皇室典範改正と「国力研究会」の誕生
現在国会で進んでいる皇室典範改正の問題において、もっとも重要人物になっているのが自由民主党の副総裁、麻生太郎氏である。
高市早苗首相が誕生したとき、真っ先にこの問題については麻生氏に一任された。それも、一つには麻生氏の実妹が三笠宮寛仁親王妃家の信子妃であり、皇室とは親戚関係にあるからである。
しかし、それだけではない。
歴代の首相経験者のなかで、現在でも議員を続けているのは麻生氏のほかに、岸田文雄氏と石破茂氏しかいなくなった。しかも、岸田・石破両氏が首相だったのは2020年代になってからであるのに対して、麻生氏が首相になったのは2008年のことである。キャリアが違うわけである。
麻生氏が自民党のなかでもっとも影響力を持つ政治家であることは間違いない。実際、5月21日に、自民党の国会議員が集まった「国力研究会」という会合が開かれ、それは高市首相の再選のためと言われたが、筆頭発起人で最高顧問は麻生氏だった。
この研究会には、自民党の所属議員のうち8割超が集まってしまった。それでは一部の議員による研究会を開く意味がなくなったとされるが、それも麻生氏の仕掛けた試みに乗り遅れたら冷遇されるという畏れを、自民党の議員が抱いているからである。
“大事業”を「花道」にしたい練れ者
麻生氏は1940年9月20日の生まれで、現在85歳である。現役の自民党議員でそれに次ぐのが参院議長である山東昭子氏の84歳である。その下になると、71歳の逢沢一郎氏になってしまう。引退する議員が多く、間がごそっと抜けてしまったのだ。
この年齢構成からしても、麻生氏が自民党のなかで重きをなすのは自然な流れである。山東氏は、参院議長になる際、自民党の会派からは抜けているので、なおさらである(衆院議長だと党籍を離れる)。
85歳という年齢から考えると、麻生氏が次の衆院選に出馬することはないであろう。ということは、彼に残された現役政治家としての時間はかなり限られている。すでに16選を果たしており、残された時間は2、3年である。
本人は当然、そのことを意識しており、「皇室典範改正」という大事業をなしとげてから政界を引退し、それを花道にしたいという思いを抱いているに違いない。
だからこそ、皇室典範の改正になみなみならぬ意欲を示しているわけだが、見方を変えれば、そうした個人の功績を後世に残すために、皇室のあり方に重大な影響を与える皇室典範の改正がなされてよいものだろうか。そうした疑問が湧いてくる。
しかも、麻生氏は2人の死者に突き動かされて、その方向にむかっているのである。
義弟と盟友「2人の死者」の木霊
その死者とは、三笠宮家の寛仁親王と、銃弾によって殺された安倍晋三氏である。寛仁親王は、麻生氏の妹の夫君になるわけで、義弟になる。
安倍氏の場合は、民主党から政権を奪還した後、2012年12月から第2次安倍政権をスタートさせるが、麻生氏は、安倍氏が退陣するまでの約7年8カ月にわたって副総理兼財務大臣として、その政権を支えた。
麻生氏はいったん首相に就任しているわけで、それが政権の「ナンバー2」として首相を支えるのは異例の事態である。それは、麻生氏と安倍氏の絆がいかに強いものであったかを示しており、2人は間違いなく「盟友」だった。
麻生氏が、皇室典範の改正に前のめりになっているのも、この義弟と盟友という2人の死者の声を聞き続けているからではないだろうか。
寛仁親王は、若い頃には自由に活動がしたいと皇族から離れる意向を示したこともあった。ただし、〈秋篠宮家とも三笠宮家とも全然ちがう…「愛子天皇」待望論の背景に"家族関係のお手本"求める国民感情〉でも述べたように、父である三笠宮崇仁親王がリベラルな立場だったことに反発し、あくまで伝統を守ろうと、女系天皇に反対し、旧宮家の皇籍復帰を主張し、さらには側室制度の復活まで提言していた。
皇室問題に積極的な皇族と政治家
寛仁親王に『トモさんのえげれす留学』(文藝春秋)という著書があるように、イギリスのオックスフォード大学に留学の経験があった。麻生氏も、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに留学しており、イギリス留学という共通の体験がその関係を強化することに結びついた。『トモさんのえげれす留学』には、麻生氏も登場する。しかも、学習院は2人にとって共通の母校である。
寛仁親王は「ヒゲの殿下」として国民に親しまれたものの、2012年に66歳で亡くなっている。1946年の生まれだから、麻生氏よりもかなり若い。今も存命なら、皇室典範の改正について意見を述べていた可能性がある。
もちろんそれは、女系天皇に結びつく可能性のある女性宮家創設に「反対」するものとなったであろう。麻生氏は、そうした義弟の意向をくみとっており、女性宮家の創設よりも、寛仁親王の主張に近い旧宮家の養子案を優先しようとしているのである。
寛仁親王は皇族という立場にあった以上、いくら発言がその枠から外れているように見えても、おのずと限界があった。
