※本稿は、横山泰行『ポケット版「スネ夫」という生きかた』 (アスコム)の一部を再編集したものです。
スネ夫は根性の据わった努力家
天才的に要領がよく、ちゃっかりしたイメージの強いスネ夫。ですが、実は意外な一面があります。それは、意外にも根性の据わった努力家であるということ。一般的なイメージからすれば驚くかもしれませんが、エピソードを見ると、地道な努力家ぶりがわかります。さっそく見てみましょう。
ある日の新聞に「坊や屋上から転落」という記事がありました。赤ん坊がアパートの屋上から落ちる瞬間の写真が掲載され、撮影者は骨川スネ夫くんと書かれてありました。赤ん坊の命に別状はありませんでした。写真を見た一同は、撮影者がスネ夫だったと知って仰天します。
記事を読んだしずちゃんは「スネ夫さんの写真が新聞に‼」と驚き、ジャイアンも「よくこんな場面がとれたなあ」と、口を大きくアングリと開けて感心します。
のび太だけが「そんなのぐうぜんだよ。カメラを持ってるときたまたま事件にぶつかった」と茶々を入れると、スネ夫は飛びかからんばかりの姿勢で、のび太に「ぐうぜんとはなんだ‼」と猛烈に食ってかかります。そして、常備しているポケットカメラをのび太に見せながら、「決定的瞬間をつかむには、それなりの心がまえが必要なんだ」と説明しました。
スネ夫がのび太を「やきもちやいてんだよ。のび太にとれるのは日光写真ぐらいのもんだから」と茶化すと、かたわらのしずちゃんもジャイアンも、スネ夫の言うとおりだという納得の微笑みをもらしました。
『てんとう虫コミックスドラえもんプラス 第4巻』小学館 第2話目「『チャンスカメラ』で特ダネ写真を…」
効率化の時代でも“泥臭さ”は残っている
決定的瞬間をつかむために、いつもポケットカメラを持ち歩き、それなりの心がまえでいる……というところが、いかにもスネ夫らしいですね!
「運というのは、つかむべく努力している人のところへ訪れてくる」という、衣笠祥雄さん(故人・元広島カープ選手、国民栄誉賞受賞)のことばがあります。スネ夫のスクープは、まさに努力のたまものと言えるでしょう。
高度に効率化されたように見える現代ですが、合理的なプロセスだけでは実現できない仕事が、実はまだたくさん残っています。その代表的な例が「マスコミの取材」や、「スクープを飛ばすこと」ではないでしょうか。
テレビや新聞、雑誌などのメディアでは、旬のタレントやスポーツ選手、政治家などに取材の依頼をします。ですが、そのすべてがただちに快諾されるわけではありません。大物になればなるほど、出演(取材)交渉は難航します。そこで、なんとか応じてもらおうと、どの媒体もコネを頼ったり、ご機嫌をとったりするわけです。
たとえばスポーツ雑誌のライターなどは、数か月、場合によっては数年間、選手の練習の現場に足を運び、だんだんと親しくなるものだと言われます。
「信頼構築」は一朝一夕にしてならず
最初は選手に迷惑がられたり、怒られたり。やがて仏頂面の選手が挨拶を交わしてくれるようになり、ライターの名前を覚えてくれるようになります。ようやくスポーツ雑誌に掲載できるようなコメントをしゃべってくれ、ついには「あなたの頼みなら」とインタビューに応じてもらえるような関係に……。
そんな気の遠くなるような地道な努力の上に、信頼関係が築かれていくのです。
また取材の正攻法ではありませんが、スクープを飛ばすことも、地道な努力の積み重ねの上に成り立つ仕事です。芸能記者は、タレントが住むマンションなどの近くに長時間張り込むわけですが、一瞬も気が抜けず、それでいて何時間(何日)かかるかもわかりません。なんと過酷で気長な仕事でしょうか……! もちろん、決定的瞬間が撮れずに終わる可能性だって大いにあります。
賛否はあるでしょうが、そのような苦労と隣り合わせだからこそ、スクープ写真が撮れると高値で取引されたり(写真1枚で数百万円になることも珍しくないとか!)、誌面で大きく取り上げられるわけですよね。
