妊娠・出産を機に、望まないままキャリアの主流から外されてしまう「マミートラック」。コドモンの営業デスクチームで13人を率いる木島明日香さんもまた、妊娠をきっかけに正社員からアルバイトになり、長く自分の能力に自信を持てずにいた。降格、転職、離婚……。幾度もの困難に直面した木島さんは、どのようにして自分の強みを見いだし、管理職としてのキャリアを切り拓いたのか――。

営業と一緒に走る存在になりたい

保育・教育・療育施設の業務支援ツールとして、また施設と家庭を結ぶ連絡ツールとして、国内トップシェアを誇る「コドモン」。保育園に通う子どものいる家庭では、朝起きて真っ先に開くアプリが「コドモン」という人も少なくないだろう。

そのコドモンで、営業活動を支える「営業デスク」チームを立ち上げたのが、木島明日香さんだ。現在はチームのマネジャーとして、営業担当者が商談に集中できる環境づくりや業務フローの改善に取り組んでいる。

コドモン普及推進部デスクグループ 木島明日香さん
撮影=プレジデントオンライン編集部
コドモン普及推進本部営業デスクグループ 木島明日香さん

「入社時の配属は、営業部。誰か一人、営業を補佐する人がいたほうがいいだろうということで、“営業アシスタント”として採用されたんです。アシスタントというと、営業担当者から指示や依頼を受けた仕事をこなす役割、というイメージがありますよね。私はそこを超えたくて。営業担当の後ろでボールを拾うだけでなく、一緒に走る存在になりたかったんです。私も営業をやっていたし、やりたかったので」

実は木島さんには、志半ばで営業職を離れざるを得なかった過去がある。

さかのぼること十数年前。木島さんは、広告代理店で雑誌広告の営業担当をしていた。成果が数字に表れる仕事は楽しく、自分に向いていると感じていたという。ところが、妊娠をきっかけに、キャリアは思いがけない方向に進んでいく。

妊娠の報告に「お客さんはどうするの?」

「妊娠初期からつわりが重く、会議中に気持ちが悪くて席を立ったりと、仕事にも影響が出てしまって。妊娠を伝えた時の社長の反応は、『どうするの?』。担当するクライアントはどうするのか、という意味でした。私は、『申し訳ありません』『ご迷惑をおかけしないように頑張ります』としか言えなくて。会社には女性社員が少なく、結婚したら退職するのが当たり前。妊娠・出産を経て働き続ける女性はいませんでした」

つわりによる遅刻や欠勤が続くと、社長から時給制への変更を持ちかけられた。

「『この状態が続くなら、給料を全額払うことはできない。時給制になってほしいんだけどどう思う?』と。私の意向を聞く質問ではありましたが、断る余地のない打診に思えて、その場で『わかりました』と承諾しました」

後に公的機関に相談したところ、「意向を確認する質問に承諾した場合は、双方が合意したうえでの変更とみなされる」との説明を受けたという。

「ここでもまた自分を責めて落ち込みました。妊娠して会社に迷惑をかけている自分が悪い、よく考えずに受け入れた自分が悪い……」

産休や育休に伴う会社側の費用負担や手続きについても、木島さん自身が調べ、社長に説明したという。従業員十数人の小さな会社で、人事や労務の専門担当者もいなかった。

「会社にどんな負担があるのか調べてほしいと言われたので、自分で調べて説明しました。そうしたら『負担がないならいいよ』と」

復帰後、かつての後輩のアシスタントに

法律で保障された産休や育休をとるのさえ、ひと苦労。育休を経て職場復帰を果たした木島さんを待っていたのは、かつて自分の後輩だった社員のアシスタントというポジションだった。

「後輩もやりづらかったと思いますし、私自身も『自分には何もできない』という考えがどんどん染み込んでいったというか……。復職後も時給制で、正社員時代とは収入もまったく違う。そのうえ、子どもを保育園に預けることに対しても『まだ小さいのにかわいそう』という声もありました。仕事も満足にできない、子どもにも申し訳ない。夫婦関係もうまくいかず、何もかもが自分の思うようにならない状況でした」

仕事も家庭もうまくいかない時期が続いたと語る木島さん
撮影=プレジデントオンライン編集部
仕事も家庭もうまくいかない時期が続いたと語る木島さん

時短の壁に阻まれて抱いた「圧倒的弱者感」

そんな状況を変えようと、木島さんは転職活動を始めた。離婚も考えていた木島さんの条件は、正社員での就職。しかし、やりがいも適性も感じていた営業職での再就職を目指すなかで、厳しい現実に直面する。

「当時、入社直後から時短勤務ができる会社はほとんどありませんでした。実績やスキルの前に、まず応募要項の条件をクリアできない。営業職を希望していたのですが、10社ほどに断られました。もう、圧倒的な弱者感がありましたね。そうするうちに『どうせここもダメだろう』と、応募する前から諦めるようになってしまって。どんどん自分で可能性を狭めていったんです」

