「性犯罪容疑のあるW杯選手」
現在北米と中米で開催されているサッカーのワールドカップ(W杯)に出場中の佐野海舟選手。「不同意性交容疑」で2024年逮捕され不起訴処分になった後、自ら会見し謝罪した。しかし、その彼が日本代表に選出されたことへの批判は続いており、海外メディアでも報道され始めている。
英紙ガーディアンは、「性暴行容疑のあるW杯出場選手」として、ガーナとモロッコの代表選手に交えて、佐野選手を取り上げた。この2選手は今後公判がある予定で、2人とも犯行を否認しているが、不起訴となった佐野選手も同じようなカテゴリーに入れられている。イングランドが予選リーグでガーナと対戦した時、このガーナの選手に対して会場でブーイングが起こり、彼との握手を拒否するイングランドチームの選手もいた。
海外メディアと日本の温度差
海外報道の中でも、特に佐野選手の起用を厳しく批判しているのが、インドネシアのミレニアル世代とZ世代が作るデジタルメディア、IDN Timesの記事だ。中居正広氏や伊藤詩織氏の事件にも触れながら、「佐野事件は、日本がどれだけ性暴力加害者に寛容か示している」と指摘。ハワイ大学教授のデビッド・ジョンソン氏の論文「日本ではレイプは犯罪か」を基に、示談金を払うことで性犯罪が不起訴や減刑になったりする日本の状況を詳しく伝え、佐野選手の招集が必要だったのか疑問視している。
アジアの大国の若い世代のこうした声はあまり日本で報じられることはないが、社会変革に意欲的な世代が国の中核になっていくにつれ、より手加減しない視線が日本に向けられていくだろう。
それではなぜ、日本サッカー協会(JFA)と森保一監督は佐野選手を招集したのだろうか。JFAの山本昌邦ナショナルチームダイレクターは2025年、次の3点を判断理由として挙げた。1、相手に対して謝罪と話し合いをしたことを確認している、2、本人が深く反省している、3、検察が不起訴処分と判断し、刑事事件としては罪に問われずに終了している。ただ、これらの理由はどれだけ内容を伴っているだろうか。
不起訴=暴行ナシ、ではない
まず、不起訴は無罪判決とは違う。裁判には「一事不再理」の原則があり、判決が確定すると再審がないかぎり覆らないが、不起訴の場合、公訴時効が成立するまでは、検察が起訴に踏み切る「再起」はありえる。法的にはまだ司法判断は確定していないのに、佐野選手に近いJFAの側が「刑事事件として終了した」と言い切るのはどうなのだろうか。
また不起訴自体、必ずしも無罪を意味しているわけではない。不起訴には「起訴猶予」「嫌疑不十分」「嫌疑なし」の3つがあるが、「起訴猶予」は起訴できる事実があっても、加害者が被害者と示談して謝罪し、本人も初犯で反省している時などに適用される。「嫌疑不十分」も、性犯罪の場合、被害者のPTSDが深刻で裁判に臨む負担が大きく、証言の確保や公判維持が難しい結果、そうなる場合もある。佐野選手のように著名人の場合、特定されて誹謗中傷などの二次加害を受けるのではないか、と被害者側が裁判になることを恐れる可能性もある。
もし佐野選手の容疑が「嫌疑なし」(性暴力をふるっていない)だったのなら、相手の女性に謝罪し話し合いをする必要はなく、むしろ「逮捕は遺憾だ」と会見で表明すべきだったのではないだろうか。
森保監督の見解は「確認せず」
佐野選手の不起訴は上記3つのうちどれだったか、私は2025年に日本記者クラブであった森保監督の会見で質問したが、「不起訴の詳細がわかっていない」というあいまいな回答に終わった。繰り返すが、「嫌疑なし」であるなら、なぜグレーのまま放置しているのだろうか。これではいつまでも批判はなくならないだろう。
JFAが招集の理由として挙げる「佐野選手は女性に謝罪し、深く反省している」ということについても、何に反省し、何を謝罪したのか明確ではない。このように不透明なままでは誠実さや真摯さは伝わってこず、もやもやを感じる人は少なくないように思える。
