※本稿は、青山誠『大関 和 看護に人生を捧げた日本のナイチンゲール』(角川文庫)の一部を再編集したものです。
大関和と鈴木雅が受けた授業
桜井女学校看護婦養成所もナイチンゲール方式に則り、前期1年間はまずアグネス・ヴェッチ(スコットランドのナイチンゲール看護学校を卒業した1期生で、病院での実務経験も豊富なベテラン看護婦)から基礎医学や看護学の講義を受ける。
アグネスが早口で喋る言葉には難しい専門用語も多く、英語を学んだ和でも話が理解できないことがよくあった。しかし、アグネスの通訳を任された鈴木雅(「風、薫る」直美のモチーフ)は、それを澱みなく日本語に訳して生徒たちに説明する。
同時通訳ができそうな英語力にくわえて準備も怠りない。雅はいつも授業の前日には分厚い辞書を広げて、難しい専門用語を調べあげて授業に備えている。優秀な通訳であり、また、最も勉強熱心な生徒で授業の内容を理解するのも早い。合理的で理詰めに考える雅には、プロフェッショナルな技術者の養成を目的とするナイチンゲール方式の看護教育は合っていたようだ。
なんでも人並み以上にできる雅に、大関和は憧れを抱くようになる。雅もまた和の熱情を羨ましく思っていた。看護婦を志す者は誰でも、苦しむ人々の力になりたいと思っている。だが、普通は我が身がいちばん大事、どうしても損得勘定が先に立つものだが。和にはそういったところがまったくない。困った人を見れば、考えるよりまず体が動いて駆け寄って助けようとする。また、他人の不幸に同情して本気で怒ったり泣いたり……と、自分にはできないが、そんな献身や慈愛の精神も看護婦には必要な資質だと雅は思っている。ふたりはお互い、自分にはない親友の才能に憧れた。
大関和はキリスト教の洗礼を受ける
アグネスが着任してから、時間割は看護学や衛生学、医学などの講義で埋め尽くされ、生徒たちはこれまでの遅れを取り戻すために勉強に明け暮れる。そして、春になった頃、和は洗礼を受けてキリスト教徒になった。
キリスト教の教えに感化されていた彼女からすれば、もっと早い時期から信者になりたいと思っていた。しかし、プロテスタントの洗礼は、自分の意思だけですぐに受けられるものではない。一定の準備期間が必要になる。教会に通い聖書を学び牧師の説教を聞いて、キリスト教の教えを理解して信仰を深めてゆく。牧師はその様子を見ながら、洗礼を受ける時期を判断する。
「父と子と聖霊の御名によってあなたに洗礼を授けます」
和の頭に水をかけて洗礼の儀式を執行した牧師はもちろん(旧知の間柄であるプロテスタントの牧師・神学者)植村正久である。
直美のモチーフ・雅は入信せず
この年、植村は麴町区一番町48番地(現在の千代田区三番町)に一番町教会を設立して活動の拠点を移していた。
一番町教会は桜井女学校の寄宿舎からも徒歩5~6分と近く、和は看護の勉強で忙しい最中にも頻繁に通って洗礼を受ける準備をした。自分がやると決めたからには、どんな苦労も厭わず一直線に突き進んでやり遂げる。強い意思に裏打ちされた突破力は彼女の真骨頂だ。この後もそれを武器に困難な状況を乗り越えてゆくことになる。
雅もフェリス・セミナリーでキリスト教関係者と深く交流し、聖書やキリスト教関連の書物もひと通りは読んでいた。その教えには共感するところは多いのだが……彼女は信者になろうとまでは思っていない。ひとつの考えにのめりこみ過ぎるのは、視野狭窄に陥ってしまう危険があり、それを避けて信仰とは距離を取っているような感じも見受けられる。このあたり、ふたりの思考の違いが垣間見られて面白い。
現在の東大医学部附属病院で実習
明治21年(1888)10月、1年間にわたりアグネスから看護学を学んだ和と同級生たちは、その成果を試すべく帝国大学医科大学(現在の東京大学医学部)附属第一医院が主催する看護実習に参加した。帝国医科大学でも近代的な看護法を導入するために、1年の期間で「看護法・看病術実地訓練」をおこなうことになり講師をアグネスに依頼してきた。それが縁で桜井女学校看護婦養成所の生徒たちも、委託生として訓練への参加が認められたのである。
約8万8000坪の加賀藩上屋敷跡地を中心に広がる広大な帝国大学キャンパス(現在の東京大学本郷キャンパス)の中には医科大学の校舎もあり、和たちが実習をおこなう附属第一医院も隣接している。病院の南側は緑樹に囲まれた三四郎池があり、大名屋敷だった頃の雰囲気が最もよく残る場所だった。
