厳しい叱責に、現場で涙を流したこともあった。けれど、上司からのある言葉で心に決めた。「もう、絶対に泣かない」と。
「あ、ひこうき!」
青い空に浮かぶ小さな機影を見上げて、2歳半になる息子が言った。最近、自動車や電車といった乗り物にやたらと興味を示す。
「ひこうき」にとりわけ関心がありそうなのは、母親の仕事のことを少しは意識しているからだろうか。
共働きの夫が北陸で単身赴任を始めてからもうすぐ1年が経つ。
1人で小さな子どもを育てながら、仕事にどれだけ打ち込めるだろう――と最初は不安でしかたなかったけれど、こうして時間が経ってみれば「まァ、なんとかなるもんだ」と彼女は思う。
「夫に電話して愚痴を言うこともあるけれど、家事をするときも、子どもを洗濯に付きあわせるのは社会勉強の1つ、といつも良いほうに考えています。私は自分の人生のその場その場を楽しみたい、その時その時を楽しく生きたい、っていうタイプですから」
全日空部品事業室・装備品生産業務部に勤める新井貴子さんは、同社で技術畑のキャリアを歩む33歳の女性総合技術職だ。入社は2004年。5年間を整備士として働いた後、機内の備品の入れ替えなどを行う技術部客室チームに2年間、そして産休・育休を経て現在の部署で活躍している。
東京の下町にある彼女の実家は、オートバイの販売店を営んでいる。幼い頃から、ポロシャツにスラックスという姿で、汗だくになってバイクを整備する父親の姿を見つめてきた。手に取るように修理の必要な箇所を見つけるその様子は、彼女にとってちょっとした憧れだった。大学の工学部を卒業して全日空に入社した際、整備部に配属されたと伝えると、「本当に大丈夫なのか?」と心配そうに言われたものだ。
「実際の整備に携わって人の命を預かる仕事の重さを知り、父の偉大さをあらためて感じました」
整備部での5年間は、彼女のこれまでのキャリアの土台となるものだ。
全日空の航空機の機体は機種にもよるが、一般的に20~30年で退役を迎える。その間、機体のチェックは日常的な予防整備のほか、C整備と呼ばれる重整備が定期的に行われる。配属された電装整備課では、機体に張り巡らされた電線網の全体を担当していた。
「最初はエンジンの大きさ、内部のワイヤの配線の多さと複雑さに驚きました。膨大な線のすべてに役割と名前があって、『私はこれをすべて説明できるようにならなきゃいけないんだ』と怖かったくらいです」
1981年、東京都出身。芝浦工業大学工学部を卒業後、2004年、全日空に総合職技術職として入社。ドック整備を経験後、技術部客室チームで2年勤務し、産休を取得。現在は部品事業室にて活躍。育休から復帰後は時短で勤務している。