※本稿は、今野晴貴『会社で働くとなぜ幸せになれないのか』(SB新書)の一部を再編集したものです。
1970年代以降生まれの氷河期世代
ちょうどこの時期、就職氷河期世代の若者たちは、自分たちを「ロストジェネレーション=ロスジェネ(失われた世代)」と呼ぶようになる。
この言葉のニュアンスは使う人によってさまざまではあるが、一般的には企業に就職して出世したり、結婚や子育てをしたり、マイホームの購入をしたりといった「人並み」とされた会社員・消費生活をすることができなかった、という意味が込められている。そこには、フリーターが含んでいたポジティブなニュアンスはもはやない。
フリーターのイメージは、自由を求める存在ではなく、むしろ会社員としての生き方を喪失=ロストした存在に変わってしまった。たしかに、就職氷河期世代はいろいろな意味で「悲惨」だといえる。1970年代前半に生まれた彼らは、もっとも人口の多い「団塊世代」の子供たち(「団塊ジュニア世代」)であり、世代内の競争がとても激しかった。
現在(2026年2月時点)20歳の2005年生まれは、約106万人。対して、出生数がピークだった1973年生まれは約209万人(ともに出生時)で、およそ2倍もの同世代がいたことになる。同世代の多さはあらゆる場面での厳しい競争を引き起こす。
しかも、育ったのは企業中心社会の全盛期。子供たちはいい企業に就職するための受験競争を徹底的に強いられた。学校では試験順位が名前入りで貼り出され、学校ごとの偏差値も公表される。教師や親も偏差値を上げるために子供たちを勉強に駆り立てた。団塊ジュニア世代の日東駒専の合格者は、現在の早慶に合格できる学力を持っていたという推計もあるほどだ。
バブル崩壊で正社員になれず…
さらに、この世代をバブル崩壊が直撃する。それまでバブル景気で大量採用されていたひとつ上のバブル世代の雇用を守るための身代わりとなり、徹底的に採用抑制がなされた。
そのうえ、不景気の被害者であるにもかかわらず、経済低迷の原因だと名指しされ、「自己責任」や「人間力がない」といった言葉をたたきつけられた。これでは「ロストジェネレーション」と言いたくなるのも無理はない。
なぜ、フリーターは〈仕事〉にやりがいを求めていたにもかかわらず、社会の弱者へと転落したのか。そもそも、明治時代には「渡り職工」のような、自由な働き方がふつうだったのではなかったのか。
この点を理解するには、この時代の非正規労働が「低スキル」とセットになっていた点を考慮する必要がある。1990年代から2000年代にかけて、フリーターと同じように、自由に働けるといわれた派遣労働の変化を見てみよう。
「ハケンの品格」のようにはいかない
1985年に制度化された派遣労働は、自分の専門性を生かして、会社を変えながら自由に働くことができるとされていた。
たとえば、2007年放送のテレビドラマ「ハケンの品格」では、特Aランクの派遣社員・大前春子は派遣でありながら、正社員以上の専門スキルと仕事の速さを持ち、定時になれば一切の未練なく帰る。一方、正社員たちは長時間労働や社内政治に縛られ、不満と疲労を抱えているというストーリーだ。
あるいは、凄腕の外科医・大門未知子が利権や権威にまみれた病院の都合を無視して渡り歩く「ドクターX」も、会社人間的な医師へのアンチテーゼが大うけした(厳密には派遣ではなくフリーランスだが、派遣のように扱われている)。
会社の理不尽な扱いを我慢するのではなく、自分で会社を選ぶ。しかも、仕事内容は固定なので、自分のやりたい専門業務を極めることができる。会社に支配されるのではなく、仕事に生きがいを持てる働き方だというわけである。
たしかに、1986年に始まった初期の派遣労働は、通訳など専門的な仕事が多く、収入もよかった。ところが、1999年に業種が原則自由化されると、就職氷河期のさなか、正社員になれなかった低スキルの若者たちが派遣労働に一気に流れ込む。結果、彼ら彼女らが「使い捨て」のターゲットにされたのだ。
派遣会社は大量の若者を雇い入れ、彼らの労働力を派遣先に販売する。そこには労働法は直接的には適用されず、スキルが低い労働者はあたかも「安売りの商品」のように扱われた。言い換えれば、大前春子や大門未知子のような高いスキルを持っていなければ、会社から独立して自由に働くことはできず、使い捨てにされるだけであった。
派遣OLの立場はヨワヨワだった
とくに、派遣労働の割合が高い事務職で働く女性の立場は極めて弱かった。
登録時の面談で容姿や雰囲気が暗黙のうちに評価され、「A」「B」「C」といったランクに振り分けられる。どの企業に紹介されるか、次の仕事があるかどうかは、その評価に左右された。
派遣先では、その弱い立場を見透かすように、身体への接触や、断りにくい誘いが日常的に繰り返された。拒めば契約を切られるかもしれず、セクハラも我慢せざるを得ない。
セクハラ運動会のあきれた実態
ジャーナリストの斎藤貴男が、その著書『機会不平等』で暴いた「夜のセクハラ大運動会」は、そうした日常が一気に露呈した場面である。
1999年12月、大手不動産会社・住友不動産の忘年会。会場では、幹部男性社員の号令のもと、派遣女性を含む競技が次々と行われていた。
「それではお待ちかね、ラブラブ・パン食いきょーそー!」
「待ってましたあ!」
ラブラブ・パン食い競争とは、男女が二人三脚よろしく片足ずつを結びつけ、肩を組み体を密着させておいて、一つのパンを両側から食べていくというゲームである。最後には口と口とが超接近することになるわけだ。
紙吹雪が舞い、歓声が上がる。卑猥な雰囲気が会場内を包んだ。ペアの相方にキスしてしまった男性もいたそうである。続いて、男性三人と女性二人のチームによる「恐怖のムカデ競争」。女性を男性が前後からサンドイッチにしながらの駆けっこ。「愛の一本足リレー」。男性四人と女性三人が交互に椅子に座り、手を使わず裸足でスリッパをリレーする。さらにまた、“競技”中の女性を捉えたポラロイド写真を競りにかけた「オークション」……。
夜九時近くまで続いた住友不動産「夜の大運動会」の主催は人事部、男性の参加者は手伝いの若手を除くと全員が部長代理以上の幹部社員。会社ぐるみのセクシャル・ハラスメント大会だった。
(『機会不平等』108~109頁)
この出来事の描写には、派遣という立場に置かれた女性たちが、どれほど無防備な状態で職場に立たされていたのかが、はっきりと刻まれている。