3棟の長大な建造物によって構成される附属第一医院は、隣接する医科大学よりも大きく存在感がある。当時の日本では最大級の医療施設で、最先端の医療機器を取り揃えていた。が、そこで働く医師たちの思考回路は最先端とはいえない。帝国大学は官僚養成機関としての性格が強く、教授や学生たちも“序列”を強く意識する。古臭い権威主義の窮屈で息苦しい雰囲気が蔓延していた。自由な校風のなかで暮らしてきた桜井女学校の委託生たちはこの空気に馴染めない。
「看病婦」は遊郭出身者が多かった
エリート意識の強い医師たちは、他の職員や患者を見下してかかる。看病婦などは雑用係の使用人としてしか見ておらず、いかにも当然といった感じで、身の回りの世話まで言いつけてきたりする。しかし、当時の看病婦の実情を見れば、見下されても仕方がないところがあるのだけど。
看病婦の賃金は工場の女子労働者よりは高給ではあるのだが、血と膿にまみれる汚い仕事だ。また、仕事とはいえ男性患者の肌に触れることに、普通の女性は尻込みしてしまう。だから多少賃金が良くても成り手がいない。そのため、この病院でも吉原の遊郭で遣手婆の仕事を引退した者を雇用して頭数を確保している。看護の知識や経験のない素人ばかり、体力的に問題がある60~70歳の老女も多かった。
ひとつの病室には2~3人の看病婦が常駐しているのだが、遊郭の遣手婆の癖が抜けていないようで、患者のベッドの横で長煙管の煙草を吸いながら談笑している。看護の知識や技術がないだけではなく、仕事への意識やモラルも低い。
アグネスの指導による実地訓練には、桜井看護婦養成所からの委託生6名(前年に2名が退学している)に加えて、第一医院の看病婦から選抜された15名、入院患者が雇用していた付き添いの看病婦7名が参加していた。選抜されただけあって勤続歴が長く優秀な者を選んでいると思いきや、彼女らは感染症に関する知識も皆無で、平気な顔で血や膿がついた包帯を素手で触ったりする。
和は専門知識のない看病婦に驚く
病院の実態を知った和は啞然となってしまう。ナイチンゲール看護学校が置かれているロンドンの聖トーマス病院や、欧米の病院の話をアグネスから聞いていた。そこには素晴らしい技量と高い意識を持って仕事をする、プロフェッショナルの医師や看護婦たちがいるという。自分たちもそういった場所で働き、スキルを磨きあげたいと思っていた。実習がおこなわれる帝国大学医科大学の附属医院は、日本最高峰の病院だと聞いている。きっと素晴らしい経験ができるはずだと期待していたが、その期待は裏切られた。
権威主義が服を着たような医師の尊大な立ち振る舞いに腹をたて、看病婦の意識の低さに呆れる日々。しかし、敬虔なキリスト教徒である桜井女学校の委託生たちは、そんな困った人々のために祈る。
「二週間毎に日の出の時間に集まって、医師や患者、無知な看病婦の為に祈りました」
「無知な看病婦の為に祈りました」
後になって和はこのように証言しているのだが……祈られた方からすれば、大きなお世話だろう。医師たちの権威主義を嫌っていた和たちもまた、無知な者や不信心な者たちを見下している。そんなところがあった気がする。おそらく彼女らの独善は、看病婦たちも察知していたのだろう。看病婦たちには桜井女学校の委託生を嫌う者も多かった。
実習期間中、和はかなりストレスを溜め込んでいたようだ。それが、とある事をきっかけに爆発してしまう。乳がんの痛みに苦しむ患者から「一晩でいいから付き添ってほしい」と懇願され、見捨てることができず事務所に了解をとって看病した。しかし、翌日にそれを知った担当医師が大激怒。
「見習いのくせに余計なことをするな! 私の治療や看病婦の世話が行き届かないと言いたいのか?」
いきなり怒鳴りつけられた。自分が命じたことだけをやっていればいい、その他のことは考えず何もするなと言うのである。和も黙ってはいなかった。看病婦のことを雑用係としか思っていない医師の態度にも腹が立ち、負けん気に火がつく。
献身的すぎる和が起こした軋轢
「看病婦というのは病める人々の魂を癒すということが第一義であるはずです。言われていることをこなしているだけでは、仕事を全うすることはできません」
キッと睨んで反論する。男尊女卑と官僚主義にどっぷり浸かって生きてきた医師には、見習いの看病婦が自分に意見を言ってくるなんて想像もしてなかった。面食らって何も言えずその場は引き下がったけど、人前で恥をかかされた遺恨は残る。
直情径行の和は敵をつくりやすい。それを心配した雅からよく窘たしなめられるのだが、この性格は変えられない。訓練期間中には他にも何度か小さな軋轢を起こしていた。
