岡部たかし演じる父がウサギブリーダーに
トキの父・司之介(岡部たかし)「これがえらい儲かるらしいんじゃ。一匹5円じゃったウサギが最高でいくらになったと思う?」「わしは松江一のウサギ長者になるぞ~」(連続テレビ小説「ばけばけ」(NHK)第3話)
朝ドラ「ばけばけ」(NHK)の第1週。舞台は明治8年の島根県松江市で、松江藩士だったトキ(子役・福地美晴)の父・司之介(岡部たかし)は「ご一新」で藩から解雇された後もチョンマゲを落とさず、どこかに勤めることもなく、丑の刻参りまでして武士の世の復活を願うばかり。周囲から「怠けちょる」と見られ、トキや妻からも、時代の変化についていけない心理状態を理解してもらいつつも、「父上はいつもお休みでしょ」とツッコまれていた。
しかし、「武士の娘」として大切に育ててきたひとり娘のトキが、一家の生活のために小学校教師を目指すと言い出し、司之介もついに「武士は食わねど高楊枝」というプライドを捨て、商いを始める展開に。ところが、それが「ウサギのブリーダー」だったのは、多くの視聴者にとって想像のナナメ上だったのではないだろうか。ウサギを飼って増やして売って、そんなに儲かるものなのだろうか?
明治5年から巻き起こった空前のウサギブーム
この設定は明治時代の史実に基づいている。トキのモデルである小泉セツ(1868~1932)の父親がウサギの飼育・販売を行っていたという史料はないが、明治初期の日本では空前の「ウサギバブル」が起きていた。
明治維新で西洋の文明がどっと押し寄せ、何をするにも「西洋に倣え」と奨励された時代。アメリカやイタリアから輸入されたアナウサギが愛玩動物として人気になった。そして、「ばけばけ」で描かれたように高値で売れるようになり、人々はそれを見込んでブリーダーになったり、珍しい色や柄のウサギが生み出したりした。
日本でもウサギなんて野山に行けばぴょんぴょん跳ねているし(ノウサギ)、四つ足の動物は食べない風習があった江戸時代でも狩猟され、「1羽、2羽」と鳥のように数えて鳥という体で食べていたものだが、ただそのかわいさを愛でるだけのウサギという存在は、新鮮だったのかもしれない。
東京都港区立郷土歴史館の「歴史館だより」はこのようにまとめている。
毛並みや色、耳の形が珍しいウサギが求められ、その価格は高騰していきます。現在でもペットとして飼育されることの多いロップイヤー(垂れた耳のウサギ)などの品種もあったようです。
ウサギは「兎会」などの集会で売買され、ウサギの番付表が発行されるまでになります。白の地色に黒色の斑文があるウサギは高値が付くなど、単色の毛並みより、これまでに見たことのない変わった姿をしたウサギが持てはやされ、繁殖も盛んに行われました。(港区立郷土歴史館「歴史館だより」Vol.15、山根洋子学芸員)
600円のウサギは現在の価値なら3000万円か
国税庁サイトにもこうある。
当然、兎は投機の対象となり、兎で一攫千金を目論む者も現れます。そして、ブームの加熱は、普通の白い兎に色を塗った偽物を売る者が現れるなど社会問題化しました。東京府も「兎会」禁止に乗り出しますが、秘密会どころか堂々と「兎売捌所」(うさぎうりさばきじょ)の看板や幟を出す者もいる始末で、その取り締まりに苦慮しました。
(国税庁・税務大学校「税の歴史クイズ」牛米努研究調査員)
「ばけばけ」では司之介がひと月で200円も儲かったと喜んでいたが、巡査の初任給で換算して4円=現在の20万円とすれば、明治時代の1円は現在の5万円ほど。そのときの月収は約1000万円ということになる。そりゃ、「父上」も浮かれるわ……。司之介が稼げるときに稼ぐんだと、借金までして事業を拡大したのも理解できないでもない(ただし労働者の賃金と物価はイコールではないとも考えられ、現在の価値ではもっと少なくなる可能性もある)。
ウサギの価格上昇はすさまじかった。明治5年の「新聞雑誌」という新聞によれば、1匹の販売価格が50円(250万円)。白ウサギに黒毛の斑文をもつ「更紗模様」が大人気となり、その模様をもつ種付け用のオスウサギは200~300円(1000万~1500万円)で取引され、600円(3000万円)になったケースも。種付け料だけでも1回2~3円(10万~15万円)もした(赤田光男『ウサギの日本文化史』世界思想社)。
どう考えても異常な高騰ぶりなのだが、そのときは異常だと思わないのがバブル。ただ明治新政府の御用新聞だった「新聞雑誌」は「兎の高価になりしはその所以(原因)を解せず、蓋し(考えてみると)一時、奸商(悪徳商人)ども相計りて(共謀して)、好事家(ウサギ愛好者)を欺し、非常の利(暴利)を貪らんとの所業」とビシッと指摘している。
