パナソニック史上2人目の女性役員、小川理子さんにはジャズピアニストの顔もある。今は高級オーディオブランド「テクニクス」の責任者として、その才能の発揮が大いに期待されるが、若いころは特異な才能ゆえに周りとの摩擦を生むこともあったという。

熱心すぎて勇み足に

音響機器エンジニアとジャズピアニスト。2つのキャリアがときに寄り添い、ときに絡み合いながら小川理子(みちこ)さんの人生を彩ってきた。そして今、双方を最高に生かせる舞台に立っている。

パナソニック役員 小川理子さん

2015年春、パナソニックで女性として2人目の役員となり、2014年に4年ぶりに復活した高級オーディオブランド「テクニクス」の事業推進室長を務める。

小川さんは絶対音感を持ち、“ゴールデン・イヤー(黄金の耳)”と呼ばれる「音を周波数で聞き分けられる耳」の持ち主。3歳から始めたクラシックピアノでその能力を鍛えてきた。

入社した松下電器産業の音響研究所には音楽をこよなく愛し、楽器の演奏に堪能なエンジニアがたくさん所属していた。

「ジャズピアノを本格的に始めたのは1993年からです。当時の部長がニューオーリンズジャズのドラマーで、誘われて」

小川さんが入社したころは、すでに音源はCDなどのデジタルに切り替わっていた。しかしデジタルオーディオの音質はまだ十分とは言えなかった。

音や音楽には一家言持つ集団の中で、小川さんの仕事は音質評価。具体的には、オーディオ評論家と技術者の橋渡しだ。開発したデジタルオーディオの音質の評論は「もっとやわらかい音に」などとどうしても感性的な表現になる。それをエンジニアが理解しやすいようにスペックや数値に置き換えて伝える役だ。

そのころ、自分の才能をストレートに出して、周りから煙たがられるという苦い経験も。

「研究所長が、音響機器を開発して商品化するんだから音や音楽に対する感性がなくてはいかん、おかしいなと思ったら何でも言えと。まだ若かったのでうのみにしてしまいました(笑)」

ズケズケものを言う若手を「面白い」と思う上司もいれば、反対に「生意気」と感じる上司もいる。一生懸命に「感性」を伝えようとすればするほど空回りする。評論家からも「新米に何がわかるのか!」と疎んじられて悔しい思いもした。

バブル崩壊でプロジェクトが解散に

それでも、音響研究所にいた初めの7年間は純粋によい音を追求できるとても幸福な時代だった。ところがバブル崩壊とともに、1993年に小川さんがいた組織が解散に追い込まれる。

「これからどうしようかと迷いました。けれど、ちょうどDVDが出回り始めたころで、DVDオーディオはCDよりずっとよいデジタル音になるはずだと思ったので、それに賭けることにしました」

たまらなくいい音に感激して衝動買いしたヘッドホン。ボロボロになるまで使ってはリピート買いしている。

今までペアを組んで音質研究を進めてきた同期と一緒に挑戦することに決めた。ゼロからのスタート。文献を調べ、自分たちでマイクを担いでコンサートホールに出向いて音源を収録するところから手をつけた。

「ふつうコンサートホールで収録するときは天井のつりマイクを使います。そんなことも知らずに、座席の一番前にマイクスタンドを据えつけてしまいました。当然、聴衆の邪魔になるのでお叱りを受けました」

まだ規格の定まっていなかった、これからの技術であるDVDオーディオ。自分たちがその先端を行くのだという情熱が少しばかりオーバーランしてしまった。

サービスが遅れクレームの嵐

音響研究所で15年をすごしたのち、2001年にeネット事業本部でデジタルネットワークサービスに携わることになる。ADSLが定額制になって一気に普及していた。音楽コンテンツのネット配信がおぼろげに見えてきた時代だ。

eネット事業本部では後にいったん技術部門からはずれて、コンテンツ販売や、コンテンツが売れるように仕掛ける仕事につく。ブログに代表されるCGM(コンシューマー・ジェネレイテッド・メディア)という、消費者側からの情報発信が増えてきた時期に、新しくCGMチームをつくり、小川さんがリーダーになった。

メンバーは20代ばかり。今までのカッチリ作り込むメーカー体質と違い、完璧なものをつくる前に世に出してフィードバックをもらって改善するネットサービスの手法に新鮮味を覚えた。

ところが、思いもよらないアクシデントが待っていた。新サービスが予告していた日時に間に合わなかったのだ。

「前日、メンバーから『バグがすべて無くなりません』と報告がありましたが、『夜中じゅうに何とかします』と言われ、そのまま朝を迎えてしまいました。リーダーとして読みが甘かったんです」

その日、カスタマーサービスに何百という苦情が入った。今でも苦い思い出だ。

いくつかの失敗を経験しながらも、キャリアの階段を一段一段しっかりと歩んできた。これからは高級オーディオ「テクニクス」のブランド責任者として、大いに期待されている。半世紀の歴史があり、原音に忠実でスペックにも妥協しない高級ブランドだ。異動してから復活を発表するまでの4カ月間、死に物狂いでフィロソフィーをつくってきた。

「音楽を愛するすべての人々に、音楽の感動を伝えたい。人は忙しくなり、時間が細切れになり、音楽も細切れになってしまいました。いま一度、いい音で感動の体験をしてほしいと思っているんです」と力強く宣言する小川さん。そのけん引力で、テクニクス製品は2018年度に売り上げ100億円を目指す。

LIFE CHARTS

■Q&A

 ■好きなことば 
天然自然の理

 ■趣味 
旅、街歩き

 ■ストレス発散 
トレイルラン

 ■愛読書 
『竜馬がゆく』(高校時代、坂本竜馬のお墓にラブレターを埋めに行ったことも)


小川理子
パナソニック役員。1962年大阪府出身。86年慶應義塾大学理工学部卒業後、松下電器産業(現・パナソニック)に入社。音響研究所、eネット事業本部などを経て2015年、役員に。ジャズピアニストとして14枚のCDをリリース。