豊富な新薬開発パイプラインを迅速かつ着実に進め、ビッグファーマ(大手製薬企業)として存在感を強めているアストラゼネカ。日本でもグループ全体での売上は、国内最大級となり(薬価ベース)、がん、糖尿病、心疾患、腎臓病、呼吸器疾患や感染症と幅広い分野で存在感を放つ。優れた治療法の提供で患者さんの人生と医療課題解決に貢献するだけではなく、共創を掲げ気候変動対策として脱炭素への取り組みでも国内最先端の事例を示す。気候変動関連死として世界で年間1300万人(※1)もの命が脅かされる中、製薬会社として何ができるのか、日本法人の堀井貴史社長が、社会起業家の安部敏樹氏と語り合った。

売上高、臨床開発数ともに国内最大級。成長ドライバーは、従業員のパイオニア精神

――堀井社長の社長就任から1年半でアストラゼネカは国内最大級の製薬会社になりました。まずは最新の状況を教えてください。

【堀井】日本はアストラゼネカのグループ売上高で約1割を占める重要市場です。日本での医薬品の売上高は国内約41億ドルと、関連会社を含めれば最大手クラスに育ちました。2022年の国内承認件数は12件、現在も78件の開発パイプライン(研究開発段階にある製品候補)、129件の臨床試験を進めており、いずれも国内トップクラスです。

【安部】すごいですね。僕も理系出身なのでわかりますが、研究は「上から言われたから成果が出せる」というものではないと思います。何が成長のドライバーになったのでしょうか?

【堀井】スウェーデン系のアストラと英ゼネカが1999年に統合してアストラゼネカが誕生するのですが、日本ではそれ以前から現在まで約50年にわたりビジネスを展開しています。アストラゼネカの製品ラインナップは、日本人に多い疾患が中心で、より良い治療の選択肢を実現してきた背景には、日本の医師から期待と信頼をいただき、日本の患者さんに貢献したいという強い決意の表れだと思います。

実際に、世界中のメンバーが共有する価値観が原動力になっていると思います。アストラゼネカのバリューには「私たちはサイエンスを追い求めます」「私たちは新しいやり方に挑戦します」という、科学の限界に挑戦しようとするアントレプレナーシップ宣言が含まれています。国内にはおよそ3600人の従業員がいますが、やはりファーストペンギン志向というか、チャレンジする文化が非常に強いです。私は「社員3600人のスタートアップ」のようだと感じます。

【安部】「Our Strategy」の中で「働きがいのある職場」も掲げていますね。

【堀井】イノベーションを生み出すためには、多様性や心理的安全性が大切だと思います。アストラゼネカは世界的な調査機関から「働きがいのある会社」に認定されました。また、LGBTQ+の従業員に対して就業規則および福利厚生等に係る社内制度を改善してきましたが、こうした点が評価され、性的マイノリティに関する団体が発表している「PRIDE指標」でも、2年連続で「ゴールド」に認定されています。

【安部】堀井さんご自身にも、独特な寛容度の高さがありますよね。

堀井貴史(ほりい・たかふみ)
アストラゼネカ代表取締役社長
同志社大学法学部卒、米国バージニア大学ダーデン経営大学 経営学修士課程(MBA)修了。2022年7月より現職。武田薬品工業でシニアバイスプレジデント、日本オンコロジー事業部長を務め、グローバルオンコロジーリーダーシップチームおよびジャパンカントリーコミッティーの一員として役割を担ったほか、新興国事業部門にて、中近東・アフリカ地域21カ国を統括する地域統括責任者、台湾法人の会長兼社長、新興国の事業戦略を統括する副社長、中国の戦略企画部長を務めるなど、世界各国で様々な要職を務めた。

「困難だが、教科書に載り医療の歴史に足跡を残すような仕事」

――国内では大きく4つの分野で事業展開をされていますね。

【堀井】はい。「オンコロジー(腫瘍・がん)」「循環器・腎・代謝疾患」「呼吸器・免疫疾患」「ワクチン・免疫療法」の4事業です。糖尿病、慢性心不全、慢性腎臓病、喘息など、日本でも患者数が多い疾患が含まれ、2022年1年間で、国内約900万人(※2)の患者さんに医薬品をお届けしています。