地道な努力が、魅力を“5割増し”にする
以前、日経新聞の夕刊に、戦場カメラマンの渡部陽一さんの記事が掲載されていました。下積み時代は、なんとバナナの積み下ろしのバイトを兼業していたという渡部さん。師匠である報道写真家の山本皓一さんには、「石の上にも15年」「毎日、コツコツ続けること。辞めないこと。ぶれないこと。挑戦すること」と言われていたそうです。地味で地道で、気が遠くなりそうな話ですね。しかし、そのかいあって渡部さんは、世に知られるカメラマンになりました。
渡部さんの次の挑戦は「学校カメラマン」になることだとか。戦場とは一転した平和な世界で、子どもたちの幸せな姿を撮ることが夢なのだそうです。
これはまた違う意味で努力を要する、気の長い話だと感心させられます。こんな深イイ話を知ると、あの渡部さんが一層ステキな人に思えてきますね。このように地道な努力というものは、人間の魅力を3割、いや5割ほどアップさせてくれるのです。壮大な夢や目標があるほど、人間は輝けるような気がします。
続いては、スネ夫のもう一つの武器、謝る力「謝罪力」について見ていきましょう。
スネ夫「責任がないとはいえない、叱ってくれ」
大人になればなるほど、うまい言い訳を考えたりと、駆け引きする方面にエネルギーを使うようになるせいか、素直に謝る気持ちや、いさぎよく謝るといった態度が置き去りになりがちかもしれません。
われらがスネ夫の謝り方はというと……、さすがですね。謝罪するどころか、最後にはホメられるという終わり方までしています。ドラえもんのシーンを見てみましょう。
広場でのび太とスネ夫がキャッチボールを楽しんでいます。スネ夫が大きく投げたボールをのび太が受け損ねてしまい、怖いおじいさん(編註:神成さん)の家の窓ガラスを「ガシャン」と割ってしまいました。
「ちゃんと受けないからだぞ!」とのび太を非難するスネ夫。そこへ怖いおじいさんが現れ、「こりゃ!」と竹刀でのび太を突然殴ります。
「ちがうよっ、スネ夫が……」と言い訳するのび太。一方でスネ夫は、一瞬で反省したような表情になり、怖いおじいさんに謝り始めます。
「そう、ぼくにもぜんぜん責任がないとはいえません。だから、ぼくはちっとも悪くなくても、いっしょにしかってください」
すると、怖いおじいさんはスネ夫の頭をなでながら、「えらい! さすがに、スネ夫くんはいさぎよい、男らしい少年じゃ」と絶賛しました。
『てんとう虫コミックスドラえもん 第18巻』小学館 第3話目「ひい木」
“自ら進んで謝る”ほうが絶対にいい
コミックスの絵柄を見るとよくわかるのですが、スネ夫は怒られる前と後で顔の表情がまったく違います。怒られる前は「素」なのですが、怒られるときは「反省している顔」を作っています。スネ夫は計算ずくで「進んで怒られて」います。「ここではいさぎよく謝ったほうがいい」と覚悟している様子がよくわかります。
まさに、スネ夫の謝罪力の高さがよく表れているワンシーンですね。謝罪するときは、他人に促されてではなく、積極的に謝るほうが、ポイントが高いに決まっていますよね! スネ夫はそこに気づいているから、きちんと謝って自分の株を上げました。
そして、「悪いことをしたのになぜかホメられる」という、いかにも彼らしい武勇伝まで生んだのです。
ひるがえって大人の世界ではどうでしょう。「謝罪」をめぐる過去のニュースでは、「スネ夫の爪の垢を煎じて飲ませたほうがいい」と思われることも多くあります。
釈明のつもりが言い訳に聞こえたり、態度が不誠実だと受け取られたり――企業にとっては謝罪会見ひとつで、廃業に追い込まれることもありえます。逆に言うと、「謝罪」を制するものは、その後の展開をリカバーできるということです。
先ほど引用したスネ夫の謝罪のセリフを振り返ると、とても理屈っぽいのですが、子どもだからこそ許されたのでしょう。何より、進んで謝るという点が一番評価されたのだと思います。
