2015年初め、定年退職を迎えることになっていた尾田さんは、仕事の引き継ぎと実家のある北海道に戻る準備を着々と進めていた。いらなくなるからと、スーツも人に譲ってしまったあと、突然の役員拝命。それはまさに青天のへきれきだった。

定年退職日に向けてのせわしない日々

2015年3月から執行役員、サービス業務教育部長に就任した尾田久美子さん。役員に推された一つの理由に抜群の行動力がありそうだ。

日本生命保険 執行役員 尾田久美子さん

日本生命保険は、お客さまの視点で保険に関わる仕組みを作り直す「新統合計画」で、事務工程の抜本的改革を行った。その一環で保険契約にまつわる事務をシステム化し、各営業部で営業職員の事務サポートを担う内勤の業務を変え、勤務地も支社に集める大掛かりな改革が行われた。尾田さんは2012年8月から翌年3月までその円滑移行をリードした。

内勤は仕事内容が高度になったり、通勤が不便になるケースも生じるなど働き方が変わり、営業職員もそばに内勤がいなくなることに不安を覚えた。皆の不安や疑問を解決しなければならないプロジェクトだったが、尾田さんは困難を伴ってもやり抜かなければならない理由を丁寧に説いて回り、成功に導いた。

「もちろん私一人では進められません。人員が限られていたので、各部の部長さんに掛け合ってプロジェクトの主要メンバーを出していただきました」

2015年初めのころは、まさか自分が役員になるとは思ってもみなかった。それどころか3月の定年退職の日に向けて、引き継ぎにせわしない日々を送っていた。

もうすぐスーツも要らなくなる。そう思って冬物を除いた大半を人にあげてしまった。

「あとは任せた」で踏ん切りがついた

2月中旬になって、筒井義信社長から電話があり、「尾田さん、来年も働いてもらうから」と言われる。何の話かさっぱりわからず、口から出た言葉は、「すみません。私、今年で定年なんです」。

「われながらとんちんかんな受け答えですね(笑)。役員の話とわかってからも、『どうしようか』とちょっと考えました」

瞬時、間が空いた。尾田さんの頭の中をよぎったのは「ここで私が断ったら『せっかく役員に推しても女は断るしな』と思われ、もしかしたら後輩の女性が役員になる次の道がなくなるかもしれない」ということだった。そこまで考えて「はい」と答えた。

キティちゃんの大ファン。ハンコなどの小物入れとUSBホルダー。役員になったときのお祝いにもらったペンにもキティちゃんのチャームが。

それでもまだ迷っていた。定年を前に「やれることはやった。あとは後輩に任せよう」と思っていたから、「これから何をやればいいのだろう」と悩んだのだ。

そんなとき、冒頭のプロジェクトを陰で支えてくれた当時の黒田正実専務から出向挨拶の封書が届いた。その中に「あとは任せた」と手書きの文字が。

「任せられたか、と思ったとたん、役員になったら、それをやろうと気持ちが固まりました。最後に託された重要な仕事を私もきちんとやり遂げ、次に伝えていくのがやはり上司の役割だと思うんです」

役員になって困ったのが着るものだった。人にあげたスーツを今さら「返して」とは言えない。

「最近よく服を買っています」

笑いながらそう話す尾田さん。最初の失敗も服にまつわるものだ。

入社3年目の恥ずかしい失敗

尾田さんは1973年に釧路の高校を卒業し、地元の釧路支社に入る。同期には同じ高卒の女性が7人。

「終業後や土日によく遊んで、楽しい時代でした。仕事を覚えるのはしんどかったですけどね」

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入社したてのころは女性の先輩が電話の掛け方や社内文書の書き方など、仕事の細かいところまで丁寧に指導してくれた。一方で男性の上司は、仕事の相談に行くと、必ず「あなたはどう思うの?」と問い返す人だった。だから相談に行く前に自分で調べ、自分で考える癖がついた。

当時は、今と違って女性は結婚したら仕事を辞めるのが一般的。3年近くして気づいてみれば、22歳にして女性社員の中で一番年上になっていた。そんなころ、「恥ずかしくて、あのころに戻りたくない」という失敗をおかす。

「釧路支社は担当エリアが広大で、四国の1.4倍くらいあります。泊まりがけのこともあって、若い子なりのおしゃれをして出かけました。でも、その格好がかなりチャラチャラしていたんです。会社を代表して行っているのに」

企業を訪問し、話す相手は社長の奥さんが多かった。

「ご自分の娘さんくらいの年齢の私を大目に見てくれたんでしょうね。高校を出ての22歳ですから、まだ世間知らず。そういうことを教えてくれる先輩がいたらよかったなと思います」

後に、尾田さんは後輩には自分と同じ恥ずかしい思いをさせたくないと、内勤者向けに服装などのマナー研修を実施している。

地方勤務に付きもののクルマの運転が苦手

2006年に大阪本店の契約管理部から出て、山形支社に赴いた支社次長の時代にはクルマの運転に手を焼いた。長年ペーパードライバーだった尾田さんも、山形に赴任すれば営業所を回るためにクルマが必要と考えた。ペーパードライバー講習を3時間受けたものの、実際の運転は勝手が違った。

「とても運転が下手だったんです(笑)。職員から『営業所のまわりをたらたら走ってる迷惑なクルマ、と思ったら次長だった』とよく怒られました。赤いクルマに乗っていたから余計に目立って」

ほとんど渋滞のない山形で、どうして渋滞が起きているのだろうと職員が確認すると、尾田さんのクルマが先頭を走っている。あまりに運転が危ういので、職員から「支社の駐車場は一番迷惑のかからない入り口付近に止めてください」と指定されてしまったことも。

幸運にもその後、仕事でクルマを使う必要はなくなった。新しいスーツに身を包み、きょうも「任せられたこと」を達成するために励んでいる。

■尾田さんの経歴

1973年(18歳)日本生命保険入社、釧路支社配属
1982年(27歳)主任補
1991年(36歳)事務主任
1993年(38歳)業務企画G主任
1995年(40歳)契約総務G主任、釧路支社主任
2000年(45歳)名古屋契約サービスG サービスセンターマネージャー
2006年(51歳)山形支社支社次長
2009年(54歳)お客様サービス部担当部長
2012年(57歳)新統合推進部担当部長を兼務
2014年(59歳)お客様サービス副本部長、サービス業務教育部長
2015年(60歳)執行役員就任

■Q&A

 ■好きなことば 
念ずれば花開く

 ■趣味 
旅行、読書

 ■ストレス発散 
買い物、マッサージ

 ■愛読書 
内田康夫など

尾田久美子
日本生命保険 執行役員。1973年、高校を卒業後日本生命保険に入社。釧路支社に配属。釧路支社主任などを経て2006年に女性として初めて山形支社で支社次長を担当。新統合推進部担当部長を経て2015年3月より執行役員。