辞めるつもりだった

KDDI モバイルオペレーションセンター 重田麻里さん

思えば入社した頃の私は、自分がずっと会社で働くというイメージは持っていませんでした。先輩や同僚も結婚して退職する人が多かったし、母親も専業主婦でしたから。でも、そうやって一生懸命に働いているうちに、働くことが自分の生活の一部になっていったように感じています。

その後は通信エリアの拡大や品質改善をする部署に異動したので、入社から15年近くはいわゆる「技術」の部署にいたことになります。

転機になったのは一昨年、役員補佐の仕事をしたことですね。

KDDIで「役員補佐」と言う職位が設けられたのは3年前のことでした。これは社の代表役員の傍に男女ペアで社員が付き、その仕事をサポートするというものです。会社の経営陣が普段どんな仕事をしているのかを間近で見ながら、経営判断がどのようになされていくのかを学ばせようという趣旨です。会社全体ではまだまだ女性の管理職が少ないので、女性活躍推進の一環として行った取り組みの1つでしょう。それに呼ばれたときは、私でいいのだろうかとプレッシャーを感じました。

私は新規事業統括本部の高橋誠専務のもとで働いたのですが、事業本部を預かるという立場の方が物事を判断していく姿を見たことは、とても大きな経験だったと感じています。

役員補佐をしていた2013年度は、新規事業として「au Wallet」の原型となるアイデアを具体化しようとしていた時期でした。ビジネスモデルの検討、目標とする提携店舗数の開拓、プロモーションの進め方まで、1つのサービスが世に出ていくまでのプロセスを通じ、どのように判断し決定するのか間近で学ぶことができました。

そこで学んだのは、何かを決定して前へ進めるということは、お客様を第一に考えつつも、利益や売り上げを考慮し、スピードを持って取捨選択し答えを出していく作業だということです。その決定に至ったプロセスを自分なりに考える日々が続きました。

上のポジションについたときのために

その経験は自分自身の「仕事」に対する向き合い方を、確かに変えたように思うんです。それまでの私は1つのサービスの立ち上げに合わせて、自分のスケジュールが決まっていく生活をしていました。例えば10月1日にサービスを開始すると言われれば、それに遅れないように一生懸命にモノを作る。良いモノを作ればお客さんは自ずと付いてきてくれる、と抽象的にしか考えていなかったんです。一方で経営陣は株主総会や決算発表に合わせて1年間のスケジュールが決まっていくので、数字を常に意識して働いているわけです。

その様子を間近で見たことで、今は自分の仕事がどれくらいのコストを使い、全社の中でどのような位置づけにあるのかを真剣に考えるようになりました。以前は「なんでこんなことするの」と思って納得し切れなくても、とりあえず言われたからやる、ということもありました。でも、仕事には1個1個に意味があるということが実体験として理解できたんですね。

いまこの部署でリーダーとして働きながら心がけているのは、その意識を持ち続けることです。私はもともと強く出世を望むタイプではありませんでした。でも、私が望むかどうかにかかわらず、企業の中にいる限り責任のある立場を任されることがあるかもしれません。それもまた、役員補佐の仕事を任されて初めて自覚したことでした。

グループリーダーとして働いてそろそろ1年。失敗もたくさんするので、将来を想像すると、自分にこれ以上の責任を担えるのかな、って不安になることがよくあります。でも、だからこそその日のために、能力を身に着けなければと、最近は特に強く思うようになってきたんです。

●手放せない仕事道具
作業着

●ストレス発散法
登山。ここ2、3年ハマっている。

●好きな言葉
明日は明日の風がふく

KDDI モバイルオペレーションセンター
重田麻里
(しげた・まり)
日本大学卒業、1993年第二電電株式会社入社。移動体技術部無線グループに配属、auエリア・基地局の開発・建設に関わる業務を15年間経験後、au端末企画部門へ異動し、未経験領域の業務を担当。その後役員補佐を1年間経て、現職に就く。