案をしていくことだと分かりました。それからレスポンスの早さも重要です。誰でも待たされることは一番嫌なことですからね。そこはお待たせしないように気をつけました。

その後、社長室長兼人事責任者の肩書で人事部長の役割も担いました。今もですが、当社には月に一度異動があります。極端な話、毎月昇格していくスタッフもいれば、降格するスタッフもいる。人事を担当していると、毎月異動の手続きをしなければなりません。昇格、降格が頻繁にあるので、社員は慣れているようで、やはり気にはなります。異動の発表に間違いがあってはいけませんし、評価が不公平になってもいけません。そういうところを注意しながら仕事をしていました。