大学院で博士号を取得し、教員ポストに就くまでの通過点であるはずの「ポストドクター」。欧米ではキャリアパスの一つだが、日本では身分も収入も不安定だ。なぜ超高学歴女子が貧困に陥ってしまうのか。『高学歴女子の貧困』の著者・水月昭道さんが解説する――。

もっとも高学歴であるはずの「博士号取得者」も、貧困にあえいでいるのをご存じだろうか。

博士号取得者が講師や准教授になる前に就く研究職を「ポストドクター」(以下、ポスドク)と呼ぶが、任期付き非正規雇用であるこのポスドクの貧困が問題視されている。

この背景や構造を、2007年に『高学歴ワーキングプア』という本にてまとめ、世に問うたところ、ある女性研究者から「本書は男性目線に偏っている」という批判の手紙を頂いた。

これがきっかけで、その手紙の主――大理奈穂子らとともに、女性目線からの高学歴ワーキングプア問題を掘り下げることになり、14年に『高学歴女子の貧困』としてあらためて出版した。本稿はそれを基に構成される。

なお、同書は、問題の渦中にある女性から、本音を忌憚(きたん)なく語ってもらったこともあり、世のオジサマたちから叩かれまくっている。アカデミアという(男性)社会のなかで、(マイノリティである)女性研究者はどのような境遇に置かれてしまうのかを、以下で明らかにしていこう。

大学院入院者が増えても就職先は増えない!

博士号取得者の貧困問題に関する全体的背景には、需給バランスの崩壊という構造がある。

1991年にはじまった「大学院重点化」という政策により、大学院生の総数はそれまでの約10万人から、現在では2.5倍にあたる25万人ほどにまで増産されている。これは、92年をピークに激減しはじめる18歳人口の穴を埋める形となり、大学入学者数の減少分が大学院入院者の増加により帳消しとなる珍現象までをもたらすほどのものとなった。

急増による弊害はひどく、理系の修士課程修了者を除いては、ほぼ就労先が見つからないという問題に直面することになった。技術職系以外は、あたかも「大学の新卒一括採用で十分」という企業の本音もちらつくなか、行き場を失った文系出身高学歴者たちが世にあふれだす。

ご承知のように、女子は昔から文系を選択する傾向が強い。社会や家族からの暗黙の期待により、学問の専攻分野がいわゆる「女子枠」に集約するようなチカラが働きやすいからだ。

そんななか、とりわけ学歴の頂点である博士号までをも取得してしまった女子の先行きは、辛酸をなめるものとなっている。そこに、もはや理系・文系の区別はない。

「リケジョ」などという言葉がつくられ、一見すると、女性研究者が華々しく研究機関等で活躍しているようにも映るが、実態の多くが任期付き非正規雇用のポスドクである。

文系がさらに悲惨なのは言うまでもない。理系と異なり、文系は就労先の幅がそもそも狭い。民間企業には、文系博士の需要は男性・女性を問わずほぼない。必然的に、大学に残り、専任教員を目指すこととなる。

《博士号を持つ女子でも仕事が見つからないのはなぜ?

▼大学院卒増加で需給バランスが崩壊!
【女性博士ゆえに直面する壁】
1. 上からの庇護を受けにくい立場にある
2. 女性教員(教授)が少なく発言力も学内政治力も弱い
3. 能力等についての根強い偏見の問題
4. 学問の専攻が社会的需要の乏しい「女子枠」に押し込められがち
5. 居場所を求めて自ら降りる

大学生以下の収入で数少ないポストの空きを待つ

だが、大学教員市場に新たな需要が発生することは全くなかった。少子化による大学経営の行き詰まりである。大学は、自前では必要最低限の教員だけを雇い、あとは非常勤講師等に安く講義を外注する始末。

ポスドクたちの賃金は、週に1回90分の講義を月に計4回こなして、おおむね3万円。都内であれば、大学生の家庭教師ですらこれより優に稼ぐはずだ。それでも、仕事がないよりはまし、とばかりに文系博士たちはこれを奪い合う。当然、年収は200万円以下。実は、この外注されやすい講義こそが、これまた困ったことに、女性の選択比率が高い「語学」等の教科でもある。

数少ない教員採用の現場でも女性は不利を被りやすい。ポストをめぐる熾烈(しれつ)な競争の主役は、あくまで男性である。大学教員の世界では、女性が占める割合は約20%にすぎないからだ。ここに少数派ならではの問題が生じる。いわゆる空きポストが出た場合、そこにどうやって食い込めるか、という点で。

純粋に能力や実績などの自助努力だけで物事が決まればそれにこしたことはないのだが、実際には指導教員ほかからの推薦がものをいう場合も多いし、その優先順位も、既婚男性>独身男性>女性とつけられることが珍しくない。

さらに、指導する側の女性教員の存在、特に教授が極端に少ないゆえに、アカデミアのなかで、女性の教員候補者は、上に立つ側の同性からの庇護(ひご)も受けにくい地位に立たされているといえよう。

自分たちを取り巻く優位性に無自覚な男性社会のなかでは、時に、「女子はいざとなったら結婚すればよいだろう」などといった声すら生じがちなことも否定しがたい事実だ。それは、女性の(研究・教育・学内行政や政治)能力に対する根強い偏見にもつながっている。そうしたことに嫌気がさし、この世界から自ら“降りる”女性博士も少なからずいる。

さて、見てきたように、ある大きな社会問題が生じるとき、そこでマイノリティである側――女性は、より弱い立場に置かれやすい。それは、構造的な問題であるにもかかわらず、本人の資質などと自己責任に帰結させる論調へと貶(おとし)められやすい。

女子が発言力を増し、社会変革を起こすまで、残念ながらその風潮は維持されるだろう。

水月昭道(みづき・しょうどう)
1967年、福岡県生まれ。評論家。立命館大学等で教えたのち、文筆・評論活動へ。九州大学で博士号(人間環境学)取得。著書に『高学歴ワーキングプア』『高学歴女子の貧困』(いずれも光文社新書)など。浄土真宗本願寺派僧侶。筑紫女学園評議員。