東京都目黒区の保育園開園延期問題を考えてきた本連載。保育園反対派の声がクローズアップされがちですが、その裏には声を挙げづらいと感じている賛成派の人たちもいます。保育園賛成派の声をもとに、地元に広がりつつある開園への明るい兆しに目を向けます。

この連載では2015年4月に開園予定だった目黒区の認可保育園の開園反対運動を追ってきた。開園の延期後も、周辺住民との話し合いがまとまらず、平行線をたどっていたのだ。7月後半に保育園の運営会社、ブロッサムによる周辺住民に向けた説明会があると聞いて、私も参加することにした。会場は保育園となる予定の建屋で、目黒区の担当者も参加するという。関係者が顔を合わせる取材の好機だ。

当日、環状7号線からほど近い住宅地の一角にある会場、保育園になる予定の建物に行ってみると、驚いた。周囲の家に「開設反対!」と書かれたノボリが掲げられている。予定地の向かいの家には「ブロッサムは来るな!」と激しい文言の手書きの横断幕もあり、予想以上にピリピリした空気が周囲を覆っていた。

写真右/保育園に生まれ変わる予定の建屋。角地で採光は十分だ。保育園を運営予定のブロッサムは開園にあたり、近隣住民の住環境に配慮して、2重サッシの採用、防音壁の設置、さらに通気の時以外は窓を開けないなど、複数回の説明会で住民側に条件を提示している。写真左/2015年7月の説明会時、保育園開園予定地付近の様子。ものものしい雰囲気に包まれた近隣道路では、ベビーカー姿の母子や、子供乗せ自転車に幼児を乗せて行き交う親子の姿が複数見受けられた。

会場は教室になる予定であろう、小さめの部屋。赤ちゃん連れの女性から年配者まで、20数名の人々がいた。品のよいお年寄りが多い。ところが説明会が始まると私は会場を出なければいけなくなった。私の認識不足だったのだが、記者には説明会へ参加してほしくない、という反対住民の声があったのだ。

ただ、最初だけとはいえ参加できたおかげで、終了後、何人かに直接話を聞くことができた。参加者の約8割が反対派だったらしい。途中で「(ブロッサムは)か・え・れ! か・え・れ!」というコールも起こったという。私はあの上品そうなお年寄りたちがそんな激しい行為をしたのかと、ショックを受けた。保育園のオープンに反対する住民側の意見と、それに対応する目黒区の担当とのやり取りが1時間以上続き、膠着(こうちゃく)状態になった中、ただ1人、静かに挙手をして、保育園開園に“賛成”意見を述べたお年寄りの女性がいたそうだ。

「静かな生活を守りたい。反対する皆さんの気持ちも分かる。けれども、子供の声が聞こえなくなった町は寂しいんじゃないでしょうか」。そう、毅然と発言したという。明らかに反対派優勢の中で、この発言をするには勇気が必要だったのではないか。

その時に「賛成」の声を出したのは彼女だけだったが、説明会終了後に「賛成」や「応援」の意志を示す参加者も少なからずいたそうだ。反対する人ばかりではないのだ。

町を俯瞰で眺めると多様な生活が見えてくる

反対意見が多い中、臆することなく「保育園開園を見守りたい」と言った女性に、後日、会うことができた。菊川さん(仮名)。目黒区にもう何十年も住んでいて、民生委員を長く務めた経験から、この町のことをよく知っているのだと言う。

さらに話を聞くと、菊川さんと地域の子育てとの関わりは、今回に始まったわけではないらしい。菊川さんが民生委員をやっていた2000年前後、専業主婦向けの簡易な乳幼児一時預かりサービスを発案し、託児施設を運営していたのだ。働くお母さんと違い、専業主婦のお母さんは社会との接点が少なく、孤独なのではと気になったからだ。月に1度だけ、10時から15時まで赤ちゃんを預かり、お母さんは育児から解放されて1人の時間を楽しめる。そんな活動を始めたら、口コミで情報が伝わり何十人もの親子が集まるようになった。その取り組みは、菊川さんが民生委員を辞めた後も、お母さん同士で助け合いながら続いているそうだ。

