丸い胸に幼い顔立ちが良しとされる、何かと萌えキャラが登場……「現代日本における表現は、欧米から見るとアウトなものも多い」と河崎さん。日本人の美意識はどれくらいガラパゴスなのか、いくつかの例で考えてみよう。
クレオパトラの鼻があと少し低かったら歴史が変わったなどと言うのなら、そりゃ私だってあと少し、いや少しと言わずにもっと、豊かな胸を持っていたら私の歴史が変わったかもしれない。……そう思う女性が多いから、世界中で何十万件、何百万件と豊胸手術が行われているわけである。
例えばハリウッド映画に出てくる女優たちやアメリカのヒットチャートを賑わすアイドル歌手たちの巨大な胸のほとんどが本物ではないということは、およそ大人なら皆が知っていることだ。でも、それを見た子どもたちは、あれがおっぱいだ、あるべき姿なのだ、そうでなければセクシーではないのだと刷り込まれて育つ。かくして女子は胸の大きさがコンプレックスになり、男子ならガールフレンドのリアルな胸にがっかりすることとなる。
実際不思議なことに、豊胸手術や詰め物をせず、本来の姿を貫くハリウッド女優がパーティーでイブニングドレス姿を披露すると、我々はどこかもの足りなく感じるというか、「なんか素人っぽい」と思ってしまうことがある。メディアのエロティシズム観、女性観の刷り込みとはかくも恐ろしい。「画面に堪えうる胸」とは豊満であるべきで、ショービジネスのプロならそういう特別な胸を持っているはずだ、そう、いつの間にか信じるようになってしまうのだ。
日本の豊胸手術件数が欧米諸国に比べて少ないのは、こうした西洋的なエロティシズム観とは違った流れにあるからで、日本には日本の美意識があるのだ……そう思いたいところだが、なかなかどうして、日本は日本で問題が根深い。日本の2次元カルチャーで描かれる「女の子」の姿は、ハリウッドとはまた別の方向性で虚構そのものだ。現実には存在し得ない身体や精神を持った異形の生き物が、甲高い声で笑ったり泣いたり。リアルにあんな女の子がいたとしたら、どう見ても情緒不安定である。
その2次元に描かれたキャラクターたちと生身の体を持つ3次元のアイドルたちが、メディアミックスという形で双方向に影響を与えた結果、最近では3次元のアイドルは極めて2次元的な特徴を持ち、それを見た子どもたちがまた「あれが可愛いということだ、人に愛される姿だ」と信じて育っている。20代後半になっても、欧米の感覚では小学生か中学生にあたるような幼い姿形を維持するのが「若い、可愛い」ともてはやされる。それが現代日本のエロティシズム観、美意識だというのなら、この国の「若い女性」のあり方と扱われ方は相当病んでいる。
だからなのだろう、先日、とある食品会社が販売する飲料のネット限定CMが、放映終了後9カ月も経過しているにもかかわらず、ネットで突然炎上した。このCMが今年(2015年)9月にアジアの代表的な広告祭であるスパイクスアジアで入賞したため、それを見た外国人ライターが「気持ちが悪い。理解に苦しむ」とツイートしたのがきっかけだ。このCMは3月のアドフェスト(アジア太平洋国際広告祭)でも入賞しており、CM技術の完成度や世界観には評価の声が高い。
このCMに描かれているのは、牛が擬人化された高校生たちの「卒牛式」だ。高校生たちはみな、鼻に鼻輪を付けている。あるものは動物園に、あるものは闘牛場へ、または食肉会社へと、人生の明暗をくっきりと分ける「進路」の宣告を校長先生から順番に受けていく。主人公たる女子高生・ウシ子は、これまで「あなたは“特別なもの”を持っているのだから、“胸を張って”」と母親にも応援され、華奢(きゃしゃ)な体に“栄養”をつけ、“大きな胸を揺らして”走り、夢の進路へ向けて努力を重ねてきた。とうとう卒業式の壇上で、校長先生から進路として念願の飲料ブランドを告げられ、「濃い牛乳を出し続けるんだよ」との言葉に、感激で打ち震えるのだ。そこに差し込まれる画面は「“特濃牛乳”100%使用のボトルコーヒー新発売」という、他愛のないショートムービーである。
このCMに対してネットでは、「悪趣味極まる」「牛の『進路』とはブラックだ」「女性を侮辱している」「性的な表現が気持ち悪い」「モヤモヤする」とさまざまな声が上がったが、なぜこのCMが欧米(というかアングロサクソン)の感覚ではアウトなのか、日本人ですぐに理解できる人は少ないようだ。
まずは女性を牛で擬人化するというのが、非常に、猛烈にまずい。即刻アウトだ。牛は「胸ばかり大きくて低脳な女」を示す隠語でもあり、それを胸の大きな可愛い女の子に擬人化したなんて、丸ごと女性への侮辱なのである。そして女の子の胸の揺れを強調する表現は、一般的な映像やゲームを制作しようとする現場では、性的な表現の代表として禁忌に近い。日本ではほとんど問題にならないが、欧米でこれをやったら、作品の年齢制限を引き上げてしまう。
極めつきは最後に校長先生が言う「濃い牛乳を出し続けるんだよ」。いかに擬人化した設定とは言え、もはや成人向けマンガ並みの下品さである。そんな言葉を、本来権威ある、しかも年配の大人が、若く社会経験の乏しい女子学生に対して微笑みながら発するなんて、社会的立場を利用した極めてタチの悪いセクハラと受け取られても言い訳できないのだ。
地方創生に萌えキャラが登場するなど、日本における表現は欧米人から見てぎりぎりアウトなものも多い。「日本人は“エロ耐性”がある」と微笑ましい誤解もあるようだが、これはただ、日本が男女みんなでお互いに「幼く無知で素直で成熟していないことには価値がある」と、ガラパゴス的な価値観を醸成発酵させてきた帰結だ。
言語的な障壁のおかげで、厳しい批評に晒されてこなかった日本の文化。国際的な注目をきっかけにそのおかしな部分が批評され、日本人の「常識」などはローカルルールに過ぎないことを認識し、発言や表現が修正されていくのは悪いことではない。それが本当の意味で国際感覚を身につけるということなのだから。
フリーライター/コラムニスト。1973年京都生まれ、神奈川育ち。乙女座B型。執筆歴15年。分野は教育・子育て、グローバル政治経済、デザインその他の雑食性。 Webメディア、新聞雑誌、テレビ・ラジオなどにて執筆・出演多数、政府広報誌や行政白書にも参加する。好物は美味いものと美しいもの、刺さる言葉の数々。悩みは加齢に伴うオッサン化問題。