世界文化遺産、イタリアの“水の都”ヴェネツィア。その街と周辺の島々で、期間限定で催される現代アートの祭典「第56回ヴェネツィア・ビエンナーレ」。この夏、刺激と癒しを同時に与えてくれる現代アートを通して、世界の潮流に身を任せる旅に出てみませんか?

国別パビリオン 金獅子賞~栄冠はアルメニアに 

現在、イタリアで開催されている世界最大級の現代アートの祭典「ヴェネツィア・ビエンナーレ」(~2015年11月22日)では、見応えのある多様な作品を、広大な敷地でゆったりと愉しむことができます。アートのオリンピックと称され、各国パビリオンやアーティストたちが威信をかけた賞レースを展開することでも有名です。

今回の国別パビリオン部門では、参加89カ国の並みいる強豪の中から、アルメニアが金獅子賞(最優秀賞)を獲得しました。テーマは『Armenity / Haiyutioun. Contemporary artists from the Armenian Diaspora』。

金獅子賞を受賞したアルメニアのキュレーター、アデリーナ・フォン・フュルステンベルク。
ARMENIA, Repubblica di/Photo by Sara Sagui/Courtesy:la Biennale di Venezia

“アルメニア人性、アルメニアの離散した現代アーティストたち”というテーマを掲げ、国内外で活動しているさまざまな世代の作家16組の作品で構成されています。

今年を第一次世界大戦下での“アルメニア人虐殺100年目”にあたる節目として位置づけ、長年にわたる紛争で離散を余儀なくされた歴史を持つ立場から「アルメニア人」というものを問い直し、今なお世界各地で続く紛争の源泉を見つめ、民族や国家のアイデンティティ、記憶、正義について考察し、異文化の交流や理解に向けた視点が評価されての受賞となりました。

サン・ラザロ島の修道院を訪ねて~アルメニア

アルメニアの正式名称は、アルメニア共和国。西にトルコ、東にアゼルバイジャン、南にイラン、北をグルジアに囲まれた、国土面積が日本の約13分の1という小さな国です。

主な民族はアルメニア系で、人口約300万人が公用語のアルメニア語を話し、西暦301年に世界で初めて、国家としても民族としても公式にキリスト教を受容しました(東方諸教会系のアルメニア教会)。

歴史の変遷を経て、1990年代に旧ソ連から独立しましたが、そのルーツは紀元前までさかのぼることができます。今回、アルメニア館の会場となったサン・ラザロ島は、ヴェネツィア共和国時代の検疫所だった島をアルメニア修道士が譲り受け、18世紀初頭から今日までアルメニアの修道院として機能しています。

写真上/建物の中庭に面した白い回廊には、写真を中心に作品が静かに展示されている。写真下/Aivazian Haig氏の「I am sick, but I am alive」。重厚な修道院の中に設置されたの彫刻作品。まるでもともとある調度品のように空間に馴染んでいる。Photo by Sara Sagui
Courtesy: la Biennale di Venezia

こうした予備知識をほとんど持たずに、ビエンナーレ授賞式でアルメニアの国別パビリオン部門金獅子賞受賞を知った直後、この島を訪れました。島はヴェネツィア本島から1日数便しかない船で20分ほどの距離ですが、雑踏と喧噪から解き放たれた別世界です。上陸すると小鳥のさえずりの中、緑鮮やかな庭園が広がり、その先には低層でレンガ造りの趣ある建物が佇み、それらが穏やかに調和しています。

現役の修道院ということもあり、中に入るとひんやりした回廊が中庭に向けて開かれていて、驚くほど静謐な美しさに満ちた場所でした。

ここは修道院であると同時に、アルメニアに関連した出版活動や、文化的な文物や図書等を収集、展示をしている文化センターとしての機能も有しています。歴史的な絵画、調度品、図書、考古学的な資料やミイラとともに、現代作家の写真や絵画、彫刻やインスタレーション、ビデオ作品が随所に展示されていて、一見すると本展の作品なのかどうか非常に曖昧で、空間全体が醸し出すキュレーションの妙も味わえます。

