人々の暮らしの積み重なりから成る「文化」。すでに失われてしまったものを含めて、知っておきたい「日本文化」に触れられるおすすめ本を、初級・中級・上級と分けて教えてもらった。(教えてくれる人:作家・岩下尚史さん)
日本文化を染み込ませる
-日々の暮らしに伝わるものこそ、本当の文化
日本人でありながら、まるで外から見たように「日本文化」と呼ぶこと自体、私などは水くさい気がします。
そもそも「文化」という言葉は、人々の長い暮らしの積み重なりの中で形を成したものを指すわけですから、それぞれの家に違いがあるはずで、ひとつの「日本文化」など、あるはずはないのです。
挨拶の仕方、食事の取り方、冠婚葬祭の仕来り、衣服の選び方など、それぞれの家庭の主婦が嫁に伝承してきたことが、昭和の初めから失われはじめます。
その結果、いまでは中高年になっても、自家の鏡餅の飾り方を知らない人たちが多いようです。
最初にご提案した3冊は、親が子へ、自家の暮らし方を伝えようとするものです。どれも品のよろしい言葉で書いてあります。
ただし、幸田家、森田家、辰巳家それぞれの家庭に伝わってきた文化ですから、それを私たちが学び取り入れようとする場合、残念ながら他家のまねにしかなりませんが、失われてしまったのならば仕方がない、ご参考までにと存じます。
中級・上級編には、古典の心と形を学ぶための本を選びました。繰り返してお読みになりますと、ゆくすえを照らすものになることでしょう。
日本文化の本【初級】
-親から子へ、暮らしを通して伝える生きぬく力
『幸田文 しつけ帖』幸田 文(平凡社)
明治時代の文豪、幸田露伴は長女、文に掃除、洗濯、食事の支度とあらゆる家事の手順と心得を伝えた。その思い出を美しい日本語でつづった随筆集。厳しくも筋の通った露伴の教えは本当の豊かさとは何かを教えてくれる。
『もめん随筆』森田たま(中公文庫)
明治に生まれ、大正、昭和を生きた森田たまが大好きな着物を中心に日々の暮らしや知人たちとの交流をつづった初の随筆集。着道楽だった著者の着物への深い愛情が心地よい言葉の調子とともに伝わってくる。
『新版 娘につたえる私の味』辰巳浜子、辰巳芳子(文藝春秋)
日本の料理研究家の草分けでもある辰巳浜子が娘の料理研究家・芳子に伝えたい味をまとめた家庭料理集。料理はいのちをつなぐもの、家族を守るものという辰巳家の文化が飽食時代を生きる私たちの心に響いてくる。
日本文化の本【中級】
-日本の心と形を禅、茶、春画、美から学ぶ
『歩々清風 科学する茶禅の人』堀内宗心(禅文化研究所)
著者は表千家流堀内家12代。茶道は武士が人間らしくなるために学んだ禅宗から生まれた。「茶を習う」とは、自他の境を無くし自己を万物の中に融合同化させる方便であり、本書はそれをわかりやすい言葉で学べる。
『日本その心とかたち(ジブリLibrary)』加藤周一(徳間書店)
深い洞察力を持つ評論家・加藤周一が縄文時代から現代のアニメーションまでを取り上げ、日本文化を美術史からひもとく。常識や定説をくつがえす鋭い分析と西洋文化との比較を通じて、私たちの美の意識が察知される。
『春画の楽しみ方 完全ガイド』白倉敬彦(池田書店)
かつて嫁入り道具として母から持たされることもあった春画。あらためて向き合うと、女性としての夜のたしなみは興味深い。掲載された作品の完成度も高く、いわゆる浮世絵を知るときの良書でもある。
日本文化の本【上級】
-ゆかしく、繰り返し、身に染み入るように
『折口信夫 古典詩歌論集』折口信夫(岩波文庫)
近代以前、日本の文学といえば和歌であり、連歌であった。いわば、日本文化の根本であるのだから、わかってもわからなくても、呪文のように唱えるべきである、と私は思っている。
『坂部恵集4〈しるし〉〈かたりふるまい〉』坂部 恵(岩波書店)
哲学者・坂部恵の評論集。人間の「ふるまい」や「ふり」という日常的な動作を取り上げ、行動する側と受け手の二重構造や西洋との違いを比較することで日本文化を論じている。奥行きのある詩的な文体が心地よい。
『英文収録 日本の覚醒』岡倉天心(講談社学術文庫)
日露戦争当時、英文で書かれ、米国で出版された本の翻訳版。日本美術に生涯をささげた岡倉天心による日本の思想や文化の独自性を述べた著書は、新たなグローバル化を迫られている現代、十分に新しく、学ぶ点が多い。
新橋演舞場の企画室長を経て、2006年に処女作『芸者論』で第20回和辻哲郎文化賞受賞。エッセイ等でも活躍。趣味として宮薗節・千之流の浄瑠璃も皆伝。國學院大學客員教授。