あまりに問題が多い皇室典範改正案
皇室典範の改正への動きは最終段階を迎えている。
ただ、いろいろと議論があり、最後どういう形でまとまるのか、それが見えない。
6月24日に公表された衆参両院による改正案の要綱でも、「旧宮家からの養子」については例外規定で行うとされた。この案には根強い反対があり、実際、これまでも述べてきたように、そこにはあまりに問題が多いからである。
では、「女性皇族の結婚後の身分保持」についてはどうだろうか。こちらも実は同様に、問題はあまりにも多い。
現在の皇室において、女性皇族の果たす役割は大きく、その活動に対する注目度は高い。とくに愛子内親王が大学を卒業し、積極的に公務を果たすようになったことで、よりいっそう注目されることが多くなった。
女性皇族であれば、結婚したら皇室を離れてしまう。こうした議論が開始されたのも、それを危惧する声が高まったからである。結婚後も皇族としての活動を続けてほしい、というわけである。
したがって、従来それは、結婚後の女性皇族が新たな宮家を営むようになる、つまりは「女性宮家」を創設することとして理解されてきた。
ところが、今回の改正案には、女性宮家という言葉はまったく登場しない。その代わりに、「内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持すること」という言い方がされている。女性宮家はどうなってしまったのか、そう思う人たちもいることだろう。
「女性宮家」でなく「身分保持」とした戦略
「女性宮家」であればイメージがしやすい。だが、「身分保持」となると、いったいそれが何を意味するのか、ひどくわかりにくい。
そこには、今日の形での皇室典範の改正を推し進めようとする政治家たちの巧みな戦略が隠されている。
それも、全体の構図が、「いかにして女性天皇、女系天皇の実現を阻止するか」におかれていながら、その最終目的を隠しているからである。
皇室の制度史に詳しい所功京都産業大学名誉教授も、朝日新聞の紙上で、改正案に不適切な点が多いのは、「あえて本心をぼかしながら、(男系男子に固執する改正の)目的を遂げようとする底意が透けて見える」からだと指摘している。もっともな指摘である。
女性宮家の創設が提言されたのは、民主党の野田佳彦政権の時代に「皇室制度に関する有識者ヒアリング」が開かれ、2012年10月にそれがまとめられたときだった。
そのときは、女性宮家の創設とともに、女性皇族が結婚して皇室を離れても新たな称号を使うなどして皇室活動を続ける案が提言された。そこでは、旧宮家からの養子案はまったく示されていなかった。
その後、自民党が政権に復帰し、安倍晋三政権の時代になると、保守派の反対が強い女性宮家創設は棚上げされてしまった。それが、女性天皇や、さらには女系天皇へ道を開くことになるからだというわけである。
ここから動きが怪しくなる。
自民党が政権復帰して以降の“決定打”
女性宮家という表現が使われなくなる決定打となったのが、菅義偉政権時代の2021年に設置された「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議においてだった。
現在の上皇の退位を定めた特例法の成立時にも有識者会議が設置され、そこでは附帯決議で、安定的な皇位継承を実現するために女性宮家の創設を早急に検討する必要があるとされていた。これは2017年のことである。
女性宮家という表現が使われなくなるのは、自民党が政権に復帰した後、とりわけ菅政権以降である。
代わりに身分保持ということが言われ、併せて旧宮家からの養子案が浮上した。皇室を離れても新たな称号で、という話はまったく議論にのぼらなくなった。
こうした流れであったために、国民の多くが気づかないまま、女性宮家という言葉は議論からはじきだされ、身分保持が言われるようになったのだ。
では、身分保持とはどういうことなのだろうか。
女性皇族「身分保持」案の大問題
現在の皇室典範では、その第12条で、「皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」と定められている。戦後に施行されたこの典範に則り、実際、戦後に結婚した内親王や女王は皇族の身分から離れ、一般国民となってきた。
今回の改正案では、この第12条を法改正し、結婚しても皇族の身分を離れることがないようにするというのである。これが身分保持である。
ただし、経過措置として、改正された皇室典範が施行される時点で内親王や女王である女性皇族については、愛子内親王や彬子女王などになるが、その意思にもとづいて皇室を離れることができるとされている。
内親王や女王の場合、現行の皇室典範の規定を前提に、その人生を組み立ててきたわけで、そのことが配慮されているわけである。
だが、ここで問題が生じる。それは、結婚した後も、内親王や女王が皇族の身分を保持したときである。結婚した配偶者や子どもを皇族にするのかどうかで、これまで賛成、反対の議論が続いてきたのだ。
