退職代行のサービスは拡大し、代行会社も利用者も増えている。労働問題を研究する今野晴貴さんは「いわゆるブラック企業ではない会社でも退職代行を使う人が増えてきた。転職者への調査では一番多く使われる職種も分かっている」という――。

※本稿は、今野晴貴『会社で働くとなぜ幸せになれないのか』(SB新書)の一部を再編集したものです。

日本での就職活動のイメージ
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「大企業への就職が全て」だった時代

日本社会の風景が大きく変わってきた──。

最近、そう感じることが多くなった。一時の変化ではなく、本当に変わってきたと感じる。何よりも、働くことへの考え方が、劇的に、根底から変わっている。

1983年生まれの筆者が生まれ育ったころ、日本は「企業社会」の真っただ中だった。
父親が仕事漬けでほとんど家に帰ってこないのは当たり前。そもそも単身赴任で何カ月も帰ってこないということも珍しくはない。学生たちは大企業を目指し、受験勉強に明け暮れる「受験競争」も過激化していた。

みなが上昇志向を持って生きていた。誰もが信じる「上昇」とは、大企業や官僚という「いい仕事」に就くことを意味する。事実、その人のステータスは学歴と会社のネームバリューでほぼ決まっていた。勤め先が中小企業だったり、ましてや収入が低く労働がつらい農家であったりすると、「恥ずかしい」という思いをさせられた。

ところが、転機が訪れる。1990年代後半、日本経済が長期低迷に突入した。「いい仕事」への入り口が狭まると、今度は就職競争が激化。リクルートスーツでなりふり構わず企業に身を投げ出す学生たちが出てきた。その様子は「全身就活」とも呼ばれ、学生時代はすべて就活のネタ作りと化した。何十、あるいは100以上の企業にエントリーシートを出す。企業の担当者に気に入られるため、プチ整形をする者までいたという。

大学生の就活は“命がけ”に

就職研修業が盛んになり、スーツ姿の学生たちが街頭で大声を張り上げて歌わされたり、見知らぬ通行人に名刺交換を毎日、朝から晩まで頼みこんだりする光景も出現した。なかには路上で泣きながら名刺交換を嘆願する者もおり、社会問題となった。

企業へのエントリーでは人格の内面が重視され、「自己分析」を指導する就活塾も活況を呈した。自分の内面を分析し不採用、さらに深く分析し不採用……。このループを繰り返すなかで精神を病み、うつ病者、自殺者が後を絶たなかった。心理主義的な雰囲気が広がり、就職活動は半ばカルト的な様相さえ呈していた。

就職できず契約社員や派遣社員になろうものなら、「社会の負け組」や「人間力が低い」などと馬鹿にされ、本人だけではなく両親も周囲から白眼視された。親たちもまた、「とにかく就職しろ」と自分の子供を脅しつける。派遣社員などの非正規雇用になると、「育て方を間違えた」と、親が子供の人格否定を繰り返す悲劇が繰り返された。したがって、自分の尊厳とアイデンティティを保つためにも、就活は命がけともいえる負けられない戦いだったのである。

ブラック企業にもしがみつくしかない

何とか正社員として就職したあかつきには、今度は辞めることなど簡単にはできない。どれだけ「ブラック」だとしても、しがみつくしかない。理不尽な要求、人格否定の罵声、終電間際までの残業地獄。そもそも残業代も支払われない。こんな環境でも「耐える」のが当たり前だった。

会社を辞めることは、あたかも反社会的行為のように罵倒されることも珍しくはなく、辞めた若者への社会の目線も厳しいものだった。筆者自身の体験でも、大学院に進学することについて「就職しない人間はおかしい」と周囲から見られ、だいぶ肩身の狭い思いをさせられた記憶がある。

いずれにせよ、多くの人にとって正社員になること、正社員であり続けること、なるべくなら大企業で名の通った会社の社員であることは、「損得」を超越した、いわば自我の防衛ラインだったのである。

しかし、今日ではどうだろうか。状況は一変しつつある。

「退職代行」の急激な広がり

最初に異変が生じたのは、「退職代行」の広がりだった。

退職代行は、2010年代の半ばごろから見られるようになってきた。退職代行とは、退職したい労働者が代行業者に退職手続きを依頼して、本人は会社とのやり取りを一切拒否できるようにするサービスである。これが広がったのには、確かな理由がある。というのも、「ブラック企業」と呼ばれる企業では、一度入るとなかなか辞めさせてもらえないからだ。

悩むビジネスウーマン
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ブラック企業でなくても退職

民法では退職を申し出れば、2週間後には自動的に雇用契約は解消される。退職の申し出はメールやLINEなどによる通知でも構わないので、退職代行の必要性は少なくとも法的には存在しない。それでも、代行業者に対応してもらわなければ不安で仕方がないほどに、ブラック企業による威圧は深刻だったということだ。

だがしだいに、ブラックではない、一般にまともだと思われる企業でも次々に退職代行が使われるようになった。とくに、大きく変化してきたのは新型コロナウイルスの時期あたりからだろう。

