夏休みスタートで、大量に出された宿題に頭を抱える子供も多い。現役の小学校教員である松尾英明さんは「子供にとっての最難関は読書感想文と自由研究。これらを一律に課すことで結局、親への負担が大きくなってしまうケースが多く、課題を出す意味が変わってしまう。また、ChatGPTなどの生成AI登場によりぼろ儲けする宿題代行業者が増える恐れがある」という――。
宿題をやりながら頭を抱える子供
写真=iStock.com/Hakase_
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ChatGPTに夏休みの宿題の読書感想文を丸投げ

7月4日、文部科学省より、ChatGPTなどの生成AI利用に関するガイドラインが出た。

いささか婉曲的な表現でわかりにくい部分もあるが、おおむね「現時点での生成AIの使用は禁止までしないが、オススメしない」という方向である、と筆者は解釈した。自分が作成した文章の修正などの限定的使用や、参考文献のように生成AIの使用の明記などに言及していて、あまり積極的に利用してほしくない姿勢が見てとれる。

だが、人間は、自由を制限されるとそれに抗いたくなる心理が働く。ダメと言われるほど逆にそれをやってみたくなる。大人も子供もそれは同じだ。上からやめましょうと言われても、罰則がなければやめないし、好奇心旺盛な子供ならなおさらだろう。

学校の姿勢は文科省と似ているように思えるが、小学校教員の端くれである筆者自身は、この素晴らしい最新テクノロジーを正しく前向きに活用しよう、と提案したい。もちろん、文科省の言い分をしっかりと汲んでルールを守った上で。

生成AIを小学生が上手に活用するにはそれなりの工夫が必要である。例えば、不正利用が最も懸念されている夏休みの宿題の読書感想文。生成AIに丸投げで頼んでみたところで、ろくなものを書けない。そのまま出せる代物にならないことがほとんどである。

「ほとんど」というのは、中には一応書けるものがあるからである。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』や夏目漱石の『こころ』といった古典的名作であれば、そのまま提出できそうなものに仕上げるだろう。インターネット上に大量の情報が蓄積されているからである。

しかし、読書感想文コンクールの課題図書のような作品は、比較的新しいものが多い。つまり、インターネット上に情報が少なすぎて「知らないので書けない」と返答されることもある。知らないので、無理矢理書かせても、まともな内容にならない。多少なりとも本人が内容を読んで、大幅な手直しが必要になり、かえって面倒くさい作業を強いられる。

実際に読書感想文を書かせても非常に「浅い」文章にしかならない最大の理由、それは、子供読者の生の体験が全く入らないからである。どう命令して書かせても、物語の上っ面をなでるだけで嘘くさい内容になる。膨大な量の読書感想文にふれてきた教員を含む評価者の厳しい目に耐えられないだろう(まあ、教員までは運よく騙せて校内入選ぐらいはできるかもしれないが……)。

小学生の読書感想文で評価されるのは、生成AIのような理路整然とした感じではなく、むしろ論理はやや破綻していても、「自分はストーリーのこの部分が心に刺さった」という子供の気持ちが子供らしく子供らしい言葉で表現できていることなのだ。

今回の文科省の通達は恐らく、大学の提出レポートなどがこの生成AIによってかなり「荒らされている」という現状を鑑みての判断だろう。「学習者のためにならないから」という判断である。