保守派の政治家が最も嫌うことは何か
一般国民の女性が皇族と結婚した場合、皇族の身分が与えられる。現在の上皇后、皇后、秋篠宮妃、常陸宮妃、三笠宮妃、高円宮妃は皆、一般国民だった。常陸宮妃の場合は、旧華族の出身だが、旧華族も戦後は一般の国民になっている。
その点からすれば、皇族としての身分を保持する皇室の女性と結婚した男性も皇族となり、その間に生まれた子どもも皇族となるはずである。
しかし、保守派の政治家や論客は、それを最も嫌う。
皇室の血統を受け継いでいない男性が天皇になったり、その子どもがやはり天皇になったりすれば、皇室の伝統が根本から揺らぐというのである。
では、どうするのか。
改正案では、女性皇族と結婚した男性や子どもを“皇族にはしない”と明記されているわけではない。それは、あたかも先送りされているかのようにも見えるが、実はそうではない。
というのも、改正案のなかでは、「天皇および皇族以外の男子と婚姻をした内親王・女王について、住民基本台帳法を適用するものとすること」とされ、併せて住民基本台帳法の改正が必要とされているからである。
配偶者や子どもを“皇族にしない”方法
住民基本台帳法などという法律の名前が出てくると、とたんにその意味がわからなくなってしまうが、要するにこの法律は、私たちが誰でも持っている「住民票」の作成や届け出について定めた法律である。
皇族の場合、一般国民とは異なり、戸籍はなく、「皇統譜」に記載されている。したがって、戸籍がないので住民登録ができず、住民票を持っていない。
住民基本台帳法が適用されるということは、結婚後の女性皇族も、配偶者や子どもとともに住民登録を行い、住民票を持つことを意味する。
ということは、配偶者や子どもは一般の戸籍を持ったままであり、皇統譜には記載されない、つまりは、皇族とは異なる法的扱いになるということである。
これは、「国際結婚」と同じ扱いにするということで、だから、住民基本台帳法が持ち出されてくるのだ。国際結婚の場合、日本人の戸籍に婚姻の事実は記載されるが、外国人自身が日本で独立した戸籍を持つわけではない。それでも住民登録を行い、住民票を持つことができるのだ。
これを皇族にも活用しようというわけで、だからこそ、今までその規定がない住民基本台帳法の改正が必要だとされているわけである。この点はとても重要なのだ。
皇族から離れるしかない結婚後の選択肢
しかし、そうなると、ひどく奇妙な家庭が出現することになる。
妻は皇族だが、夫と子どもは一般国民のままである。
しかも、妻は皇族として初めて住民登録をすることになる。いったいどこに住民登録するのだろうか。
そうした家族が住む場所がどこかは大問題である。皇居や赤坂御用地など国が管理する土地なのだろうか。それとも、それ以外の場所なのだろうか。その点について、改正案では何も示されていない。
皇居や赤坂御用地であれば、そうしたところに一般国民を住まわせていいのかが議論になる。それ以外の一般国民が住んでいる場所であれば、今度は、身分保持した女性皇族の警備が問題になってくる。どのような生活をするか、イメージすることがかなり難しい。
これではとても、結婚後に皇族の身分を保持することなどできそうにない。皇族から離れるしかなくなる。
そうなれば、いかに皇族数を確保するかからはじまった議論が、まったく意味をなさなくなるのだ。ちゃぶ台をひっくり返すようなものである。非常に奇々怪々である。
なんともグロテスクな皇室典範改正案
改正案は結局、現在未婚の女性皇族を、皇室の外に追いやるか、未婚のまま皇室活動を続けさせるしかなくなるものなのである。
結婚後も身分保持ができるような体制はまったく作られていない。たしかにそれは、女性宮家が創設されるような事態を阻止するには有効である。改正案を作り上げた政治家の本音が、そこにある。
そうなれば、例外規定になったものの、旧宮家からの養子が成立する以外、皇族数の確保、皇位の安定的継承策はないということになる。
天皇家と旧宮家との関係が男系では室町時代まで遡らなければならず、しかも、改正案が示しているように15歳以上の未婚の男子に限定されるのであれば、その祖父からして皇族を経験していないわけで、果たして国民から認められるかどうかが問題にもなっている。
だが、〈「愛子天皇」阻止のため"皇族予備軍"を量産していいのか…天皇陛下の"静かな怒り"に触れた高市政権の皇室軽視〉でも指摘したように、政治家は、天皇や皇族が存在感を示し、「おことば」などによって国民に影響力を発揮することを望んではいない。彼らにとっては、むしろ国民が認めない天皇や皇族のほうが、はるかに都合がいいのだ。
なんともグロテスクな改正案ではないだろうか。
その方向で皇室典範が改正された場合、皇室に明るい未来を見いだすことは難しい。
逆に、明るい未来を想像させる「愛子天皇」待望論は、よりいっそうの高まりを見せることになるのではないだろうか。