なぜ女友だちとは、こんなに離れがたく、それでいて付き合いづらい存在なのか? プレジデント社新刊『女友だちの賞味期限』の出版にちなみ、各界で活躍する方々の「女友だち」についてのインタビューを再掲載いたします。第2回目は、『池袋ウエストゲートパーク』シリーズなどで人気の直木賞作家、石田衣良さんをお迎えしました。40代の女性の、17歳年下の男性との運命の恋を描く『眠れぬ真珠』には、かつて恋愛関係にあった男女の友情の始まり、という興味深いサブテーマも隠されている。女性観、友情観を縦横無尽に語っていただきました。
――石田さんの小説には、同年代の者同士の友情の力で、いろいろな問題に立ち向かっていくということ、それに、自立した女性が重要なキャラクターとして登場するという2つの特徴があるように思います。
それはありますね。僕は、べたべたしてもたれあうような関係が嫌いで、女性でも自立した強い人が好きですね。男の人にべったりの女性は現実にもしんどいですが、小説のなかで描くのもしんどいんですよ。
いいキャラクターになるのは、誰かに振り回されたり、言いなりになったりせず、意思を持って動いている人。自分の尺度を持って働き、考え、恋をしたり友だちと付き合ったりできる人。 そういう人は、「女性はこうしなければ」という考えにある程度しばられながらも、生きていく上でどんどん自由になっていく。現実にはそういう女性、増えていると思いますよ。
小説は疑似体験なので、読者がその世界を味わった後、現実の世界に戻ってくると、こちらの世界が明るく見えるとか、「ああ、よかったな」 と思えるなにかが必要だと思います。それを助ける存在としても、強い女性のキャラクターは力を発揮しますね。
――よくいろんな女性に、小説の取材をなさるとか。
恋愛小説を書いていると、自分の経験だけではネタがなくなってしまうので、飲み会やパーティーで隣に座った方などに、聞いたりします。最初はみなさん「そんなたいした恋愛経験なんてないですよ」とか言うんですが、聞いていくと絶妙なことを言ってくれることがよくあるんです。
たとえば、夫と19歳、年が離れているという女性の話。夫が、1年に2カ月ぐらい、そわそわして嬉しそうになるんですって。その期間だけ、19歳差じゃなくて、18歳差になる月なんですね。こういう話は「ああこれは使えるな」と、すぐ書いてしまう。
新しい経験やアイディアは女性からもらうことが多いです。男が見るものは、世界の半分だけでしかないので、女の人の視点がうまくかけないと、小説は書けない。自分でわからないものをどう魅力的に描くか。男性の小説家の力は、異性を書けるかどうかによって決まるんじゃないでしょうか。
――『女友だちの賞味期限』には、作家志望の女性が、病気で苦しんでいるとき、駆け出しのアーティストである友人が、その病気をテーマにした作品を作って個展を開いた、という話が出てきます。作家のほうは、自分の主題であるべきものが、横取りされたことに、今も釈然としないものを感じている……。
自分の病気のことを文学のテーマにすることは、アーティストである友だちが先にそのテーマで作品をつくった後でもできたことですよね。「この物話は、アーティストの誰それの作品にインスピレーションを与えた」とPRしてもいいわけだし。テーマを取られたことで友情がこわれたと嘆く前に、自分なりのやり方で表現できたらよかったのになと思いますね。
結局、人が経験することは、誰の経験であってもすべて、人間の「共通の経験」になるんですよ。いくら「これは私だけの経験」と言ってもね、たとえばアンネ・フランクが 「これは私の経験だから、私以外の誰にも語らせない」とは言えないでしょう。
――この作家が病気になった当時、2人は大学院生でしたが、あと何年か人生経験を積んだ後だと、違う展開になったかもしれませんね。
若い人は、トラブルにあったり、もめたりしたときに、ちょっと我慢して様子を見ようというような忍耐強さが足りない気がします。友だちができない、恋愛する人に出会えないという悩みを持っている女性たちは、いきなり100%の関係を求めていることが多い。
自分を絶対幸せにしてくれる恋人とか、絶対に信頼できる大親友とか。それをはじめから求めるということは、ハズレの宝くじは絶対に買いたくない、と言いながら300円持って、宝くじ売り場に並んでいるようなものですからね。
