娘さんが20歳の誕生日を迎えた河崎さん。ということは、“母親歴”も20年ということになる。アラフォー~40代であれば、社会人になってそろそろ20年。20年分の人生を振り返ったとき、私たちはきれいに「熟成」できているだろうか?

娘と同じ、20歳のシャンパンを誕生日パーティーで開けてみた

先日、娘がとうとう20歳になってしまった。その誕生日に家族が集まってパーティーをしたのだが、“お母さん”である私は「河崎さんって家事一切しなさそう」「パンツとか履いた先から捨ててそう」といった世間のイメージに反して実は大変な料理好きであるという意外性を存分に発揮し、我が家におけるホームパーティの常としてコース料理を振る舞ったのである。しかし今回のメインは、料理ではなく、娘の生まれ年のシャンパーニュだった。

娘が18歳の誕生日を迎えた頃、「そういや、あと2年もすれば娘と酒を飲めるではないか! ハタチの誕生日に、みんなで生まれ年のワインを飲むなんてお洒落である」と思いつき、1996年のワインを探し始めたのだ。するとほどなくしてRM(小規模経営の栽培醸造家)のシャンパーニュが見つかり、「ううむ、ミレジメ(良作柄だった単一年度のワインのみで仕込むシャンパーニュ)か……。20年も熟成したシャンパンが美味しいのかどうかわからん」と一瞬悩んだのだけれど、「ま、泡っていうところが女子っぽくていいかも?」と入手し、大事に我が家の小さなワインセラーの奥で保管してきた。

娘の誕生日が近づくと、成人式に向けた写真撮影の早撮りやら何やらも絡んで、大変な忙しさだった。娘と写真館で着物の衣装合わせを行ったその足で仕事へ赴き、ラジオ出演した夜の浮き足立ちっぷりは、ちょっと忘れられない。そんなこんなを乗り切りながら、10年来のお付き合いがある美食家の某誌女性編集者さんに「娘のハタチの誕生日に、生まれ年のシャンパーニュを開ける予定なんですよ」と話すと、「あら素敵! 1996年は良年ですから、綺麗に熟成しているといいですね。これまでどうやって保管されてきたか、それだけにかかっていますが……」と、期待度50%、不安度50%のお返事をくれた。

それは甘く、苦く、微かに酸っぱかった

いよいよという瞬間、私が慎重にコルクを抜くと、それはまだ新しいシャンパーニュとは違って「バン!」と爆発はせず、奥ゆかしい「ポン」という音を立てた。フルートグラスに注いでも、ジュワジュワッと勢い良く泡立ったりせずに、細かな泡が品良くスルスルと立ち上るのだ。

口にすると、それはあの女性編集者さんが言った“綺麗な熟成”なのかどうか。さすがに酸化しすぎてお酢になったりははしていないけれど、新しくて安めのシャンパーニュやスパークリングワインばかり飲みつけた私の野暮な舌には「なんかすごくビミョーな、微かな苦味と酸味」が感じられた。いつも私の酒に付き合ってくれるアラフォーの義妹は「ちょっと甘めだね」と言い、ハタチの娘は「あれだけ毎日のようにお母さんが嬉しそうに飲むお酒ってどんなに美味しいのかと思っていたけれど、想像と全然違って苦いんだねぇ」と、肉料理の方をもりもり食べていた。

娘がハタチになるということは、私のお母さん歴が満20年を迎えるということでもある。その年月を瓶詰めしてゆっくり熟成させてきたシャンパンの「ビミョーな感じ」は、まるで私の20年を総括しているようにも思えて、「まあそりゃ女だって、20年も経てば酸っぱくも苦くもなるわい。よりによって塩っぱくなくて良かったわ、ってなもんよ」と、私は責任を取るふりをして独りでどんどんグラスを進めるのであった。

あなたの熟成ぶりはいかがです?