テーマにある「Diaspora」(ディアスポラ)とは、「分散」や「離散」というアルメニアにとって縁の深い言葉です。古くから文化や交易上の重要なルートであったため、ローマ帝国、モンゴル帝国、オスマン帝国や、旧ソ連など近隣諸国との紛争がこの国を翻弄してきました。そのため、多くのアルメニア人が生き延びるためにやむを得ず自国を離れ、現在、アルメニアの人口の約2倍にあたる600万人以上が国外に住んでいるといわれています。

歴史を重ね未来へ問いかける~アルメニア

島を散策すると、作品が空間に馴染むように屋内外に点在しています。声高に何かを訴えてくるというよりは、こちらから寄り添うと強い意志を持って語りかけてくる、そんな作品ばかりでした。

印象深い体験としては、図書室のような場所に配されていたニナ・カチャドリアン氏のビデオ作品です。インタビュー形式でカメラを見据えた1人のアルメニア人が単純な質問に答える映像なのですが、「あなたは普段、何語で話しますか?」という問いに対して、中年の男性が淡々と回答します。

ニナ・カチャドリアン氏の「Accent Elimination」。Photo by Sara Sagui
Courtesy: la Biennale di Venezia

両親が話すそれぞれの言葉、生まれてから各地を転々とした生い立ちや、妻や子どもとも主たる言語が異なる事情など、結果的に数カ国語を獲得してきた人生を通して、どういう歴史を背負った民族なのか、徐々に明らかになります。

作家であるニナ・カチャドリアン自身もアメリカで生まれ育っていますが、アルメニア人の父親とスェーデン系フィンランド人の母は、ベイルートで出会っています。この作品を見ていると、異国の知と信仰に満ちた清らかな空間で、1人の見知らぬアルメニア人と深い対話をしているような錯覚に陥りました。

そして、この物語の続き=未来も気になります。暗く重いテーマながら、各展示や空間の凛とした美しい佇まいに自然とひき込まれます。世界中に離散した民族の子孫がアートを通じ、人類に宿る普遍的な業をさらけ出し、未来に向けて踏み出そうとしている意志を強く感じました。

国別パビリオン~そのほか代表的な3つの国

ほかにも観るべき作品は数多くあり、国別パビリオン部門で特別表彰された、アメリカ館のジョーン・ジョナス氏は、蜂や魚、鏡など幽霊の物語に触発された詩的な絵画と映像作品を発表し、独特な世界を展開しています。

写真上/カナダ館のエントランス。消費社会をユーモラスにキッチュに描いた館の入り口は田舎の商店そのもの。写真下/カナダ館の展示風景。2階建ての建屋に商品が雑然と陳列されている。

また、メイン会場から離れた台湾パビリオンでは、ウ・ティエンチャン氏がキッチュな音楽とヴィジュアルに乗せたローテクなアジアを表現。それらのステレオタイプな印象を投影した作品で観客を楽しませていました。

カナダ館は、まずエントランスが田舎の商店の入り口そのものになっていて、中には雑然とした商品の陳列棚や使いかけのペンキなどがぎっしりと無造作に並び、コインを入れると自動的に循環するパチンコを彷彿とさせる機械など、現代の消費社会を揶揄したインスタレーションが人気を博しています。

企画展も満喫~2015夏旅はベネツィアへ

企画展示では、テーマに即した社会性を帯びた刺激的な作品が多く、メイン会場のひとつ「アルセナーレ」には、部屋一面におびただしい数の剣や刀が植物のように放射線状に地面に刺され、「睡蓮」という皮肉なタイトルがついたアルジェリア出身のアデル・アブデスメッド氏の不穏な作品が。

アデル・アブデスメッド氏の「睡蓮」。
Photo: Stefano Marchiante
Courtesy: la Biennale di Venezia

また企画展唯一の日本人作家・石田徹也氏のペインティングは、日本人の経済優先で非人間的な姿を、アイロニーとブラックユーモアの目線で描かれ、ジャルディーニで話題になっていました。

現代アートは現在を映す鏡であり、未来を照らす小さな光です。文字通り、世界中から集まった作品を通じて、未知に出会い、既知であるはずの自分を見つめ直せます。2015の夏は、そんな時間を過ごしてはいかがでしょうか?