がんは、日本でも患者さんが多い消化器がんという、新しい領域に参入しました。その中でも、肝細胞がんや、胆道がんなどは、再発率の高さや治療の選択肢の少なさといった問題から、革新的な治療法が強く望まれていました。

【安部】アストラゼネカは日本では、新型コロナのワクチン供給で知名度を上げましたね。どういう経緯だったのですか。

【堀井】実はそれまでワクチン開発はほとんど手がけていなかったんです。しかし世界70億人が脅威にさらされた未曽有の公衆衛生の危機に直面し、多くの人々の命が失われる中、アストラゼネカは、オックスフォード大学などが開発したワクチンを、世界中へ公平に分配されることを目指しました。世界中に届けるためには、製造から流通までの体制を各地域で構築する必要がありましたが、結果、アストラゼネカのワクチンは提供開始初年度に世界中で600万人を超える方々の命を守ることに貢献しました。世界で30億回分と最も多く届けられたコロナワクチンなんです。

日本でもスペシャルタスクフォースを組成し、パートナー企業との連携のもとで国内での製造、充填じゅうてん、流通のバリューチェーン体制を速やかに整えました。困難だけれど、この仕事は医療の歴史に必ず残り、後世の教科書に載るような特別なミッションを帯びている。そんな意気込みで、メンバーが一致団結して挑戦した成果だと誇らしく思っています。

【安部】そうした姿勢は素直に尊敬できます。世界中へ公平に分配されることを目指したと言われましたが、そのためには途上国の未整備なコールドチェーンであっても安全に配送できるワクチンを作らなければなりません。実効性にこだわった御社の判断には、ベストでなくてもベターを目指している社会起業家として、納得感がありますね。

安部敏樹(あべ・としき)
社会起業家
東京大学在学中に社会問題をツアーにして発信・共有するプラットフォーム「リディラバ」を設立。現在は、社会課題を構造化して可視化していくことを目指した株式会社Ridiloverおよび一般社団法人リディラバの代表。環境問題をテーマにした社会課題についても、自身の情報発信チャネルで積極的に発信。テレビ朝日の情報番組「羽鳥慎一モーニングショー」のコメンテーターとしても人気。

気候変動関連死により世界で年間1300万人(※1)もの命に危険が。気候変動は21世紀最大の公衆衛生の課題

――アストラゼネカは気候変動対策をビジネスの戦略的優先事項にあげていますね。なぜ製薬企業が気候変動対策に積極的に取り組むのでしょうか?

【堀井】私もみなさんも、地球温暖化は肌で感じていますよね。2023年は真夏日が東京都心で64日間続き、過去最長となりました。WHOが2014年に公表した試算によると、2030年からの20年間で、気候変動に伴い栄養不足、マラリア、下痢、熱中症だけでも年間25万人の死亡者が発生、全ての気候変動の要因を踏まえると死亡者は年間1300万人にも及ぶという報告もあります。気候変動にワクチンはありませんから、私たち自身が当事者として日々、行動するしかないのです(※3)

【安部】僕は東日本大震災の被災地各所で避難所を運営していたんですが、避難所でのリスクの一つが肺炎なんです。肺炎はカビがきっかけになることの多い病気なので、温度と湿度が上がると増えます。

【堀井】私も気候変動は21世紀の最大の公衆衛生上の課題と認識しています。国が豊かになると感染症から生活習慣病などに疾病の中心が移り、また治療も発展していくのですが、気候変動によってそうした進化が元に戻ってしまう印象がありますね。

アストラゼネカの取り組みの特徴は、脱炭素のロードマップもサイエンスに基づいていることです。パリ協定で示された1.5℃の目標を目指すためには、いつまでにどれくらいの量の温室効果ガスを削減しなくてはいけないのかについて科学的根拠に基づき設定しています。このアプローチは、第三者機関によっても評価され、国際的な指標のひとつ「SBTi」が2021年に新しく、ネットゼロ基準を導入した際、最初に認証された7社のうちの1社として、ネットゼロに向け取り組みを進めています。