やがて、企業側は退職代行業者からの突然の通告に怖れを抱くようになり、企業内のコミュニケーションにも影を落とすようになった。ここ数年は、毎年4月~5月には筆者がコメントや記事を寄稿している「Yahoo! ニュース」のトップ記事にも、退職代行の記事があふれる。企業からも社会からも強い関心を集める問題に発展しているのだ。

退職代行が一番多く使われる職種

株式会社マイナビが2024年に行った調査によれば、直近1年間(2023年6月以降)で転職した人の16.6%が退職代行サービスを利用していたという。年代別では、20代が18.6%でもっとも高く、30代が17.6%、40代が17.3%、50代が4.4%である。つまり、50代を除く幅広い年代に利用されており、若年世代の利用率が高い。

また、転職活動時の職種は、「営業」が25.9%でもっとも高く、「クリエイター・エンジニア」が18.8%、「企画・経営・管理・事務」が17.0%と続いた。

わずか10年前には退職代行はほとんど存在しなかったことを考えれば、転職者全体の2割弱がわざわざ退職代行サービスを利用しているというのは、驚くべき実態だ。

「退職を引き留められたから」

なぜ退職代行の利用はこれほど急激に広がったのか。

同調査によれば、上位の3回答は次のようになっている。すなわち、「退職を引き留められた(引き留められそうだ)から」が40.7%でもっとも高く、「自分から退職を言い出せる環境でないから」が32.4%、「退職を伝えた後トラブルになりそうだから」が23.7%と続いている。この上位の回答項目だけを見ると、やはり、企業側の圧力を回避するための手段として利用されているようだ。

作業着を着てオフィスで打ち合わせをするビジネスマン
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だが、4位以下ではこのような回答が見られた。

・いち早く退職する必要があるから 22.4%
・退職のやりとりや手続きが面倒だから 13.8%
・退職理由を考える(伝える)のが面倒だから 13.4%

これらの回答も上位の回答と比べてごく少数とはいえず、「すこし気まずい」「面倒くさい」といった軽い気持ちでの利用も広がっていることが窺われる。つまり、今日の退職代行は、もはやブラック企業対策とはいえない。新たな段階に広がりを見せているということだ。

退職代行を使った「本当の理由」

実際に、各種の報道を見ていると、ふつうの企業にまで活用されるようになっており、経営に深刻な影響を与えている可能性も否定できない。例として、いくつか紹介しよう。東海テレビは、ヘルスケア商品などを手掛ける従業員120人ほどの企業の事例を紹介している。

2025年1月に初めて「退職代行」の電話を受けた。(同社長は)ちょっとびっくりしてしまって、「退職代行とうとううちも来たよ」と、その日のうちにバァーっと会社の中で広まりましたね。「まさか」って思いましたね、自分たちの会社には縁のないことだと思っていたので。(代行の電話を受ける前は)“なんでそれぐらいのこと電話1本で”とか、“一言会って言うことができないのか”と。勤続1年未満の20代社員の“代行”だという退職連絡に、初めはただただ驚いたという。

電話を持つビジネスマンの手
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しかし、「本来やりたい仕事ではなかった」という理由を伝えられ、反省も口にした。(同社長は)身をもって経験すると、ちょっと反省をしたというか、少し休みがちになっていた時に「なんで自分が声をかけてあげられなかったんだ」と思いましたし、会社側にも問題がやっぱりあったんじゃないかと。(常識を)変えないと、このままでは若い人が採用できないなと。この1件以来、“何でも言える空気づくり”を目指し、社員の声に耳を傾ける時間を積極的に増やしているという。

これまでの「常識」を変える必要

社員の退職をきっかけに職場環境が改善するのであれば、もちろん望ましいことだ。

ただしここで注目したいのは、「本来やりたい仕事ではなかった」という理由ひとつを伝えることがわずらわしく、退職代行が使われている点である。

会社を辞めることは、以前とは比べものにならないほどカジュアルになり、人生にとっても大きな出来事ではなくなっている。それは同時に、会社側にとってはこれまでの企業文化を変えていかなければならない、という危機感を覚えるほどの出来事である。社長の「身をもって経験すると……」という発言にすべてが表れているように感じる。

人事担当「とにかく大迷惑の一言」

一方、東洋経済オンラインに掲載された記事では、冒頭から「『大迷惑です。とにかく大迷惑の一言です』と吐き捨てるのは、退職代行から従業員の退職届を受け取った大手金融機関の人事担当者です」とはじまり、以下のような企業側の声を紹介している。

今野晴貴『会社で働くとなぜ幸せになれないのか』(SB新書)
今野晴貴『会社で働くとなぜ幸せになれないのか』(SB新書)

「お客様や関係者の迷惑を省みず突然行方をくらますって、社会人としていかがなものでしょうか。たとえ新人であっても、意思表示くらいは自分でちゃんとするべきで、擁護の余地がないと思います」(電機)

「退職代行を使うのは、「私は礼儀も常識もなく、最低限のコミュニケーションもできません」と宣言しているようなもの。呆れると同時に、その後の人生がどうなるのか、ちょっと心配してしまいます」(外食)

実際、企業側は採用計画が狂い、業務にも支障をきたす。教育係は徒労感にさいなまれる。若者の仕事観の変容は、企業のこれまでの労務管理の常識を通用不可能にしているのである。