星とギリシャ神話が大好きな少女だった
JAXA(宇宙航空開発研究機構)で働きたかった理由を一言でいえば、やっぱり星が好きだったから、ということになるのだと思います。
私は小笠原諸島の父島で生まれ育ちました。夜になると島はどこにいても星空に包まれていて、例えば晩御飯の後に外を歩いたり海岸に行ったりするとき、ふと空を見れば、満天の星があり、そのあいだを人工衛星がゆっくり動いているのを見つけてはしゃいでいたものです。ギリシャ神話の本や星座に興味があったので、両親に本を買ってもらって何度も読み返している子供でしたね。
それから同じく小学生のとき、探査衛星ボイジャーのドキュメンタリーがNHKで放送され、とても感動したことをよく覚えているんです。自分が生まれる前に打ち上げられた衛星が、天王星に近づいて太陽系の外に出ようとしている。なんてすごいことなんだろう、って。
実は父島にはJAXAの前身であるNASDA(宇宙開発事業団)の基地局があり、当時は職員の方が常駐していました。大きなアンテナが建つロケットを追跡する施設。学校の社会科見学で建物の中に入れてもらったこともあります。常駐職員の宿舎の管理人が知り合いのおばちゃんだったので、いま思えばあの頃からすでに馴染み深い組織だったんですね。
「ロケット開発の部署に女子が来た!」
私は千葉県の寮のある中学校に進学したので、島での生活は小学校まででした。立命館大学で電気工学を学んだ後、募集のあったNASDAの試験を受けました。就職は難関だろうと諦めていたところもあったから、合格した時は嬉しかったです。
ただ、もともと私は人工衛星にかかわる仕事をしたいと思っていたのですが、実際に配属されたのはロケットをつくる部署でした。ちなみに女性エンジニアがロケットそのものの開発部署に配属されるのは、私が初めてのことだったそうです。大学の理工系学部でも女性の割合は1割以下だったので、当時も今もあまり意識したことはないのですが、周囲からは「おお、ロケットに女子が来た」と言われましたね(笑)
それ以来、打ち上げに失敗したH-IIの8号機から始まり、その後のH-IIA、H-IIB、現在プロジェクトチームの一員を務めるイプシロンまで、ずっとロケット開発の部署で働き続けています。
ルーティンワークを繰り返してやっと「わかって」きた
この15年前の自分を振り返ると、最初は何も分からずに働いていましたね。何しろ大学の専門は電気工学ですから、ロケットがどのように打ち上げられるのかも知らないし、エンジンの構造や飛行制御の仕組みも全く理解していませんでしたから。
それにロケットの開発現場で交わされる専門用語がまず分からないんです。航空宇宙の世界では電子機器のことを「Avionics」と言うのですが、そんな基本的な用語も純粋に電気工学だけを学んできた私にはさっぱりで、それが先輩への初めての質問でした。そうしたら「AviationとElectronicsが合体したものだよ」と教えられて――。
なので、最初の2年間は黙々と周りの会話を聞き、分からないことは質問して理解し、それでも分からない場合はこっそり聞いて本を読んで勉強する日々でした。
ロケットの機体や部品をつくる工場での検査の立ち合い、不具合の報告、会議のセッティングや契約資料の作成……。
そのうち試験場にも1人で行くようになって、上司に報告する機会や他部署の人からの質問に答える機会も増えていきました。そうしたルーティンワークを繰り返すうちに、4年目くらいから急にいろんなことが分かり始めた、と感じるようになりました。
1976年東京都出身。立命館大学を卒業後、1999年、JAXAの前身である NASDA(宇宙開発事業団)に入社。H-IIA/H-IIBロケットの搭載電子機器の開発に携わる。2012年より現職。