さてそんな酸っぱい私であるが、このPRESIDENT WOMAN Onlineでのコラム連載『WOMAN千夜一夜物語』も最終回となった。そもそもこの連載名は、私が『オンナ怪談百物語』とそれこそ塩っぱい中2病めいた提案をしたものを、担当編集さんが「……せめてあとひと桁足しましょう」と、綺麗にまとめてくれたものである。

連載開始以来1年弱、2人の大変デキる編集者さんに恵まれ、私が彼女たちに送るメールはほとんどが「お忙しいのに(原稿を)お待たせしてすみません」「(原稿が)遅くなってすみません」と謝罪から始まるという体たらくだったのだが、毎週やってくる署名コラム締め切りのプレッシャーで私が就寝中の歯ぎしりに悩むのを知ってかしらずか、みなさんとっても優しく励ましてくださる上に、仕事の早さと丁寧さは驚くほどだった。原稿に詰まると好きなバンドのライブDVDに逃避する私の手を引いて、ここまで上手に連れてきてくださった編集YさんとTさんには頭が上がらないのです。ありがとうございました。

連載開始当時のインテリ美魔女N編集長にいただいた「河崎さんは、下世話な話をしても品があるから大丈夫」との身にあまる高評価だけを頼りに「品のあるゲス」を目指したこの連載では、毎週いかにもな政治経済の話題よりも“子宮”とか“セックス”とか“イケメン”とか、一流経済誌PRESIDENTの画面にあるまじき文字面の単語ばかり展開し、「どこまで書いたら叱られるのか」と極めて小規模なチキンレースを繰り広げてきた。結果、一度も怒られなかったことをここに付記しておきたい。みなさん懐が深いのだ。いやぁ、そうと分かっていたら今後もっとエグいテーマを出現させたかったものである(笑)。

この連載で何度も口にしてきた“女性活躍推進”という言葉の真骨頂とは、それまでメディアでは何かと消費やら恋愛やらの場面でのみ描かれ規定されがちだった、「女の生き方」「女の居場所」を広げたことにある。ドラマやファッション誌で描かれ、女が食べる場所やうろつく場所、着るものを買う場所、口説かれる場所ではなくて、「食い扶持を稼ぐ場所」「責任を負う場所」「キレイな顔と体ではなく、まともな頭と人格を持つ人間として発言する場所」を広げたということだ。

湯山玲子『四十路越え!』(角川文庫)

大好きな著述家、湯山玲子さんの著書『四十路越え!』から、素晴らしい指摘を引用する。

「悩んだ時の解決法は、経験者に聞け!が鉄則。

だからこそ、混迷の時代に国を導いた坂本龍馬や勝海舟の行き方や信条は、現在、同じ想いの政治家や経営者に共感を持って読まれています。しかし女性の場合は、あまりにも置かれた社会状況と立場が異なり、また後世に業績を伝える伝記や小説の著者の女性観のバイアスがかかるので、おいそれと同性のロールモデルはいません。(中略)過去の考え方のフレームでは、良き方向どころか、よけいな心配や迷いを新たに抱え込みそうな危険があります。」

大学を卒業して20年。さて……

この数十年、女を取り巻く価値観は非常に流動的だ。過去のフレームワークに過剰適応して自分を固めてきてしまったオンナは、新しく待ち構えるフレームワークを前にした時、自分を見失い、言葉を失う。たとえ今後どんなフレームワークがやってこようとも、どんなチャンスやチャレンジに見舞われようとも、状況に応じて柔軟に自分を仕切り直せる“準備”があるオンナなら、生き残れるのかもしれない。

私は「アラ」のつかないフォー、正真正銘の40越えオンナだけれども、大学卒業以来これまでの20年が、ちょうど終わった。ではこれからの20年をどう熟成させるか、酸っぱくするのかそれとも綺麗に熟成させるのか。オンもオフもひっくるめて(いや、人生も生活もシームレスなのにオンオフとは何なのか。それ自体がもう捨てられるフレームワーク、いわばオワコンである)、オンナの熟成はひとえに私たち次第なのだ。これまでこんな細々とした、奇矯なコラムをご愛読していただいた皆様には感謝の念しかない。皆様の今後20年もまた”綺麗な熟成”であることを願い、いつかどこかで「案外、綺麗に熟成したよね、ウチらw」と、こっそり再会できることを祈っている。もしもどこかでデカい酒飲みのメガネ女を見かけたら、声をかけてください。……もう一杯だけ飲ませてくれたなら、あなたのために静かにすることを約束しますから(笑)。

河崎環(かわさき・たまき)
フリーライター/コラムニスト。1973年京都生まれ、神奈川育ち。乙女座B型。執筆歴15年。分野は教育・子育て、グローバル政治経済、デザインその他の雑食性。 Webメディア、新聞雑誌、テレビ・ラジオなどにて執筆・出演多数、政府広報誌や行政白書にも参加する。好物は美味いものと美しいもの、刺さる言葉の数々。悩みは加齢に伴うオッサン化問題。