愛する人を失った時、私たちは振り返って何を思うでしょう? 後悔、懺悔、感謝、看取りきったすがすがしさ? 100人100通りの生き方があれば、同じ数だけの送られ方、送り方があります。「看取る」側の心境と現実を赤裸々につづった、井上理津子さん渾身のセルフ・ドキュメントです。
子供の頃は、親の存在を当たり前だ、永遠だと思っていた。少なくとも「親の介護」や「死別」のことなど、心配もしていなかった。
人が結婚し、子供を生み、母親になったり、幹部になって部下を持ったり……どのような生き方をしていても、親の老いは、誰もが避けて通れない。自分や自分の周りのことだけに夢中で、一生懸命走ってきていたとしても、それは突然やってくる。
私自身、父親を亡くした時のことを振り返れば、やはり突然だった、何の準備もできていなかったと、今改めて思う。
著名人の書いた、親の介護や別れの物語は書店によく平積みとなっているが、その経験がなければ「関係ない」と思って手に取らず、渦中の時は余裕もなく、経験後は本を読むことで、また“あの時”を想うのは辛すぎて、正直その類いの本を読むことがなかった。
しかしながら、丹念に取材を重ね書き上げたノンフィクション『さいごの色町 飛田』、『葬送の仕事師たち』(新潮ドキュメント賞候補作)の著者・井上理津子さんの書いた本ならば読みたいと思った。この著書なら、誰にも避けて通れないこの事実をどう描くのか? そんな関心から読み始めたのが、『親を送る』だ。
本書は著者自身が、50代で79歳と84歳の両親を相次いで亡くした時のセルフ・ドキュメント。その中で著者が赤裸々に書きつづっているのは、誰もが心構えできていない2つのこと、「心の準備」と「お金の準備」である。
病院での医師との会話、治療についての微妙な言葉のズレ、身内同士の考え方の違い、身内ゆえに言えないこと、突っ張れないこと……「心の準備」なしに起こる現実に、戸惑いを覚えない人はいない。ヒリヒリと残った時間だけが過ぎていく、焦り。
「お金」も切実だ。自分の車を利用すれば、その駐車場代。深夜や緊急時に使用するタクシー代、付き添いが交代でとる外食代。加えて、看病の間に著者の飼い犬を世話してもらっていたドッグシッター代。。気持ちの余裕も蓄えてきたお金も、両方が容赦なくすり減っていく様子がまさにリアルに書かれていた。
読み進めながら、自分自身を振り返る。最後に元気だった時の父親と話したのはいつ、どんな時だったろう? 認知症が始まった母親と会ったのはいつだったろうか……と。『親を送る』は、母親が亡くなり、認知症の父親の介護、老人ホーム探し、そしてすぐにやってきた父親との別れと続いていく。
働き盛りの30代~50代、時間はすごい早さで過ぎていく。その激しく忙しい毎日を切り裂くようにやってくるのが「親の老い」「介護」「別れ」だ。
亡くなった人の銀行口座やクレジットカード、運転免許証はどうすればよいのか? 実家を畳むならば何からどうするのか? 改めて問われ、答えに詰まってしまうことばかりだ。直面した時、どれだけ明確に答えられるだろうか。
大半の人はその時になったら考えればいい(考える必要もない)と思い、生活しているのでは? 「親を送る」ための万全の準備など不可能に近いが、少なくともその日は必ずやってくると認識し、受け入れる心の窓を時折開けて、風を通しておくことが必要だと、本書を読み感じた。
――親の老いと死を書くことは、親の長い人生に思いを寄せつつ、辛かったあの期間を追体験することであり、私自身の来し方を振り返って頭を打つことだった。
(本書 「あとがき」より抜粋)
父の看取りの追体験をするのが辛く、介護や親との死別の著作から目をそらしていた私であったが、書く方がその何十倍、何百倍辛いに決まっている。
井上さんは、「我が家族のプライベ―トな問題など、読者にはどうでもいいのではないか? 不遜ではないか?」と執筆が進まず、この作品を書くことをあきらめそうになった時、編集者の「100人いれば100通りの親の送り方がある。その一例でいいのです。思いの丈を打ち明けてください」という言葉に励まされて書き上げたという。
「親の送り方」に完璧な答えなどない。だから考える、だから行動する。あなたが、最後に親と会ったのはいつですか? 話したのはいつですか? 電話、手紙、メール、伝達手段は何でもいい。自分の言葉を伝えることから始めてみませんか?