転職活動の末に出合ったのが、妊娠・育児を支援するアプリを手掛けるベンチャー企業だ。

「そこは完全な成果主義で、結果を出せば働き方は自由だと言ってもらえたんです。もう営業職にはこだわっていられなかったので、正社員になれるなら何でもやります、と。未経験の業務も必死で取り組みました」

任されたのは、総務や人事、広報など、会社の運営を支えるさまざまな業務の立ち上げだった。自ら調べて業務の仕組みをつくり、専任の担当者が採用されると引き継いで次の業務に取りかかる。そんな日々が3年ほど続いた。

しかし、企業の基盤ともいえる仕組みを次々に構築してしたものの、その経験が木島さんの自信につながることはなかったという。

「何をやっても広く浅くで、専門性が身についたという実感がなかったんです。知識も経験もないところから、なんとか業務を立ち上げる。でも、専任の担当者が入ってくれば、当然その人のほうが詳しくて、仕事もどんどん改善されていく。自分は何をやっても中途半端で、何者にもなれない。そんなふうに思っていました」

今も忘れられない長男の涙

自信を持てないからこそ、もっと頑張らなければと仕事に打ち込んだ。会社は成果主義で、勤務時間には融通が利いたものの、求められる成果は変わらない。転職して半年ほどで離婚し、シングルマザーとなっていた木島さんは、育児も家事もすべてワンオペ。保育園のお迎え後は、寝かしつけまでノンストップで家事・育児を行い、子どもが寝たあとは再びパソコンに向かう日々だった。

バックオフィスの仕事は営業と違い、成果が数字で見えるわけではない。苦労して仕組みを整えても、出来上がれば社員にとっての「当たり前」になっていく。なんとかして成果を上げなければという焦燥感が、木島さんを動かしていた。

「子どもを寝かしつけているときも、頭のなかでは仕事の企画を考えて。長男のときには寝かしつけで絵本を読んだこともなかったんです、とにかく早く寝かせようという一心で……」

そんなある晩、いつものように夜中まで机に向かっていると、寝ていたはずの長男が起きてきた。

「泣きながら、『ママ、もう仕事辞めてよ! 一緒に寝ようよ!』って。そのとき、私は何のためにこんなに働いているんだろう、と思ったんです。夜中に目が覚めたときに、隣に誰もいない。保育園のお迎えも一番遅い。子どもは相当我慢していたんだと思います。ちょうどその頃、保育園の先生からも、『ちょっと荒れています』と聞いていて。家では素直で、とてもいい子。でも、園ではずっと泣いていることもあったそうです。先生が『ママにお話ししてごらん』と言っても、『ママが泣いちゃうから言えない』と。ずっと我慢していた気持ちが、あの夜、爆発したんだと思います」

木島さんは、長男の涙が働き方を変えるきっかけになったと振り返る
撮影=プレジデントオンライン編集部
木島さんは、長男の涙が働き方を変えるきっかけになったと振り返る

営業もバックオフィスも経験したからこそ

長男の涙をきっかけに、木島さんは自分の働き方を見直し、再び転職を考えるようになった。そんな折、広報関係者の集まりで出会ったのが、コドモンの社員だった。当時の悩みを打ち明けると、親身になって相談に乗ってくれたという。

そして、営業部門を後方から支える「営業アシスタント」を探していると声をかけられた。

「最初は、私にできることなんてないと思っていました。でも、営業もバックオフィスも経験している。営業担当者がどんな業務を負担に感じるのかもわかるし、その仕事を引き受けることもできる。お話しするうちに、だんだんと『やってみたい』と気持ちが固まっていきました」

「営業アシスタント」から「営業デスク」へ

こうして2018年、木島さんはコドモンの営業部門である「普及推進部」(当時)にただ一人の営業アシスタントとして入社した。

「これまでにないポジションができて、最初は営業担当者も戸惑ったと思います。『自分がやったほうが早い』となかなか仕事を任せてもらえなくて。それでも、少しずつ『木島さんに頼んだほうが早い』『本来の営業活動に集中できる』と実感してもらえるようになると、信頼関係ができていきました」

木島さんが引き受けたのは、契約書の作成やデータの入力などの決められた事務作業だけにとどまらなかった。顧客とのやり取りにも対応し、営業担当者が商談に集中できる環境を整えた。さらに、非効率な作業を見つけて改善したり、新サービスの開始時には部署を横断して業務フローを構築したり。上長や営業担当者から依頼されるのを待つのではなく、自ら課題を見つけ、営業活動を円滑に進める仕組みをつくっていった。

こうした取り組みを重ねるなかで、木島さんは上司に「営業アシスタント」という名称を変えたいと申し出る。営業担当者の指示を受けて動く補佐役ではなく、ともに営業成果を生み出す存在でありたい。そんな思いから生まれたのが、「営業デスク」だった。

