子どもの頃から、「世の中の不条理を無くしたい」と考えていたLIP 代表理事の慎 泰俊さん。外資系金融機関で働き始めてから読んだ、そんな思いを“かたちにするきっかけ”をくれた本とは?

読書ノートが400ページにも

誰にでも、本にはまる時期があると思います。僕にとっては、朝鮮大学校時代と、卒業してからMBA留学のために勉強していた2年間がそうでした。その当時、僕の読書の方法は、大別すると次の3つのパターンに分けられていました。

まず、古典に親しむこと。目標は岩波文庫の全巻読破で、これに読書時間の7~8割を費やしました。次に、興味のある人物の著作や伝記をまとめて読むこと。とりわけ、二宮金次郎や西郷隆盛が好きでした。そして、気になったジャンルの書籍には必ず目を通すことです。

古典をたくさん読んでいた頃に出会ったのが、ドイツの哲学者・ショウペンハウエルの『読書について』でした。そのエッセイで彼は「良書を読むための条件は、悪書を読まぬことである。人生は短く、時間と力は限りがあるからである」と書いています。これは衝撃的で、いまでも年に1、2回は読み返しますが、そのたびに警句を発せられている気がしてなりません。

【写真上】『読書について』【写真下】『貧困の終焉』

このショウペンハウエルの言葉を実践するためには、やはり古今東西の名著に親しもうと決めました。その意味では、岩波文庫はうってつけです。とはいえ、まだ20歳そこそこの学生だった僕には、難しすぎる著作が多かったことも事実でした。

例えば『資本論』。最初から最後まで読みましたが、内容はほとんど頭に入ってこない。そこで、ノートを取るようにしたのです。マルクスの思想を、読み、考え、書くという繰り返しのなかで理解するように努めました。そのときの読書ノートは400ページぐらいになったはずです。

いま考えると、人間の脳はアウトプットをしないと記憶に残らないということなのかもしれません。その意味では、20代の頃に古典と格闘するように対峙(たいじ)できた時間は、とても貴重だったと思います。

外資系金融機関で働き始めてから読んだ本にアメリカの経済学者であるジェフリー・サックスの『貧困の終焉』があります。確か2005年でしたが「TIME」の特集に興味を持ち、原書を取り寄せました。

慎 泰俊さん「生まれながらの環境でその人の可能性が制限される世の中がすごく嫌いで。それをどうしても変えたいと思っているんです。」

この本には、世界中で年間800万人が亡くなっている貧困の痛ましい現実が示されていました。そして、それを僕たちの世代で終わらせるための経済や教育のグローバルな協力関係構築の必要性が説かれています。

やがて日本語訳も出版され、再び手に取ったとき、1回目とは違う手応えを感じました。あらためて「世界にはこんな問題があるんだ」と認識したものです。

僕は、本と出会うタイミングはとても大切だと考えています。本に書かれた内容が読み手に突き刺さる状況かどうかが、その人にとっての“一冊の本”になるかどうかの分かれ目になります。また、本には思索を深めてくれる本と、読んだ人に行動を促す本があって、『貧困の終焉』は僕に、どう行動するかを問いかけてきました。

全員を幸せにするのは難しいけれど

子どもの頃から、人が生まれた場所や家庭環境で運命が決まるのはおかしい、そんな不条理は無くしたいと思っていました。それにはまず自分が力をつけないといけません。その手段として金融を選び、当面はプロとしての実力を養おうと考えていました。

では、何も行動をしなくてもいいのかといえば、それも違う。仲間たちとNPOリビング・イン・ピース(LIP)を立ち上げて始めたのが、マイクロファイナンスでした。これは、日本の個人から集めた資金を現地の信用組合など小さな金融機関を通して、住民への融資や預金サービスを行うものです。僕を含めてメンバーは本業を持ちながら、この活動に関わっています。

LIPでは日本国内の児童養護施設の問題にも取り組んできました。現在、全国では約4万人以上の子どもが、親の虐待や貧困などを理由に施設や里親家庭での生活を送っています。大多数の子どもは施設暮らしをしているのですが 、そこで働く職員の数も不足がちで、経済的にも精神的にも十分なケアを受けているとはいえません。そこで、月々1000円からの寄付を募り、国の補助金制度などを活用しながら、環境改善を進めています。基本的には大規模施設から子どもたちの個部屋もあるグループホームへの建て替えです。すでに茨城県の筑波愛児園が終わり、2015年5月には鳥取こども学園の支援を決定しています。

こうしたプロジェクトの原点には、生まれた環境にかかわらず、機会だけは平等に提供されるべきだという信念があります。もちろん、全員を幸せにするのは難しいかもしれません。それでも望みを持てる世の中にしたい、それが僕の願いです。

●好きな書店
丸善丸の内本店、代官山 蔦屋書店

●好きな読書の場所
飛行機の中

●好きな作家
ドストエフスキー

慎 泰俊(しん・てじゅん)
LIP 代表理事。1981年東京都生まれ。朝鮮大学校政治経済学部卒業、早稲田大学大学院ファイナンス研究科修了。モルガン・スタンレー・キャピタルなどを経て、2014年五常・アンド・カンパニーを起業。07年NPO法人Living in Peaceを設立、日本初の「マイクロファイナンス貧困削減投資ファンド」を企画。著書多数。囲碁六段。本州縦断164kmマラソン完走。