いい人間関係のためには、忍耐強さと、友人に対する、少しさめた見方が必要じゃないかな。人間は、一人で生まれ、一人で生きていくものなのだから、せめて生きている間ぐらいは、それぞれ思いやりを持とう、という自覚を持つことが、お互いに自立しているということじゃないかと思います。
――友人関係でも男女関係でも、「謝って欲しい」という感情ってありますよね。とくに女性はそれが強いような……。
それはダメだと思いますよ。謝られたい、という態度は最悪ですよね。なぜそう思うのか、僕にはわからない。謝って欲しいというのは、自分が正しく相手が間違っていた、ということを相手に認めさせたいという気持でしょう。
でも視点とか観点が違えば正義はいくらでもありますから、無駄なんですよ。いくら謝っても果てがない。誰も本心で謝っているどうかなんてわからないですしね。人を謝らせることは、人間関係にヒビを入れることになります。自分が正しくて人が間違っていると言いたがるのは、愚かで、甘えた行為だと思います。
それにしてもみんな自分がどうにもならないことで悩みすぎですよね。誰かが誰かをどう思うかとか、自分が誰かにどう見られるのか、とか。そんなことコントロールできないことなんです。なぜ雷は鳴るのかとか、どうして雲は白いのか、と同じで、どうにもならないことなんだから、放っておけばいいんですよ。
――男同士だと、幼馴染のふたりが地位が変わってもずっと友情が続くといった話がありますね。あれは幻想じゃないでしょうか。
最近聞いたんですが、(故)橋本龍太郎元首相と、作家の安部譲二さんは、小学校の同級生だったんですね。かたや刑務所に入り、かたや総理大臣という両極端の人生ですが、仲がよかったそうですよ。作家みたいな自由業だと、社会での地位は関係ないのかもしれない。結局立場が変わっても友情が続くかどうかは、地位とか収入とか階級なんて、つまらないことだと思えるかどうか、ですよね。
女性20代から30代は移行期ですから、対人関係もがらっと変わるのでしょうが、「去るものは追わず」で、人生を楽しんでいればいいんじゃないかな。一人の人間をしばり、自分のものにすることは、結婚していようが、仲のいい友だちだろうが、絶対にできないことです。
人間同士の付き合いでは、自分にとっての適正な距離感をはかることが大事だと思う。夫だって他人だし、子どもの人生だってその子のもので、自分の思い通りにはならないわけですから。
――若い人向けのエッセイで、結婚はしなくてもいいから恋愛はするように、と呼びかけておられますね。
恋愛というのは筋肉なんです。筋肉を使わないと、恋する能力、人と関係を築く筋力が落ちて寝たきりになってしまいますよ。でも、そういうことをしないで、仕事ばっかりして、機械みたいに生きているのもラクだし楽しいという人も多いみたいですね。
恋愛して、別れたとしても、一度付き合ったことのある男女のほうが友だちになりやすいと思います。別れた後でも気にしあって、10年たっても友だちとしていたわりあって、腹蔵の無い意見も言える……というのはいい関係じゃないですか。条件がありますけどね。お互い過去を引きずってないとか。
――石田さんは親友っていらっしゃいますか? 男でも女でも。
うーん、あまり考えたことないなあ。中学や高校の同級生と今でも会ったりするし、長く続いている友だちはいますが、親友かって聞かれたら、わからない、と言うと思う。何かあったら全部話す、なんていう相手はいませんしね。誰にも言えないことをいっぱい抱えて、そのままお墓に持っていくというのが、豊かな人生だと思いますよ。
――石田さんは、お知り合いは多いでしょうが、お友だちも多いですか?
それも考えたことない。でも、友だちがあまり多い人は怖い。「社交、命」みたいな、人間関係を築くためだけに生きてるような女性ってけっこう多いですよね。それはそれで一つの生き方だけど、できれば、自分の楽な生き方を選んだほうがいい。人間関係って全部、オーダーメイドですからね。
※このインタビューは『女友だちの賞味期限』初版発行時の2006年に収録した内容の再掲です。
1960年、東京生まれ。成蹊大学経済学部卒業。広告制作会社を経てフリーランスのコピーライターに。97年、「池袋ウエストゲートパーク」でオール讀物推理小説新人賞を受賞。受賞作に3篇を加えた『池袋ウエストゲートパーク』(文春文庫)でデビュー。03年、『4TEEN』(新潮文庫)で直木賞を受賞。06年、『眠れぬ真珠』(新潮文庫)で島清恋愛文学賞、13年、『北斗 ある殺人者の回心』(集英社)で中央公論文芸賞を受賞。