民主党政権は、「アラブの春」現象

1994年、当時の細川護煕政権下で小選挙区制が導入されてから、20年が経過しようとしている。「政権交代可能な二大政党制の実現」を目指して、小選挙区制は導入された。しかし、それが本当に正しかったのかどうか、吟味すべき時期にきていると私は思っている。

民主党が政権与党だった頃の野田佳彦首相と前原誠司内閣府特命担当大臣。(AFLO=写真)

そもそも小選挙区制でなければ政権交代できないというのは間違いで、細川政権自体、中選挙区制で行われた最後の総選挙で得票率2位から5位までの非自民勢力が連立して誕生した。

連立によらない本格的な政権交代は2009年に起こった。しかし国民の期待を受けて誕生した民主党政権はめぼしい成果をあげることなく12年の総選挙で大敗北を喫し、政権を手放した。

問題は、「小選挙区制では票が偏りすぎる」ということだ。振り返れば郵政解散を受けた05年の総選挙もそうだったし、政権交代が起きた09年の総選挙、自民党が政権を奪還した12年の総選挙もそうだった。

「小泉ブーム」になれば自民党に票が集まり、「政権交代が必要だ」とメディアでコメンテーターが叫べば民主党が大勝する。

「民主党政権に失格の烙印」が押されると、その得失を吟味したり、精査することなく、民主党を壊滅させるほどの“揺り戻し”が起きる。

熱しやすく冷めやすい日本人のメンタリティを考えると、小選挙区制が本当に相応しいものなのか、よく考えなければいけない。クルマのブレーキとアクセルを交互に踏むような、非常に不安定な政治体制をつくる結果になってしまっているのだ。

アメリカであれば共和党政権になっても民主党政権になっても日本の政治のような“不安定さ”はない。イギリスでも保守党と労働党が政権交代を繰り返しているし、フランスでは17年ぶりに政権交代が起きて右派の国民運動連合から社会党に政権が移ったが、政権政党が代わってもそれなりに政権運営はできている。

では、なぜ日本の民主党は政権運営に失敗したのか。結論を先に言えば、戦後60年弱に及ぶ自民党一党支配によって、「日本は政権交代ができない国になってしまった」と私には思える。

中東、北アフリカで起きた一連の民主化運動は「アラブの春」と称されるが、熱狂して独裁者を追放してみれば残されたのは“カオス”だけだった。長期独裁の下では受け皿となる統治機構も人材も育っておらず、多くの国で国家運営が不安定化した。

実は長年の自民党一党支配が外れた日本も同じで、民主党政権とはまさに「アラブの春」現象ではなかったか。