「権利を声高に口にするのは角が立つ。相手を立て、要らぬ波風を立てないように」という女性向けアドバイスは、日本の人生相談に特徴的なロジックなのだという。賢い女はどのように振る舞うべきなのだろうか。闘うべきか、闘わないべきか……?

日本の女性向け人生相談に多い、ある特徴的なロジック

コラムニスト・河崎環さん

「日本のメディアにおける女性向けの人生相談には、特徴的なロジックがある」と、友人の社会学研究者が指摘していた。

それは夫との不仲や、姑・舅との確執といったような、ワイドショー的な場面での人生相談だ。自分の要求を強く主張したり、ましてや「女性の権利」という言葉を声高に口にするのは「角が立つ」、「要らぬ波風を立てる」ということで、それよりも「女性であるあなたの側がもっと賢くなって、上手に相手を立てながら、自分の要求を通すようにするのがいいのですよ」というソリューションがこれまで広く普及してきた。

こうした「女性は主張せずに、周囲の状況を読み、賢く立ち回るのが最も合理的だというロジック」が日本のあらゆる人生相談で奨励されていること、そして「いわゆる“九州男児”なる男性たちを”抱える”、九州地方の市井の女性たちが共有してきた特徴的な思考と通底するものがあり、他の国の人生相談ではあまり見当たらない」との指摘に、子育てや女の人生相談といった原稿も書く私は考え込んだものだ。

「正面からぶつからずに相手を立て、気持ちよくさせて、その隙に自分の要求をすべりこませる」なんて、闘うことを回避した、ずるい臆病者の妥協である、という考え方もできる。男性に譲ってばかりで女性が闘わないから、結局忍耐だ我慢だと現状は何一つ変えられないのだ、だから日本はいつまでも忍耐強い女たちに甘やかされて、根本的に変われないのだ、と。しかし、相手を気持ちよくさせておいて自分の要求を通すなんてWin-Winの手法は交渉術としてはかなり上級。誰も血を流さずに事態を変える「無血革命」を地で行くよなぁ、などとも思うのだ。

「正面からぶつからずに相手を立て、気持ちよくさせて、その隙に自分の要求をすべりこませる」。これは賢いのか、それともずるい臆病者の妥協なのか……

英国の田舎町で起きた「譲らない」事件

そんな「譲る女」だらけの日本ではまず起こらないであろう、女性が「権利」を主張することによる紛争が、例えば英国では起こる。英国バークシャーのメイデンヘッドという、典型的な古き佳き英国の面影を残す小さな田舎町で、2台のメルセデス・ベンツが細いトンネルの中でお互いに道を譲らず40分睨み合い、大規模な交通渋滞を引き起こしたとの話が、大衆紙デイリー・メールのウェブサイトで報じられた(記事:http://www.dailymail.co.uk/news/article-3246424/Outrageous-video-shows-road-shut-FORTY-MINUTES-two-Mercedes-drivers-stand-single-lane-railway-bridge-refuse-budge.html)。

英国の大衆紙デイリー・メールで報じられた、ベンツ2台の「譲らない事件」。Facebookのシェア数8600、コメント数3400というとんでもない盛り上がりぶり
記事ページで見られる動画には、40分のにらみ合いと、怒号が飛び交うようす(ピー音だらけだ)が臨場感たっぷりに記録されている

この町はテムズ川の上流にあたり、テムズに架かる古い大小いくつもの橋や、橋へ向かうトンネルがある。しかしそれらは古き佳き町並みを保全するのが最上の美徳という英国的態度によって拡張されず、車がすれ違うだけの道幅がないので車線と歩道は一つだけのまま、という場所が多い。信号がないこともしばしばで、そういう場合、車は橋やトンネルに差し掛かると、対向車の様子を見ながら一車線を片側ずつ交互に通行することになる。

対向車が既に橋の上やトンネルの中にいるときは、自分の側が停車し、橋のたもとやトンネルの入り口で待たねばならない。もし自分が進入したあとに対向車が既にいたことに気付いたら、より出口から近い方が入り口までバックする。ルールは存在するものの、あくまでも細部の実践はマナーや良心に委ねられており、橋やトンネルで対向車と出会ってしまったが距離的にはどっちもどっちだったりすると、最終的には例えば相手が女性なら男性側が紳士らしく道を譲り、あるいは余裕のある側が「自分は教養やマナーをちゃんと身につけた質の高い人間である」証明として道を譲る。対向車同士がお互いに譲らないなどという事態は、英国的には非常識極まりない出来事であり、まして40分も睨み合って渋滞を引き起こしたなど、「嘆かわしい」の極みなのだ。

一部始終が動画で録画されていた!