妊娠したメスを高値販売する子ウサギガチャ
しかし、明治6年(1873)になってもウサギブームは衰えず、全国に広がるばかり。『ウサギの日本文化史』は、当時の風刺歌をこう読み解いている。
『ウサギの日本文化史』(世界思想社)
高騰したウサギをめぐって息子が父を死なせた
最初に購入資金がかかったとしても、ウサギを飼って交配させ売れば一攫千金。いや、今ウサギブームに乗らないでどうする? そんな投機熱が高まるあまり、欲にかられた人々がいくつかの事件を起こした。
東京の四谷に住んでいた男が、自分の飼っているウサギを150円(750万円)で買い取るという相手に売却しようとしたところ、父親が「いや、200円(1000万円)でなければ売らない」と断った。しかし、不運にもその夜、高い価値がついたそのウサギが死んでしまい、「だから売ればよかったのに」と親子ゲンカになって、庭に突き飛ばされた父親が石で眉間を打って死亡したという(『ウサギの日本文化史』)。
また、神田新石町に住む男はウサギ売買で巨万の富を得たが、奉公人にはその利益を分け与えず、不満に思った奉公人が主人の妻を絞め殺そうとした(未遂で逮捕された)。「親子や主人奉公人間の絆を崩壊させるほどのウサギ売買熱であった」と『ウサギの日本文化史』にはある。
ウサギバブルを一気に崩壊させた「お達し」
そんな事態を「どげんかせんといかん」と、明治6年12月に東京府は明治政府と交渉した上で対策を発表。ウサギを飼育・繁殖する者へ、届け出の義務と「1匹につき毎月1円(5万円)」の税金を払うことを命じた。これが税制史を学ぶ人には有名な、今となってはウソみたいだけれど本当にあった「ウサギ税」である。
この取り締まりにより、ウサギの価格は下落、多くのウサギを所持していた者は破産に追い込まれるなどして、ウサギへの投機熱は徐々に収束します。
(港区立郷土歴史館「歴史館だより」Vol.15)
「ばけばけ」の司之介のように数十匹、例えば50匹のウサギを飼っていたら1カ月に50円(250万円)の税金、そのウサギたちが子を産めばどんどん税金も増えていく。「とんでもない重税」(国税庁・税務大学校)だったのである。
このウサギ税によってウサギバブルは弾けた。少なくとも東京では。それゆえにウサギを他の地方に持って行って売却したブリーダーもいたという。もしかしたら、「ばけばけ」の司之介は、明治8年というちょっと遅い設定からしても、東京では飼えなくなったウサギたちを高く売りつけられたのかもしれない。
価値のなくなったウサギは食肉や毛皮にされた
ウサギの市場価値は急落。バブル時の100分の1以下、タダ同然になった。かわいそうなウサギたちを殺処分して毛皮にしたり、床下に隠したりという混乱が見られたという。ウサギを絞め殺して作る「しめこ鍋」を食べさせる屋台も出た。
明治政府と東京府の思惑は当たり、人々が本業を忘れて熱中したウサギブームは収束したが、5年半が経ち、明治12年(1879)6月に「兎税廃止」が決定すると、また少しウサギの値段が上がったという。
これが「ウサギバブル崩壊」にまつわる定説なのだが、東京府がそんな強硬手段を取らなくても、ウサギバブルは自然に弾けただろうという見方もある。それはウサギの驚異的な繁殖力が理由だ。
ウサギの繁殖能力が哺乳類最強である仕組み
ご存じだろうか。ウサギのメスは1年中妊娠が可能。オスとの交尾は1分ほどの瞬速で終わり、交尾後に排卵するので受精は確実、妊娠率はほぼ100パーセント。しかも妊娠期間は1カ月だけで、1回の出産で8匹ほどを生み、すぐにまた妊娠できる。さらに、2つの子宮を持っているので、妊娠初期なら、もうひとつの子宮で別の精子による“追い妊娠”ができるという、哺乳類最強レベルの繁殖力を有するのだ。
また、メスは交尾刺激によって交尾の10~15時間後に排卵を起こし確実に妊娠に至る仕組みです(交尾排卵または誘導排卵)。また出産後直ちに交尾妊娠でき(後分娩発情)、さらに胎児を持ちながら新たに妊娠できます(重複妊娠)。
(森林総合研究所関西支所研究情報No.87、「森林に暮らす哺乳類の子作りと子育て(4) ウサギ」山田文雄研究調整監)
現代でも、つがいのウサギ(2匹)が1年で100匹、2年で200匹以上に増えたという事例がある。
明治のウサギバブル期、人々はこぞってウサギを増やそうとしていた。また、簡単に繁殖できるのが魅力でもあった。しかし、そもそも希少価値がある舶来ウサギだったから、高値がついていたわけで、ネズミ算ならぬウサギ算的に増えていったら、珍しくもなんともなくなり、供給過多で価格は下落していただろう。「ばけばけ」の父は、そのことにこそ気づくべきだったのではないだろうか。