菊川さんはそんな風に、地域コミュニティを思いやる人なのだろう。保育園開園とその反対運動のことも気にかけていたという。

「私もあの工場跡地である建物が保育園に最適とは思えませんよ。もっと広々した場所はないかとも思います。だからこそ、安定して保育園を運営していくために、周りの助けが必要なのではないかしら」と言う。「年を取ると静かに暮らしたい……そういう気持ちは私にもあります。でも今この近辺では、大きな家が取り壊されて、その敷地は4つや5つに分割され小さな家ができています。そこに若いご夫婦が移り住むようになっているの。そういう、これから子育てをする若い世代の人達には、保育園が必要なんですよね」。菊川さんは、そんな風に町に目を配り、時代の変化を敏感に受けとめている。長らく住んだ町に若い人が増えることをまず前向きにとらえているのだ。

対立する意見を交わして、町の総意をつくる

説明会には目黒区議会議員も何名か参加していた。2015年春に初当選した西崎つばさ氏もその1人だ。彼は、ブログでも保育園不足について訴えている。自身も小さな子供の父親で妻は看護師なので、他人事ではないのだ。

「保育園が足りないからつくっていこう! そう呼びかけています。基本的にどんどんつくるしかないのです」。保育園予定地は地元ではないが、目黒区内の他地域に影響も大きいと見て気にかけているという。

もう1人、保育園開園予定地のすぐ近くに住むというお母さんにも、話を聞くことができた。彼女は一時保育を利用する程度だが、周囲にはこの保育園の行く末を気にしている家庭がたくさんあって、開園を待ち望む声を聞くらしい。

「『私は賛成!』と声を上げて、住みづらくなるのは困るし、どうしたらいいか、もどかしい気持ちです。以前に説明会に参加したお母さんは、反対派の勢いに腰が引けてしまったそうです」

ノボリを目にして説明会などでの様子を知ると、町中が保育園開園に反対しているように見えるが、そうではないのではないか。菊川さんも西崎議員も、そしてたくさんのお母さんたちも、保育園を早くつくってほしいと思っている。その声は、反対派の大きな声にかき消されて聞こえてこないだけなのだ。

目黒区の資料(2015年4月調べ)によれば、同区平町2丁目周辺の待機児童数は17名、認可保育所の一次選考不承諾数は66名いる。この町に保育園を待望する家庭は、少なくともそれだけいるということだ。

保育園に期待する人より、反対派の声の方が大きい現状は、ネットの言論で言う「ノイジーマイノリティ」に似ている。炎上すると、全員が批判しているように見えるが、実際にはわずかな人々の強い声が聞こえているだけ。それとほとんど同じではないか。今の状況は、反対派の人々が目黒区と保育園側に異論を唱えているだけで、地域で保育園を望む人の声は議論に上がってきていない。

実は、議論は始まってもいなかったのだ。賛成の人は菊川さんに続いて声を上げるべきだと思う。保育園をなぜ望むのか、理由をはっきり示す。賛成意見と反対意見をきちんとぶつけ合うべきなのだ。どちらが正しいかではなく、どうしたら折り合いがつけられるか、その落とし所を探す努力はできるはずだ。

前回書いたように(「保育園は、町のインフラのひとつなのだと思う」http://woman.president.jp/articles/-/502)東京都の条例が「子供の声は騒音と見なさない」と改正されたのも、子育てと地域社会がどう向き合うか、今考え直す必要が出てきたからだ。保育園新設に反対する人々には、その問題意識は伝わっていないだろう。子供を抱える母親たちが、悩みを率直に声に出すのが、早道ではないか。多少の摩擦は引き起こしても意思表示すべきだと、菊川さんは教えてくれたのだと思う。

互いに理解するための努力をすれば、反対派の人々も、きっといつか笑って子供たちを迎えてくれると思う。そこには、私たちが見失っていたコミュニティが出現するのではないか。子供たちの声とお年寄りの笑い声が響き合う、本来の“町”が再びできていくはずだ。

境治(さかい・おさむ)
コピーライター/メディアコンサルタント
1962年福岡市生まれ。東京大学卒業後、広告会社I&Sに入社しコピーライターになり、93年からフリーランスとして活動。その後、映像制作会社ロボッ ト、ビデオプロモーションに勤務したのち、2013年から再びフリーランス。ブログ「クリエイティブビジネス論」でメディア論を展開し、メディアコンサル タントとしても活躍中。最近は育児と社会についても書いている。著書にハフィントンポストへの転載が発端となり綴った『赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない。(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4990811607/presidentonline-22/)』(三輪舎刊)がある。