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片側通行のトンネルでにらみ合うベンツ2台(上)。野次馬の怒号が飛び交う(中)。「私には権利がある」と断固として譲らないブロンドの中年女性(下)

その一部始終を、居合わせた男性が録画していた。10年落ちのSクラスを運転する、運転技術にも、もしかすると精神や認知の状態にも不安が残るのではと察せられるナーバスな年配の男性と、最新型のメルセデスのコンバーティブルを駆り「私はこの道を先に行く権利がある」と断固として譲らない中年のブロンド女性。この見るからにミドルクラス以上の2人のメルセデスドライバーが言葉少なに、ただ頑固に対峙する異様な姿のみならず、たまたま居合わせた他の不幸なドライバーやバイカーたちの焦りと怒号を交えての40分に渡る紛糾がダイジェストで記録されている。

少々品に欠ける労働者階級の男性がやってきて、お節介にもそれぞれのサイドに「バックしろ」「あんたは道を譲るべきだ」と罵り言葉を混ぜて怒鳴る様子が、事態をさらに悪くしている。動画では女性の方が入り口から近いのだが、おそらく女性の方が先にトンネルに進入し、老人の運転する対向車があとから進入してくるのを見た時点で停止したところに、老人がそのまま進入を続けたのではないか、と見られている。それならまあ女性の主張は正しくはあるのだが、とにかく老人は事態もよく把握できておらずただ呆然としていて、「こんな状態で運転免許を持っていて大丈夫なのか?」という感じ。最終的には老人側が極めて危なっかしい運転でようやくバックし、事態は解決した。

それを見た読者たちで、大衆紙デイリー・メールのコメント欄は大荒れ。「余裕がある側が譲る」という英国的美徳に照らすならば、どう見てもその(少々痴呆ぎみではと察せられる)老人よりも、中年女性側が譲るべきだったというのが大方の見方だ。「メルセデス」、そして「ブロンド」という、大衆紙を読むような層を刺激しやすいキーワードも災いし、コメント欄には豚だ牛だクソ女だと中年女性への非難が集中した。そんなコメント欄の大勢を反映して、翌日に公開された同紙の記事は(記事:http://www.dailymail.co.uk/femail/article-3248394/JAN-MOIR-no-horrors-quite-like-Mercedes-Women.html)、「権利意識とプライドだけが高く、他人に譲る精神を髪一筋も持たない高慢な中年ブロンド女」として、女性側を叩いている。

柔らかさ、かわいらしさと高い能力の両立、その目標は難しすぎやしませんか

この英国での出来事に、階級、男女の社会的立場や、教義信条、イデオロギーを持ち込んでいろいろ考えることはできるだろう。どちらの側を支持することも自由だが、デイリー・メール紙の「どっちが悪い?」投票では、半数以上が「どっちもどっち」に票を投じている。

あなたが女性でも男性でも、「イギリス女、強いな~。怖いわ~」という無邪気な感想も大いにあると思う。ただ私がこの話を聞いて真っ先に思ったのは、少なくともこの瞬間、決して弱者ではない彼女が断固として手放さなかった些細な「権利」が一体どれほどのものだろう? ということだった。

一方で、いま活躍する日本の女性ビジネスパーソンを見ていると、「柔らかさ、可愛らしさ」と「高い能力」を両立し、「ただの強い女じゃない女」を目指そうとする人が多い。それだけにこうした「譲らない」がゆえの事件は、日本ではまず起こらない光景だろうという気がしている。あなたはこの出来事に、何を思いますか?

河崎環(かわさき・たまき)
フリーライター/コラムニスト。1973年京都生まれ、神奈川育ち。乙女座B型。執筆歴15年。分野は教育・子育て、グローバル政治経済、デザインその他の雑食性。 Webメディア、新聞雑誌、テレビ・ラジオなどにて執筆・出演多数、政府広報誌や行政白書にも参加する。好物は美味いものと美しいもの、刺さる言葉の数々。悩みは加齢に伴うオッサン化問題。