たった8カ月で売り上げ2倍の秘密

営業デスク設置の効果は、数字にも表れた。2019年には、わずか8カ月で売り上げが2倍に。市場環境の変化も追い風となったが、営業担当者を増員することなく、売上を伸ばした背景には、営業担当者が商談に集中できる体制づくりがあったことは間違いないだろう。

「営業担当者を増やすより、営業デスクを増やしたほうが成果が上がる、と評価してもらえるようになり、少しずつメンバーが増えていきました」

たった一人から始まった営業デスクは、今や木島さんを含め14人のチームに成長した。営業担当者22人とともに走る部隊だ。

しかし、マネジャーとなった木島さんには、新たな葛藤が生まれていた。

「マネジャーなんだから、何でも知っていなきゃいけない。誰よりも仕事ができなければいけないと思い込んでいたんです。ずっと自信がなかったからこそ、誰からも頼られる存在になろう、一番になろうと頑張りすぎてしまって。上司はそんな私の気質をよく知っていて、マネジャーになるときに『一番できる人にならなくていい』『メンバーが動きやすい状況をつくり、障壁を取り除くのがマネジャーなんだよ』と言ってくれたのですが……」

上司の前で何度も号泣した理由

それでも、メンバーの悩みを聞くと、何とか自分が解決しなければと思ってしまう。仕事への自信のなさや家庭の問題など、部下が抱える悩みはさまざまだ。その一つ一つを自分のことのように受け止め、感情移入してしまう。思うように解決できないもどかしさから、上司の前で号泣することもあったという。

「上司からは『他人の人生まで背負わないで』『手を差し伸べることは続けても、その手を取るかは本人次第。変えようとしちゃダメだよ』って言われましたけれど、私も『それができたら苦労しないです!』って泣きながら反論したりして。昔はしょっちゅう泣いていましたね、今は全然泣かないですけど(笑)」

手を差し伸べることと、相手の人生を背負うことは違う。木島さんも葛藤しながら、次第にその線引きができるようになっていった。

「上司からも、強くなったねと言われます」

そう笑う木島さんの笑顔は、実に晴れやかだった。

長男の不登校を機に仕事を見つめ直す

仕事では、マネジャーとしての自信を少しずつ育んできた木島さんだったが、子育てでは再び大きな壁に直面することになる。長男が学校に通うことが難しくなったのだ。

「私もどうしていいかわからなくて、初めて会社を辞めたほうがいいのかもしれない、と思いました」

メンバーにも事情を説明して、業務はフルリモートに。長男と過ごす時間を増やし、対話を重ねた。学校の先生やスクールカウンセラー、地域の相談窓口にも助けを求めながら、子どもにとって何が必要なのかを考え、できることを探し続けた。

「スクールカウンセラーさんとの対話を通じて、家庭が子どもにとって安心して過ごせる場所であることの大切さを改めて考えるようになっていったんです」

自身の子育てを振り返り、長男の声に耳を傾ける。一方で、長男自身が気持ちを整理し、これからどうしたいのかを考える時間も大切にした。そうして親子で対話を重ねるうちに、長男は少しずつ学校に足を向けられるようになっていった。

長男の言葉が唯一の救い

現在、木島さんは、新たなパートナーとの間に生まれた長女の子育てに、日々、新鮮な喜びを感じている。長男のときとは違い、日々の成長や小さな変化をじっくり味わう余裕も生まれたという。

「娘には絵本をたくさん読み聞かせていますし、言葉が増えたり、会話ができるようになったり、成長の一つひとつがうれしくて。でも、だからこそ息子のときはどうだっただろうと考えてしまうんです。あの頃は必死で、成長の過程もほとんど覚えていない。申し訳ない気持ちは、今も消えません」

そんな木島さんに、中学1年生になった長男は「ママは働いていたほうがいいよ。楽しそうだから」と言ってくれるという。

「その言葉が、私にとっての唯一の救いです」

「誰よりもできる人」を目指すのをやめた今

木島さんは、これまでの「七転び八起き」の経験を振り返りながら、すべてが今につながっているのだと、やわらかな笑みを浮かべる。

「チームには、子育てや家庭との両立に悩んできたメンバーもいます。私自身、働きたくても思うように働けない苦しさを経験してきたので、同じ思いをする人を減らしたい。女性が働きやすい社会にしたいという気持ちは、ずっと持っていました。社会はすぐに変えられなくても、自分のチームの働く環境なら変えていける。マネジャーになって、そう思えるようになりました」

かつては「自分は何者でもない」「何もできない」と自信を持てずにいた木島さん。「誰よりもできる人でなければ」という思いを手放した今、一人一人の力を信じ、それぞれが力を発揮できる場所をつくり続けている。