子どもがいる女性と子どもがいない女性の間にはなぜ「溝」があるのか。ペギー・オドネル・へフィントン著『それでも母親になるべきですか』を翻訳した鹿田昌美さんは「この本を読むと、『溝』は、比較的近年に意図的に作られたものらしい、というイメージが持てるようになる。以前は、産む・産まないにかかわらず、すべての人が子育てに関わることができるようなコミュニティが、多くの地域に、ごく自然な形で存在していたのだ」という――。(第3回/全3回)

※本稿は、ペギー・オドネル・ヘフィントン『それでも母親になるべきですか』(新潮社)の一部を再編集したものです。 

トラクター
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「溝」を掘り続けているのは誰なのか

「母親になった人」と「母親にならなかった人」の間には、大きな隔たりがある――と、私たちの多くは感じている。子どもを産むか産まないかが、「あちら側」か「こちら側」かを完全に決定し、両者の間の溝は、決して埋まることがないのだと。

でも、その「溝」を掘り続けているのは誰?

――と考えたことは、あるだろうか。

私は、この本を手にして、初めてそんな疑問が頭に浮かんだ。

「溝」は近年、意図的に作られたもの

そもそも、「溝」は昔から存在したのか。あるいは、何かのきっかけで亀裂が入り、細い溝が何かの力でどんどん広がり、互いに行き来することが不可能になってしまったのだろうか。

本書を読むと、「溝」は、比較的近年に意図的に作られたものらしい、というイメージが持てるようになる。以前は、産む・産まないにかかわらず、すべての人が子育てに関わることができるようなコミュニティが、多くの地域に、ごく自然な形で存在していたのだ。

それでも母親になるべきですか(原題:Without Children: The Long History of Not Being a Mother)』は、歴史の中に存在してきた「子どもを産まなかった女性」にフォーカスし、彼女たちの生きざまとその影響について、当時の社会的背景を解説しながら丁寧に追い、いかに彼女たちが社会のなかで重要な役割を果たしてきたかを検証する内容だ。