日本でも臨床研究が始まる

まだ臨床研究の段階だが、日本でも「着床前スクリーニング(PGS)」が始まることになった。着床前スクリーニングは、体外受精でできた受精卵の染色体を調べる検査だ。そして染色体の正常だったものだけを、子宮に戻す。

これは、出生前診断に反対している人たちからは「通常の出生前診断より安易に命の選別ができる」として、モラルの低下を心配する声が高い。しかし、不妊治療の世界では、見方は大きく違う。この技術を導入したいという声が高いのは、理由があるのだ。

受精後まもない段階でヒトの胚(受精卵)を調べると、あまりにも染色体異常を持つものが多いのが、その理由だ。若い人でも約半数、40代では7~8割に染色体異常が見つかる。それらの胚はどうなるのかというと、ほとんどが自然に消えてしまう運命にある。

染色体異常は1番から22番までの常染色体、性染色体のさまざまなところで起き、重複することもある。21トリソミー、18トリソミー、13トリソミーなどの場合は生まれてくることもあるので、この点については倫理的な議論が必要だ。しかし現実には、出産率が一番高い21トリソミーもその率は2割と厳しい。

子宮に受精卵を戻すことは「胚移植」という。胚移植は痛い、苦しいということはないが、1回15万円程度の費用がかかり、薬を使って子宮の準備をしてチャレンジする大仕事だ。妊娠できるぎりぎりの年齢で治療をしている人にとっては、ひとつのサイクルにかかる日数も気になる。

現在は、受精卵の妊娠の見込みは「細胞の形がいびつでない」「卵割の進みが早い」といったことで判断されている。しかし、海外で着床前スクリーニングが進んだ結果、染色体異常があっても素晴らしく良さそうに見える胚や、その逆のパターンもあり得ることがわかってしまった。

体外受精を経験した女性からは「すごくいい胚だと言われたのに着床しなかった」という話や、逆に「期待できないと思いながら移植したのに、この子が生まれたんです」という話がよく聞かれる。受精卵は見た目ではよくわからないことは、事実としてはよく知られている。

対象は妊娠しにくい人

では、着床前スクリーニングは妊娠率を高めるのだろうか?

日本産科婦人科学会は、今回の臨床研究は、着床前スクリーニングによって妊娠率や出産できる率が上がるか、流産率が下がるか等、この技術が子どもを授かりやすくしてくれる技術なのかどうかを検討する。

染色体が正常な胚だけを戻すのであれば、妊娠率が上がりそうなものなのに、なぜ、わざわざこのような研究をおこなうのだろう。それは、今回、対象になる人たちが「胚移植を3回以上おこなっても妊娠しなかった人」「2回以上流産を繰り返した人」に限定されていて、もともと妊娠しにくい人たちが対象になっているためだ。

妊娠しにくい人は、そもそも「卵子があまり採れない」など胚の選び方以外の問題があることも多い。胚の数がわずかしない場合は、染色体を調べると子宮に戻す胚がなくなってしまう確率が高い。ただ、出産に至らない胚移植を避けられる人は多く出るかもしれない。そうすると、女性は要らない投薬や高額な治療費の負担が減り、流産で落胆することも減る。

受精卵がたくさんある人は、染色体が正常な受精卵が見つかる確率が高いかもしれず、その場合は、早く治療を卒業できるかもしれない。いずれにせよ、受精卵についてのより正確な情報は、強く望まれていることは確かだ。

ただ、検査の直接の目的ではないにせよ、染色体を調べれば、生まれてくる可能性もある染色体疾患、性別などさまざまなことがわかり、今後はさらに詳しい検査もできるようになっていく。

出生前診断の最大の不安は「パーフェクトベビー」「デザイナーベビー」への願望がエスカレートしていくことだ。人工妊娠中絶が行われない着床前の検査が、その始まりになることは想像に難くない。これを機に、出生前診断も法律を考えていくことが必要だ。

河合 蘭(かわい・らん)
出産、不妊治療、新生児医療の現場を取材してきた出産専門のジャーナリスト。自身は2児を20代出産したのち末子を37歳で高齢出産。国立大学法人東京医科歯科大学、聖路加看護大学大学院、日本赤十字社助産師学校非常勤講師。著書に『卵子老化の真実』(文春新書)、『安全なお産、安心なお産-「つながり」で築く、壊れない医療』、『助産師と産む-病院でも、助産院でも、自宅でも』 (共に岩波書店)、『未妊-「産む」と決められない』(NHK出版生活人新書)など。 http://www.kawairan.com