匿名ブログから発し、国会でも取り上げられた「保育園落ちた日本死ね」。これに対し「本当に女性?」「便所の落書き」と言った男性議員たちは、現代の若い女性達と真正面に対峙したことがないのではと驚いてしまうのだ。

「保育園落ちた日本死ね!!!」。強烈に鋭い切れ味で、保活(子供の保育園入園活動)落選の失望と待機児童問題への怒りを記した、子育て中の女性の匿名ブログが、日本を席巻した。「死ね!!!」と叩きつけるように打ち込まれた3つのエクスクラメーションマークが、書き手の激しい感情を物語っている。

何なんだよ日本。
一億総活躍社会じゃねーのかよ。
昨日見事に保育園落ちたわ。
どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか。
子供を産んで子育てして社会に出て働いて税金納めてやるって言ってるのに日本は何が不満なんだ?

深い共感を呼んだのは「激しさ」があったから

読点さえもどかしげに早口に畳み掛け、渾身の力で投げつけられる言葉のつぶて。書き手と同じ失望と憤激に心当たりのあった数万人の人々は、この激しさにこそ共感した。「書き手が実在するかさえ分からない匿名のブログなんて、事実確認のしようがない(から取り上げるに値しない)」と国会で斬り捨てられた時も、書き手の激しい思いへの共感があるからこそ「#保育園落ちたの私だ」とハッシュタグを付けて自分たちの体験をツイートし、Change.orgでの署名運動に協力したのだ。そして、とうとう本当の書き手が名乗りを上げた

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匿名ブログを書いた本人はTwitterで名乗りを上げた。アカウント名は「保育園落ちた人」(左)。ネット署名プラットフォームの「Change.org」では「保育園落ちたの私と私の仲間たちだ」と題した署名運動が起き、2万8000人以上の署名が集まった(右)

さきほど憤激と書いたが、ここに書きつけられた感情とは、失敗を安易に誰かのせいにするような、他責的な怒りなどではない。深い深い失望だ。「これだけ頑張っているのに。初めての子育てに結婚生活に社会復帰の準備にと、あちこちから自分に寄せられる期待と課題に、懸命に応えようと努力しているのに」という悲嘆なのだ。

「どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか」は、傲慢ではない。「この高い壁を乗り越えて輝けと言われ、よじ登る準備をしたのに、登れと言った側がハシゴを外した理不尽」への皮肉であり、自分の立場の弱さを思い知らされた自嘲だ。当事者がその失望の淵から絞り出した怒りのエネルギーに、同じく当事者としての実感や記憶を持つ多くの人々が呼応した。

「これ本当に女性の方が書いた文書ですかね」

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Change.orgで集まった27682人の署名は、山尾志桜里議員が受け取り、その後、塩崎恭久厚労相に手渡された

ところが、「#保育園落ちたの私だ」とあれほど多くの女性、男性たちが声を上げ、国会前デモが敢行され、Change.orgでのネット署名には約2万8000筆が集まって塩崎恭久厚生大臣へ託されたというのに、「日本死ね!!!」の字面の激しさだけにとらわれて、書き手の本質的な思いやテーマがまったく理解できない人々もいる。

「これ本当に女性の方が書いた文書ですかね」「言葉が日本語としては汚い」「教育上の影響も懸念」――国会でのみずからのヤジを「『日本死ね!!!』という言葉の悪さ」のせいにして一向に議論の焦点が合わず、視聴者からの嘲笑を浴びた平沢勝栄議員や、「『保育園落ちた日本死ね!!!』は便所の落書き。東日本大震災の被害者に申し訳が立たない」と、待機児童問題と震災の喪失をごった煮にするという論理破綻もはなはだしいブログで「理解力が低い」とネットで評され、小さく話題を提供した40代の男性杉並区議などを見ると、「この人たちは、保育園に入れるかどうかが、どれほど子育て中の働く父母にとって生命線であるかを本当に知らないのだろうなぁ、そして“真に”怒れる女性と真正面から対峙したことがおよそないのだろうなぁ」と不足を感じる。

男は怒っていいが、女は怒ってはいけないということ?

特に平沢勝栄議員の「これ本当に女性が書いた文書ですか」発言に至っては、この待機児童問題でデモや署名に参加したような当事者たちとの、何万光年もの距離、むしろ次元の差さえ感じる。

平沢勝栄議員(公式サイトより)

女性とは激しい感情を持たない生きものだとでも思っているのだろうか。あるいは、激しい感情をあらわにする女性は「まともじゃない」、だから「そんな人間の言うことは信憑性がない」と信じているのだろうか。では、まともに扱われるべき品性ある種類の女は、死ぬまで静かに涙でも流して、歯を食いしばって耐えでもするのだろうか。怒りを表すことすらできないなんて、そんな女性像がまかり通る社会こそ、正直いってマトモではない。

翻って男性には、怒りが非常に簡便な“男らしさ(?)”の表現として実に頻繁にまかり通り、声を荒げたり毒づいたり暴れてみたり、そんなことが実に容易に許されている。平沢勝栄氏本人からして、これまで数々の政治家同士の“ケンカ”で名を売ってきた人物のはずだ。それなのに、なぜ女が世の理不尽に対して怒ったら、それは「ろくでもない」と切り捨てられるのだろうか。なぜ正当な怒りとして尊重されないのだろうか。待機児童問題の理不尽と深刻さを瞬時に理解できなかった政治家に向けて、当の女性たちからのみならず男性からも、嘲笑に近いツッコミが殺到している。

「少子高齢化で、女性も労働力に組み込まなければ、日本の労働人口が先細る」「日本は女性の地位が低いなどと、外圧もうるさいし」――政治家が“女性活躍推進”を進める本当の理由はこの辺であり、決して女性たちの「働きたい」との思いや職業人としての矜恃をくみ上げたわけでない。彼女たちの意思本位で決められたとはとても言えない制度の中で、育児と会社勤めを両立させ、「育休世代」と呼ばれる働く母親たちは、十分素直に政策に従い、産後もすぐに社会復帰して、M字カーブの谷を上げるのに寄与している。

政策が動かしている気になっている女性たちは、のっぺらぼうな“層”や“労働力の集合体”ではない。一人一人に人格があり、人生があり、職業人としてのスキルや専門性を持つ、複雑で深遠な人間なのだ。立派な一個の人格なんだよ、若い女だって。人間なのだから、何かのきっかけで暴発し得るエネルギーも、もちろん内包している。政治家のあなたたちが活躍させようとしているのは、あなたたちがにわかには信じられないような「死ね!!!」という言葉が内側から噴き出す強さと激しさを持った、現代の女性たちなのですよ。

河崎環(かわさき・たまき)
フリーライター/コラムニスト。1973年京都生まれ、神奈川育ち。乙女座B型。執筆歴15年。分野は教育・子育て、グローバル政治経済、デザインその他の雑食性。 Webメディア、新聞雑誌、テレビ・ラジオなどにて執筆・出演多数、政府広報誌や行政白書にも参加する。好物は美味いものと美しいもの、刺さる言葉の数々。悩みは加齢に伴うオッサン化問題。