反省の姿勢を示し、謝罪をするというのは、一体どういうことだろうか。本業のサッカーで頑張ったり社会貢献をしたりすることで十分なのだろうか。依存症専門医療の一環で長年、性犯罪加害者の更生プログラムに取り組んでいる西川口榎本クリニック副院長の斉藤章佳氏(精神保健福祉士・社会福祉士)は以下の点を、加害者の更生と社会復帰のためのポイントにしているという。
1、「再発防止責任」、2、「説明責任」、3、「謝罪と贖罪」の3点で、自分自身と向き合い、行動変容を継続することが大事だと話す。
性犯罪加害者の更生プログラム
1の「再発防止責任」は、認知行動療法を通じて再犯リスクのマネジメント方法を学ぶことで、加害を正当化する自分の認知の歪みに、専門家や受講する仲間の力を借りて、向き合うことから始まる。
2の「説明責任」は、そうして再学習する中で、なぜ自分は性加害をすることになってしまったのかを自分の言葉で語り、グループワークの中で繰り返し言語化する訓練をする。自分のしたことを正直に認め、対話を通してそれを言語化するプロセスを経てようやく、自分の行為の責任に向き合うことになるという。
3の「謝罪と贖罪」で大切なのは「謝罪は点ではなく線」ということだ。「加害者は許されて楽になりたい。だから許されることを前提に、被害者に謝罪する傾向がある。それなのに受け入れてもらえなかったら、一体何度謝ったらいいのか、となる」「でも許すかどうか決めるのは被害者。加害者は答の出ない中で、葛藤しながらその状態を受け入れる力を、プログラムを通して身につけることが必要。何が正解かを重視する日本の教育では、そうした力をつけることをしてこなかった」と斉藤氏は話す
斉藤氏の所属する榎本クリニックで2017年から、性加害者と対話や書簡往復を続けている写真家にのみやさをり氏は、「誰にでも失敗はあるけど、被害者を出すような失敗であるなら、被害者が納得できる形で社会復帰をすべき。自分のどういう意識がその行為につながったのか、認知の歪みを学んでそれを知らないといけない。もし佐野選手が何らかの更生プログラムにつながっていたとしたら、私は逆に頑張ってと言いたかった」と話す。
30年経ってもPTSDに苦しむ
にのみや氏は1995年に性暴力を受けて30年以上たった今でも、PTSDや解離性障害などに苦しんでおり、隔週での通院を続けている。「示談になったら救われる、ということなどない。性暴力被害者の『その後』は、例えようのない生きづらさが続く」。性加害者の男性たちと対話を続けているのは、被害者の「その後」がいかに大変か伝えるためだという。
実際、社会復帰のためにかかる時間と費用、サポートという点で、性暴力加害者と被害者の間では、圧倒的な非対称性がある。例えば榎本クリニックで治療を受けたとしたら、加害者は社会復帰の大体の道筋をつけることが可能だ。再犯リスクが低・中程度までの標準的なケースだと1年から1年半、ハイリスクの場合は3年、集中的に更生プログラムを受講。その後もメンテナンスのプログラムを続けると、再就職して社会復帰しても再犯するケースが少ないという。メンテナンスの際は期間は設けず、定期的に通いながら、専門家や受講者仲間とともに、セルフモニタリングに取り組む。
被害者は自力で頑張るしかない
ところが、性暴力被害者であるにのみや氏は、すべて自力でやっていくしかなかった。上司から被害を受けた後も1年近く、自分は大丈夫だと思い、頑張っていた。やがてPTSDの症状に耐えられなくなり、診察を受けたらドクターストップがかかり休職。復帰は難しく、退社するほかなかった。薬代や治療費に毎回数千円、場合によっては数万円単位でかかる日々が始まった。
