「北海道が人間の土地になった」ことが急増をまねく
明治の終わり以降に人喰いクマ事件が急増した理由として、明治30年に制定された「北海道国有未開地処分法」があげられる。
この法律により、開墾地は無料で開拓者に付与されることになった。
「明治41年6月までの貸付面積は実に142万5000町歩を数え、道内における農耕適地の大部分が処分されたのである」(『新北海道史』)
とあるように、日当たりのよい、滋味豊かな北海道の土地は、おおむね人間の手に帰してしまった。
一方で、ヒグマは農耕に適さない土地、つまり傾斜地や沼沢地、深山幽谷に追いやられてしまったのである。
「にわか猟師」の激増で手負いのクマが大量発生
もう1つの理由として、日露戦争後に大量に余っていた旧式村田銃を、猟銃として安く一般に払い下げたことがあげられる。
拙著『神々の復讐 人喰いヒグマたちの北海道開拓史』(講談社)でもくわしく述べたが、「にわか猟師」が激増したことで、撃ち損じが増え、手負いのクマを大量に生み出したことが、大正期の被害激増の一因と考えられる。
『北海道庁統計書 第三十回』によれば、明治42年における狩猟免許の「乙種免許所持者」は392名に過ぎなかったが、大正7年には5066名と激増している。その一方でヒグマの捕獲頭数がたいして増えていないことは、『新版ヒグマ』(門崎允昭 犬飼哲夫)掲載の統計を見ても明らかである。要するに「にわか猟師」が増えたことが、その理由だろう。