※本稿は、宇野千代『生きて行く私 [新装版]』(上/毎日新聞出版)の一部を再編集したものです。
色白の“優さ男” 佐伯正夫との出会い
私があの、北村の離れで莚の上に転がって男と寝たその日から、まだ半年とは経っていない頃のことであったか。
新任の教員が、川下の小学校に赴任して来た。色が白く、鬚の剃痕の、塗ったように青い優さ男であった。
師範学校出の歴っきとした訓導で、佐伯正夫と言う男であった。
始めて教員室で、校長から紹介されたとき、その最初の一瞥で、私はこの佐伯正夫に心を奪われた。思いもかけないことであったが、佐伯は私と同じ尋常二年生の、優等生組の受け持ちであった。
何と言うことか。それはまるで、私の気を引くために仕組まれた設定かと思われた。普通、優等生組は甲組、劣等生組は乙組、と呼ぶのが習慣であったが、この甲乙二組の担当教師はいつでも教案を持ち寄って、互いの意見を交換し合ったのであった。
「甲乙組と区別をつけて呼ぶことを止めましょう。いまの乙組には、それだけの能力は充分にある。そう思いませんか」。佐伯はそう言った。そして、体操の時間には、一緒に今津の八幡神社まで、駆け足で走って行ったりした。
こう言うことは、他の教師たちの注目の的になった。「生徒を口実にして、あんまり仲よくされても、困りもんだな」と言う意見も出たらしいが、表向きには、何と言うこともなかった。
「今夜、好いものを持ってお伺いします」
或るとき、私は切り昆布の煮たのを持って、佐伯のいる家まで行った。佐伯の家は、私のところから一町(約一一〇メートル)とは離れていない、藪の下の小さな家であった。
川下村には竹藪が多い。一人暮らしの男の住居は、殺風景なものであったが、私には、そのことの方が都合が宜かった。何か、思いつくことがあると、急いで、男の家へ運んだりすることが出来るからであった。
このことは、夢にも結婚はしない、と決めている癖に、まるで、亭主に尽くしている女房の行為と同じことではないか、とは私は夢にも気付かなかった。
或るとき、私は授業中に佐伯に当てて、手紙を書いた。「今夜、お宅へ好いものを持ってお伺いします。それは好いものです」と書いた。そして、その手紙を、ちょうど書き取りをしていた子供の一人を呼んで、「これをA組に持って行って、佐伯先生に渡しておいで」と言いつけた。
子供は持って行った。その子供が戻って来るまで、私はどんなにどきどきしたことか。夜になって、佐伯の家へ持って行ったときに、「ほら、こんなに好いものを持って来ましたよ」と言っても宜かったのに、私はそのときまで待てなかった。一刻も早く、持って行くことを佐伯に知らせたかったのである。
小ぎれを接ぎ合わせた手作りの座蒲団
好いものとは何か。それは、たくさんの小ぎれを接ぎ合わせて作った座蒲団であった。新しく買ったのは、中に入れる綿だけであった。
私はまだ、月給の残りを、毎月のように母に渡していた。それがあんまり少なくなっては困るのであるが、しかし、佐伯のものを作るのは別であった。
このきれいな接ぎ合わせの座蒲団が、どんなに男を喜ばせることが出来るか、私には分かっていた。私はその日、少し暗くなってから出掛けた。荷物がちょっと大きいので、人目については困るからである。
「今晩は」とそとから声をかけ、上がるとすぐ、その座蒲団を拡げて見せた。
どしゃぶりの雨夜の命令するような低い声
佐伯はにっと眼で笑っただけであった。
佐伯はとても、口数の少ない男であった。このことも、また、私が佐伯を好きになったことの一つであった。
不思議なことであるが、佐伯はまだ一度も、私のことを好きだと言ったことはない。しかし、家へ訪ねて行っても、来るな、とは言わない。それどころか、待っているとしか思えないこともある。
或る夜、ふいに雨になったことがあった。
どしゃ降りの雨になり、なかなか止まなかった。私は半年前、あの別の男とやはり雨の夜、私の家で一緒に寝たことを、忘れてはいなかった。
「よう降りますのう」と私は言った。「もうちっと、待って見ても宜ございますかいのう。小降りになりゃしますまいかのう」と私はまた言った。
「お泊まりんされ」と低い声で、しかし命令するように言ったと思うと、佐伯はいきなり押し入れをあけて蒲団を出し、そこに敷いたのであった。
男はランプの灯を消した。そして、一言もものを言わずに、するりと私の横に寝た。それは、私にとって、始めての経験ではなかった。あの、別の男と寝たあのときと同じように、佐伯の体を押しのけた。しかし、それは、男にもっと強く抱擁することを催促する結果にしかならなかった。
村中で知らぬものはない「佐伯との仲」
夜が明けた。私は晴れ渡った田舎道を、急いで自分の家まで帰って行った。
「ありゃ、宇野先生。お早いことでございますのう」。村人の一人が、愛想よく、そう声を掛けた。
私がどこからこんなに急いで帰って来たのか、その人は知っていた。私と男だけが、そのことに気が付いていないだけであった。
私と佐伯とのことは、村中で知らぬものはないようになった。不思議なことであるが、その頃になっても、二人は、これからどうするのか、話し合ったことはなかった。
「結婚しよう」などとは、一度も話し合ったことはなかった。佐伯は口数が少ないために、そのことを切り出さないのであった。
私もまた、佐伯を好きであればあるほど、それを言わないのであった。
しかし、男をこんなに愛していて、それでも結婚は望まない。そう言う娘が、どこの世界にいるだろうか。
佐伯はそう言う私を見て、思慮深く、結婚しようとは言わなかったのか。ひょっとしたら、佐伯は佐伯で、何か考えがあったのに、私だけが、それに気付かなかったのか。
それどころか、男が結婚しようと言わなかったことで、却って、安堵の胸をなで下ろしていたのか。
諭旨免職の「罰」をうけたときの心情
或る日のことであった。私は学校へ出るとすぐ、校長室へ呼ばれた。
「まことにお気の毒なことじゃが、ああたは、今学期一ぱいで、この学校をやめて貰わんけりゃならんことになりましてのう。郡役所からの命令で、どうにもならんのですわい」と言うではないか。
六、七十年もの昔のことである。小学校の教員同士の恋愛は法度であった。そして、そう言うときにも、男の方は見逃され、女の方だけが罰則をうけた。私は諭旨免職になったのであった。
私の知ったのは、罰則をうけたのは私ひとりで、佐伯には、何の咎めもない、と言うことであった。
ああ、あの人には何事もなかった。もし、あの、思慮深い人が罰を受けるようなことがあったら、どうなるか。想像も出来なかった。
ひょっとしたら人々は、私ひとりが男を誘い込んだのだと見たのか。そうであっても好い。いや、そうであった方が好い、と私は思ったのであった。
この処置によって、男が少しも傷つかなかったのを、私はどんなに喜んだか知れなかった。
![宇野千代『生きて行く私 [新装版]』(上/毎日新聞出版)](/mwimgs/c/0/200/img_c0cca798e66ae07be0e8cd1a7e8ee7ee174659.jpg)