すぐに生活に困り、借金しないと暮らせなくなったため再就職。しかし日常生活を続けるには服薬が必要で、頻繁に具合が悪くなっていた。幸い経営者には理解があったが、その会社が加害者の自宅近くにあったため、加害者と顔を合わせることに。そのことで症状が急激に悪化して退社。以後は会社勤めをあきらめ、フリーで働くしかなくなった。
20歳で職を失うと約2億円の損害
労働経済学などが専門の大沢真知子氏は著書『「助けて」と言える社会へ』(西日本出版社、2023年)で、性暴力を受けて学業意欲やキャリアを失うことなどにより、被害者がどれだけの生涯所得を失うか推計している。被害年齢が5歳だと約2億4000万円、20歳で約2億1000万円、35歳で約1億6000万円といった具合だ(65歳定年を想定)。性暴力被害に遭った後、これらを補填する人は誰もいない。
にのみや氏の場合、安定した収入を失っただけでなく、これまで約30年間、薬や治療代にかかった費用を計算すると、「家が一軒建つぐらい」の金額に上るという。2006年に自立支援医療制度ができて以後は、医療費の自己負担は1割になったが、PTSDの治療に効果があると言われるPE(持続エクスポージャー療法)などのセラピーや、さまざまなカウンセリングは保険適用されておらず、1回数千円から数万円かかる。
若年層の4人に1人は被害に遭う
以前、PTSDに苦しむ被害者支援が十分でないと指摘した記事「16歳から24歳の4人に1人は性被害に遭う」でも書いたが、性暴力被害者が、高額のため治療を断念しなくて済むよう、支援制度の確立を急ぐべきだ。PTSDやトラウマの症状が高じると、公共交通機関を使えず通院そのものができなくなるので、治療費だけでなくタクシー代など交通費の補助も必要だ。
一方、榎本クリニックの加害者更生プログラムは保険適用があるため、利用者負担は比較的軽く、通院を続けやすい。再犯リスクの程度に従って、週3日から6日通い、朝から夜までいろいろなプログラムに参加するが、1日当たり1000円程度の費用で済む上、昼食と夕食も提供される。ハイリスクの人のための送迎サービスも利用できる。生活保護を受ける必要があれば、ソーシャルワーカーが生活保護申請のサポートをすることも可能だ。
なぜ被害者へ二次加害するのか
被害者であるにのみや氏も一度、生活保護を受けるところまで追い込まれたが、すべて自力でしなくてはならなかった。「困窮しているのは、性被害に遭って働けなくなったためだ」とは、とても役所の窓口で言い出せなかったという。
性暴力被害者は自分のせいでもないのに、このような立場に置かれ、人生に計り知れない影響を受ける。それなのに救済は少ししか進んでいない。「被害を口にしても、『同意があったのでは』とか『そんなの被害じゃない』とか、二次加害がひどい。被害を被害として受け止めない社会がある。そうした世間の目がある上、自分にも落ち度があったのではないかと悩み、自分が受け入れられない。穢れてしまったのではないかという意識も振り払えない。そうすると、こんなに苦しんでいるのに、助けがほしいというのも言い出せなくなっていく」と、にのみや氏は話す。
あいまいな対応は加害者も救わない
性犯罪は再犯が多いため、性犯罪者には更生プログラムの受講を義務づけるべきだとも、にのみや氏は考えている。実は榎本クリニックのように、性加害者の更生のための治療をする施設は全国でも少ない。こうした受け皿の仕組みが全国に広がっていけば、性加害をするリスクの早期発見・早期介入・早期治療につながっていく、と斉藤氏は話す。
性暴力被害者の救済を図り、加害者の更生を助けることが、性暴力に寛大な社会を変えることにつながる。佐野選手の不起訴の中身がわからないので、このように日本で実践されている性加害者更生の取り組みが、どれだけ今回の件に資するものであるかは不明だ。しかし、不透明な状況を放置したまま日本サッカー協会が取った措置は、一見、佐野選手に寛大なように見えるが、本当に佐野選手の今後を助けているのだろうか。