「PRESIDENT WOMAN」2015年8月7日号(7月7日発売)の連載「潜入! 大人の女子会」では、国際女性ビジネス会議を取り上げます。
記念すべき第20回の開催を2015年7月26日(日)に控える今、会議の代表であり、20年前に立ち上げを行った佐々木かをりさんに、誌面では掲載しきれなかった発足秘話を聞きます。

※第20回会議のテーマや内容、第19回会議の写真については、「PRESIDENT WOMAN」2015年8月7日号に掲載しています。ぜひご覧ください。

学ぶ場がないなら、つくっちゃえ!

1996年にスタートして、今年で20回目を迎える「国際女性ビジネス会議」。じつは別の名前でそれ以前にも6回開催しているんです。私は1989年に働く女性たちが集まるネットワークをつくって、セミナーを開いたりしていました。その総会を1990年から年に1回開催していたのです。

国際女性ビジネス会議実行委員会委員長 佐々木かをりさん

今でこそ、いろんな勉強会がありますが、当時は男性向けのものも少なく、まして女性向けのものなんてない。なら、つくっちゃえ! と。

私は大学卒業後、フリーで翻訳や通訳の仕事をしていて、20代後半のときに法人化しました。さあ、どうしていこうかというとき、ヒントを得ようと、高校や大学の女友だちにどうしているのか聞いたら、ほとんどが仕事を辞めていた。みんな優秀で有名大学を卒業して就職していたのに、20代後半でこんなに優秀な人が辞めちゃうのかと、びっくりしました。

会社務めの経験もなかったので、相談できる先輩や同僚もいないし、同級生からも学べない。でも、アメリカには何かあるだろうと、現地に住む同級生の協力で、女性のビジネス系の団体50くらいに手紙を書いて、会報やプログラムを送っていただいたのです。

それを見ながら、今の私にどんな仲間がいたら学び合えるのか、研究しました。条件は年齢か職種かなどいろいろ考え、最終的に3つの条件をつくりました。その中で一番大事だったのが「貢献する人」ということ。志さえあれば、何も問わない。そうして働く女性のネットワークをスタートさせたのが、1989年の夏前でした。

参加条件は「どんな貢献ができるか」

ネットもない時代でしたが「入りたい」という人がいっぱい来て、私はその一人ひとりを面接しました。入りたい理由のほか、私が重要だと考えていたのは「会のためにどんな貢献ができるか」ということ。あなたをメンバーにすると、ほかのメンバーは何がお得になるのですか、と質問しました。

ほとんどの人は「いい人と出会いたい」「刺激を受けたい」というだけ。もしエネルギーのない、与えるものがない人たちが「求めるだけ」で集まったら良い会はできない。「毎回質問します」でも、「毎回クッキーを焼いて持ってきます」でもいい。その貢献内容を自分の手帳に書いてもらって「それを1年間やってください。やるならどうぞ入会を」と、すごく真剣でした。会員は400人にもなりました。当時いた人たちは、今、各界で活躍されています。

その会では、毎日のようにセミナー等を開いていました。1989年からは電子会議室での会議を始め、DTPを使い会報もデザインして発行し、メンバーに企画の立て方や取材の仕方、記事の書き方を教えたり、ネットとリアルをどう融合させると有効なのか教えたり、一緒に考えたり。やっていたことは、たぶん20年早かったと思います。そんな感じで、1994年に出産するのですが、出産の5時間前まで、働いていました。

1995年の総会ではCCDカメラをパソコンにつけ、シリコンバレーのアップルコンピュータ本社とつなぎ、テレビ会議をしました。これは、日本初の国際テレビ会議だったそうです。

そのちょっと前からアメリカで女性起業家が集まる会議に毎年出ていて、日本でもこんな大きな規模で人がつながることをしたいなと思い、準備を進めていました。そうして1996年に開いたのが、総会を改めた「国際女性ビジネス会議」です。

何十万人もの女性たちを救いたい!

初回開催にあたっては、それまでの経験があるので、企画運営面での大きな障害はなかったです。ただ、私自身の視点も変わり、全国の女性リーダーを招きたいとか、男性にも参加してほしいと考えました。企業には価値をわかってもらいたいと思い、スポンサー探しのために企業に説明に行きました。ある方の紹介で経済団体にも行きました。そこの会員企業がスポンサーになってくれるだろう、とのことだったのです。

「怒り心頭。でもやる気が出てきて」と、過去に越えてきた壁について、笑顔で語る佐々木さん。実績はもちろん、この志、人柄に魅了されて集まった多くの仲間たちが、国際女性ビジネス会議を支える。

行ったら、2時間みっちりお説教。「日本にこんなものは必要ない。こんなところに集まる女性は、日本経済の落ちこぼれだから、そんな人たちにわが団体の企業が興味をもつわけがない」と。

最初は「何でこんな目に遭わなきゃいけないの」と怒り心頭でしたが、だんだんすごくやる気が出てきて(笑)。この人たちの下で働いている何十万人もの女性たちを救ってあげなきゃ、という気持ちになったんです。

開催したら参加者は500~600人と、第1回目としては大成功。その方には「ご心配おかけしたものが、こんな大成功しました」とお礼状を出しました。返事は来ませんでしたけど(笑)。

今は総理自ら言われるように、日本も女性の活躍が必要だという時代になりました。今回も経団連で初の女性役員になられた吉田晴乃さんがスピーカーとして来てくださいます。

20年でここまできました。私は10年で、と思っていたのですが。

もともと私はこの会議は10回、10年でやめると宣言してスタートしたのです。こんな会議はいらないようになってほしいから。でも9回目のときに、多くの方から「まだ早いのでは」と言っていただき、じゃあ、あと10年かな、と。それが今年の20回です。でも、今やめられない感じですよね。あと5年くらいで必要とされなくなればいいですが、あと10年くらいですかね、そうなるのは。

※佐々木かをりさんインタビューの【後編】は、7月7日に公開予定です。

第20回国際女性ビジネス会議は、2015年7月26日(日)10:00から開催。
詳細、お申し込みはホームページ(http://www.women.co.jp/conf/)をご覧ください。

佐々木かをり(ささき・かをり)
大学卒業後、フリーランスの通訳を経て通訳・翻訳・国際コミュニケーションコンサルティング等を行うユニカルインターナショナルを設立。同時にテレビ朝日「ニュースステーション」のレポーターもつとめた。1996年からは日本最大級の女性会議、「国際女性ビジネス会議」を主催。2000年にイー・ウーマンを設立。現在、上場企業の社外役員、財団等の理事、内閣府、経済産業省、法務省、文部科学省等の審議委員などもつとめる。時間管理の第一人者として手帳「アクションプランナー」を活用する「佐々木メソッド」による時間管理術は企業・学校でも活用されている。