医薬品製造や医療機関などヘルスケア産業から排出される温室効果ガス排出量は、全産業の約5%を占めているという試算があります。

【安部】いや、5%とは相当高いですね。

【堀井】そうなんです、航空産業よりも高いといわれています。薬は、患者さんに届くまでに長いバリューチェーンがありますし、製造過程でカプセルに詰めたり包装したりといった作業も必要ですからね。当社では、従業員の日々の行動にもCO2削減が求められます。たとえば、従業員の出張の移動で排出されるCO2量に制限を設けています。飛行機の使用をCO2の予算で管理し、海外出張については全てトップである私の認可が必要で、国内線は、CO2の排出がより少ない新幹線の利用が原則です。私も含めて、「6時間以内の海外出張はエコノミーを使う」という決まりもあり、従業員も理解し、支持してくれています。

今後、気候変動問題を前にビジネスの意思決定は変わっていくでしょう。これまで日本では、「環境対策はコスト要因」と考えられる傾向がありましたが、我々はむしろ先行投資と見ているんです。

【安部】これまでビジネス戦略のロジックの2つ、3つ先の側面、つまり環境問題や従業員の働き方や多様性といった側面は、ビジネスに直結するということがなかなか理解されてこなかった。しかし、企業の成長や、投資はこうした先を考えた点が重要になると思います。

共創によって実現できる未来、「一つの地球をみんなで守る」

――堀井さんは「脱炭素は1社でやるだけでなく『共創』が大事」とも発言されています。

【堀井】そうですね。たとえば国内拠点としては東京、大阪のオフィスと米原工場(滋賀県)があるのですが、そこで使われる電力を全て再生可能エネルギーに転換し「RE100」を達成しました。またアストラゼネカでは「EV100」達成に向け、全世界で電気自動車100%を実現するプロジェクトが進んでいますが、国内でも営業職に相当するMRが日本全国で使っている約1900台の車を対象に2025年までに全て電気自動車に切り替えていく予定です。

しかしRE100もEV100も、自社だけでは達成できません。

オフィスは自社ビルではないので、担当チームが管理会社に再生可能エネルギーの調達を交渉しました。日本では、電力供給において、再生可能エネルギーが優先されていないため、多くの方の協力をいただきRE100は2022年に実現することができました。EV100も2023年7月時点で約6割のところまで来たのですが、100%を目指すには充電スタンドなどのインフラ整備や降雪地帯に対応した車両の普及も必要です。しかし、アストラゼネカが道を開くことで、多くの企業が追随してくれていることも事実です。

製品の原材料調達から製造、販売、消費、廃棄に至る全過程において排出される温室効果ガスの量を数値化すると、当社の場合、自社で直接排出するまたは選択できるCO2の排出量は、サプライチェーン全体の約4%しかないことがわかりました。ですから今後は、取引会社とともにバリューチェーン全体のCO2(Scope3)を削減しなければいけません。アストラゼネカのパスカルCEOがイギリスで、「持続可能な市場のためのイニシアチブ(Sustainable Markets Initiative SMI)」に賛同しヘルスケアタスクフォースをリードしていますが、日本のヘルスケア業界も国際協調の下、日本版SMIといった検討も今後重要だと考えています。やはり「一つの地球をみんなで守る」という意識が大事で、私たちの実行事例を共有することで、社会でより多くのアクターが賛同し、アクションを取ってくれると信じています。

【安部】すばらしいですね。脱炭素は社会の共通認識にしていかないと根付かないですから。今後は企業も、これまでのような売上や利益より、「人類にどれくらい貢献しているか」が評価されるようになると思いますよ。

※1 United Nations at:https://www.un.org/en/climatechange/science/key-findings
※2 JMDC 2022-01-12 薬剤推計実患者数より算出
※3 United Nations at:https://www.un.org/sites/un2.un.org/files/2021/08/fastfacts-health.pdf