それに対して、麻生氏の盟友であった安倍氏の場合は政治家であり、皇室の問題に対する発言もより積極的であった。
その安倍氏が、首相在任中に掲げたのが、「戦後レジームからの脱却」というスローガンであった。これが今、大きな意味を持っている。
「女性・女系天皇」を白紙撤回した政権
レジームという言葉はフランス語で、体制や制度、構造を意味する。安倍氏は、戦後レジームを、「憲法を頂点とした、行政システム、教育、経済、雇用、国と地方の関係、外交・安全保障などの基本的枠組み」と定義した。
現在の体制、レジームは、日本が戦争に敗れ、連合国による占領という状況のなかで押しつけられたものであるというのが、安倍氏の認識であった。
安倍氏には、『美しい国へ』(文春新書)という著書があるが、美しい日本とは、そんな戦後レジームから脱却した国家のあり方を示していた。
安倍氏の立場からすれば、戦後、旧宮家が皇室から離脱したことも、連合国に強いられてのことで、戦後レジームの一つの象徴ということになる。
もちろん安倍氏も、天皇や皇族のあり方を、戦前のようにしたいとまでは考えていなかったであろう。だが、小泉政権下の有識者会議が「女性・女系天皇」を容認する提言を行ったことを、第1次政権の時代に白紙撤回している。
安倍政権が怖れ続けたモノとは何か
現在の上皇が生前退位の意向を示したのも、安倍政権の時代だった。安倍氏は、そうした上皇の意向に対してひどく慎重な姿勢で臨んだ。
皇室典範では、天皇は終身とされ、退位を認めていなかったからで、その規定は戦前の旧皇室典範を引き継いだものだった。
その際に、皇室典範の改正がなされず、一代限りの特例法で退位が実現されたのも、安倍氏が、退位が制度化されることを怖れたからだった。天皇が自分の意思で退位するとなると、皇位の安定性が失われるというわけである。
そして安倍氏は、皇位継承者を確保するために、旧宮家の皇室への復帰、ないしは養子による復帰を主張した。
2020年9月に体調不良で首相を退く直前にも、安倍氏は、安定的な皇位継承を議論する有識者会議の召集を当時の官房長官で、次の首相となる菅義偉氏に強く求めた。その有識者会議の報告書には、女性宮家の創設とともに旧宮家の養子案が盛り込まれたのである。
麻生氏としては、安倍氏が銃弾の犠牲にならなければ、現在の国会での議論で主導的な立場をとったに違いないと考えていることだろう。
そうした盟友の遺志をなんとか活かしたい。麻生氏は、このように2人の死者の言葉に従って行動しているわけである。
しかも、そればかりではない。
麻生副総裁にとって決定的なトラウマ
麻生氏が、このように死者の言葉によって動かされてしまう背景には、強力なコンプレックスの存在がある。
麻生氏は、明治時代から続くいわゆる「麻生財閥」の御曹司であり、30代でその中核企業である麻生セメントの社長に就任している。
戦後の復興に尽くした吉田茂首相は祖父にあたる。日本の事実上の最初の首相(内務卿)であった大久保利通は高祖父である。ほかに、義父が元首相の鈴木善幸である。首相経験者では、岸信介、佐藤栄作、細川護熙が、関係は遠いものの親戚になる。
それだけの政治家として名門の家に生まれ、実際、首相にまで上り詰めたわけだが、その在任中の2009年の衆院選で自民党は大敗し、民主党に政権を奪われている。
そこには、2008年の「リーマン・ショック」による世界同時不況という事態が影響したものの、経済政策で失敗し、内閣支持率は10パーセント台まで下落した。
そうしたなかで、解散を先延ばししたことも優柔不断という悪評に結びついた。民主党に政権交代を許した「戦犯」として、麻生氏は、首相失格という烙印を押されてしまったのである。
それは、麻生氏にとって決定的なトラウマになったに違いない。安倍氏と盟友の関係を続けたのも、自分には「ナンバーワン」になる資格はないと諦め、「ナンバー2」に徹しようとしてのことではなかっただろうか。現在では、高市首相を支える「キングメーカー」として君臨することで、そのトラウマを払拭しようとしている。
活かされない「首相失格」の烙印
不人気で首相の座を降りる政治家はいくらでもいる。だが、それが、与党から野党への下野に結びつくケースはそれほど多くはない。そこに、麻生氏のトラウマの大きさが示されている。
高市首相も、皇室典範の改正に熱心ではあるものの、そこにかける情熱では、麻生氏にははるかに負ける。
麻生氏としては、現役の政治家であるあいだに、なんとか大きな花を咲かせ、それによって過去のトラウマから脱却しようともくろんでいるのではないか。そんなチャンスが今やめぐってきたわけだから、それを活かさない手はないはずだ。
けれども、皇室典範の改正は難事業である。なにしろ戦後一度も改正されていないからである。今回それがなされなければ、当分、その機会はめぐってこないであろう。
麻生氏としては、首相失格の烙印を押されたとき、いかに世論が重要であったかを思い起こすべきである。
世論は、必ずしも男系男子の養子案を歓迎しているわけではない。世論が求めているのは「愛子天皇」待望論に見られる女性天皇、さらには女系天皇の誕生なのである。