『アトミック・カフェ』と『オッペンハイマー』

ケヴィン・ラファティやジェーン・ローダーらが監督して1982年に公開されたドキュメンタリー映画『アトミック・カフェ』を見れば、終戦から冷戦にかけての時代のアメリカ人が、核兵器についてどのような意識を持っていたかよくわかる。

放射線に対する知見はほとんどない。被爆の怖さを知らない。意識としては、要するに巨大な爆弾なのだ。一般国民だけではなく、軍人や政治家も同様だった。実際に映画の中でも、核爆発実験の際に周囲に配置される兵士たちに対して上官が、「放射能はさほど怖くないが、もしも傷があるなら絆創膏を貼っておいたほうが無難だ」と事前にレクチャーするシーンがある。被爆した兵士たちはのちに「アトミック・ソルジャー」と呼ばれ、大きな社会問題になった。

『オッペンハイマー』においても、最初に行われたトリニティ実験の際に、オッペンハイマーも含めて多くの研究者たちが、爆発のすぐ横で観測しているシーンが描かれている。

一線の科学者たちですらその程度の意識しか持っていなかった。冷戦期は終わったけれど、今も多くのアメリカ人は核兵器の本質と怖さを実感できていない。だからこそ、戦争終結のために必要な措置だったなどと考えるのだ。

直視できなかった光景が描く惨状

そうしたアメリカ人たちに対しても、『オッペンハイマー』は衝撃だったはずだ。さらに、投下後の広島と長崎については、その映像を科学者たち全員が映像で確認する際に、オッペンハイマーだけがずっと顔を伏せているシーンがある。

直視できない。弱いのだ。

だからこそのとき、オッペンハイマーが見ないようにした光景を僕たちは想像する。どれほどの惨状であるかを間接的に想起できる。

内容についてはこれ以上は書かない。映画はテレビとは違う。過剰な説明は必要ない。テレビは加算のメディアだが、映画は減算の表現だと僕は思っている。間接話法は確かにまどろっこしいが、届いたときはより深く強く届く。だから映画なのだ。黒か白ではない。善か悪かでもない。ノーランはそのグラデーションを、オッペンハイマーの「弱さ」をキーワードに描く。単純ではない。でも核兵器の怖さについても、直接的な映像を使うことよりもさらに深く届くはずだ。

真っ赤な炎に包まれている空
写真=iStock.com/Natalya Bosyak
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最後に補足。ノーランは時おり暴走する。観客を置き去りにする傾向がある。でも本作は、ノーランにしてはわかりやすい。とはいえやはりノーランだ。多少の予習は必要だ。

原爆は核分裂だが、水爆は核分裂を引き金に核融合を起こす兵器だ。その破壊力は圧倒的に違う。アインシュタインはマンハッタン計画にどのように貢献したのか。そして戦後にどのように苦悩したのか。オッペンハイマーが師と仰いだニールス・ボーアやヴェルナー・ハイゼンベルクの名前と業績くらいも(ざっくりと)知っておいたほうがいい。量子論の基本は重ね合わせ。粒子と波動の二重性と物理的過程の不確定性がキーワードだ。

その程度は予習しておいたほうが、映画を絶対に楽しめるし、深く理解できるはずだ。

森 達也(もり・たつや)
映画監督・作家

1956年広島県生まれ。立教大学法学部入学後、様々な職種を経てテレビ番組制作会社に入社。98年オウム真理教のドキュメンタリー映画『A』で内外の高い評価を得る。近年の監督作に、『FAKE』(2016年)、『i 新聞記者ドキュメント』(2019年)、『福田村事件』(2023年)。著書に『A3』(集英社インターナショナル/2010年/講談社ノンフィクション賞受賞)、『たったひとつの「真実」なんてない』『ニュースの深き欲望』『虐殺のスイッチ』など。