やればやるほど広がる奥深さ

私が紳士服の仕立て職人という道を志したのは、スーツの仕立てという手仕事の感覚がとても好きになったからでした。

滝沢滋 仕立て職人 柳下望都さん

その気持ちの原点として思い出すのは、高校を卒業後、新宿にある文化服装学院に入って3年目のことです。紳士服のクラスを選んでメンズのパンツをひとりで仕立てたのですが、そのときメンズはレディースと比べて、デザインよりも縫製の技術を大切にしていることを実感したんです。

作りながら「これだ」と思いました。なにかこう、すごく楽しくて、自分がやりたかったのはこれなんだ、と思いました。作っていたのは何の変哲もない普通のものでしたが、仕立ての過程に手作業がいっぱい入っているし、細かいところにこだわりが詰まっていて、見えない場所にポケットが付いていたり、まつり縫いを駆使したり。これまで勉強してきたこととは全く違う感覚がありました。

それから続けてジャケットを仕立てたのですが、仕立ての技術というのはやればやるほど広がりが出てくるんです。まるで一つの宇宙のような気さえします。

それまで私は学校で学びながら、自分の将来について「これだ」という何かを見つけられないままでいました。特に服飾のデザインになると、自分よりすごい人がたくさんいて、その世界で身を立てる自信はありませんでした。

そんななかで出会った紳士服の仕立ては、自信を持つことができそうだと感じられるものだったんです。縫製はとても好きでしたし、だからこそ、これだけは他の人に負けないようにと思ってやってきたからです。

洋服の世界では、レディースは変化、メンズは進化とよく言われます。流行によって次々に形が変わっていくレディースに対して、例えば紳士服のスーツには歴史的な形というものがあります。その制約の中で、生地や仕立てといった中身が進化していく。そういう考え方もとても自分に合っているように感じたんですね。

焦りと不安でいっぱいだった2年半

ただ、私が現在の会社に来るまでには、それから少し紆余曲折もありました。

専門学校を卒業後、最初は同じ銀座にある老舗テーラーに就職したのですが、タイミングもあって希望していた縫製の仕事に携わるチャンスがなかなかなくて。勤務した2年半のあいだは、このまま縫製の技術を学べなかったらどうしよう、早く前に進みたい――と焦りや不安で胸がいっぱいでした。

でも、いまから振り返ると、縁あって「滝沢滋」に転職してから手縫いの修業を懸命に続けられたのは、縫製の仕事をやりたいという気持ちをそのときに溜め込んだからかもしれません。

最初の3年間、日中は店頭で接客をして、朝と夜はひたすら与えられた課題を練習しました。学校ではやり方を習うだけだった基本的な地縫い、まつり縫いや星止め。その一つひとつを何度も何度も繰り返して、極めていくんです。とても地道で大変な時間だったけれど、縫製の技術をしばらく学べなかった、それまでの焦りや不安を振り切りたいという気持ちがありました。それが練習を頑張って続けていく力に変わっていったような気がします。

いまは週に2回、お店で接客をして、残りはアトリエでスーツを仕立てる日々を送っています。最初は手元が見えなくなるくらい夜遅くまで仕事をして、結局、翌朝にすべて糸を解いてやり直すようなこともありましたが、最近は体調の管理とリズムの大切さも意識的に考えられるようになってきました。

私が作っているのは、あくまでも「滝沢滋」の服です。いつかは「これは自分の作った服だ」と胸を張って言えるようなものを作りたい。そんな夢を持っています。

でも、まだ夢や目標を語るのは早いですね。いまは一人ひとりのお客様のことをイメージしながら、一針ずつ心を込めて、自分のできる最高の技術で服を妥協せずに作ること。その姿勢を大事にし続けた先に、新しい世界が見えてくるのだと思っています。

●手放せない仕事道具
就職が決まったときに祖母から手渡された、祖父のハサミ。

●趣味
ひとり旅

●好きな言葉
おだやか